旅の神官(1)

 耳にかかるほどの前髪を額の真ん中で分けた銀髪の男。黒い神官服を纏い、旅をしているのか、使い込まれた皮の鞄を右手に下げ、銀縁の眼鏡をかけている。

 年の頃は二十はたちのハルシオンよりやや年上――二十代後半のように見受けられた。

 だがアナーシアは咄嗟に身構えた。


「あなた――ノクレム人!?」


 神官の青年は首を左右に激しく振った。


「ち、違います! 私が銀髪だからって、それはあんまりですよ! 確かに、私は旅の神官ですけど、現に私は吸血鬼イモータルの女に襲われていた。それを助けてくださったのは、あなたじゃないですか!」


「そうですよ、アナーシア様。吸血鬼イモータル同士が捕食するなんて聞いたことがありません」


 従者のエルムが傍らで囁いた。


「ごめんなさい。悪かったわ」


 神官は安堵したかのように肩をすくめ、唇に友好的な笑みを浮かべた。

 物言いにはおどけた感じがあるが、眼鏡の奥に光る切れ長の紫色の瞳には深い知性が感じられる。


「いいえ。隣国ノクレムの悲劇は私も知ってますから。三年前に吸血鬼イモータルの集団に襲われて、今では国ごと乗っ取られてしまったそうですからね。だからノクレム人に多い銀髪である私を、あなた方が警戒するのも無理ありません」


「旅の神官と言われたが、宿はどこです? 私でよかったらそちらまでお送りします」


「え、ええ。それはとても助かります。騎士様」


「あ、ハルシオンったら! 私を城まで送ってくれるんじゃないの?」


 唇を尖らせるアナーシアにハルシオンが見事な白金プラチナの髪を揺らし「えっ?」と驚く。


「アナーシア様にはエルムがついているじゃないですか。エルム、責任を持って姫君を城へお送りするんだぞ」


「は、はい! もちろんです!」


 吸血鬼イモータルに会ったらどうしようか。

 先程までぶるぶる震えていたエルムが、やっとアナーシアを城に連れ戻すことができるので張り切っている。


 (こいつ。なんて現金な奴なのかしら)


 内心呆れていたアナーシアは、ハルシオンが翡翠かわせみ色の瞳を細め、自分を見つめていることにふと気付いた。口元に微笑を浮かべつつ。


「それから、出てきたときと同じように、部屋にお戻りになるんですよ、アナーシア姫。忘れずに、騎士団の制服もお返し下さい。団員が夜警に出られなくて困っておりますから」


(むかっ)


 アナーシアは頬が熱を帯びて高揚するのを覚えた。

 自分の行いを指摘され恥ずかしさを感じたのは、全身白を纏い、月光にも似た白金プラチナの髪を靡かせた彼の姿が眩しすぎるせいだ。


「なっ、言われなくてもわかってるわ! 後で覚えてなさいよ、ハルシオン!」


 ふふっとハルシオンが笑みを浮かべる。

 何か悪い事をしでかした子供のような気分だ。


「じゃ帰るわよ。エルム」


 アナーシアは踵を返し、馬の尻尾とハルシオンに昼間言われた蜂蜜色の髪を揺らしつつ、ぷりぷりしながらその場を立ち去った。



 ◆◆◆



「いいのですか? 従者の少年一人だけで城に帰してしまって? あの方はアルビヨンの姫君なのでしょう?」


 銀髪の神官はアナーシアが心配なのか、二人が歩き去った方角を眺めている。


「大丈夫です。あの方の心は強い。魔の者に魅入られる隙はないですから」


 ハルシオンはこともなげに呟いた。


「流石、銀光騎士団の騎士長を務めている方だ。吸血鬼イモータルのことはよくでいらっしゃる」

「……」


 ハルシオンは目を細めた。沈黙を返すハルシオンの心境を察して、銀髪の神官は彼に向かって右手を出した。


「ハルシオン様。私はまだ名乗っておらず大変失礼しました。私は各地に伝わる吸血鬼イモータルの伝承を収集する目的で旅をしています。ミルフォーク国出身のノムリスという者です」


 ハルシオンは差し出された手をちらりと見下ろしただけだった。

 ノムリスはその気まずさに唇を一瞬歪めたが、ハルシオンが白銀の銃をまだ右手に持っていることに気付いたのかそれに視線を向けた。


「それが、吸血鬼イモータルを一撃で倒す事ができる騎士団の至宝『輝ける栄光Shinig Glory』なのですね?」


 ハルシオンは右手に持った華奢な銃を腰に吊っている革具に収めた。色白の指がすっと銃身をなぞる。


「……これをご存知とは。吸血鬼イモータルの伝承を収集しているというのは嘘ではないようですね。私も夜警の仕事がありますから、できればあなたをさっさと旅籠まで送って、職務に戻りたいのが今の率直な心境です」


「これはお仕事の邪魔をして申し訳ありません。それならば、アルビヨンの中央にある教会まで送ってもらえませんか?」


「教会、ですか?」


「ええ。さっきも言いましたように、私は各国に伝わる吸血鬼イモータルの記録を収集するのが旅の目的です。アルビヨンの教会には数多くの蔵書があるとききますから、是非立ち寄ってみたかったのです」


 ハルシオンは頷いた。


「わかりました。教会ならここからさほど遠くではありません。では行きましょうか」

「はい」


 銀髪の神官――ノムリスは眼鏡を押し上げ、先を歩くハルシオンの後に続いた。



 ◆◆◆



 アルビヨンの街は教会を中心に円を描くように家々が建てられている。

 五つの尖塔を持つ教会は増改築を繰り返し、一番古い所は七百年を過ぎているともいわれている。


 尖った槍を思わせる鉄の門は、すでに深夜という事もあって閉められていたが、ハルシオンは裏手に回り、ランプの明かりが灯されている通用門の扉を拳で叩いた。


 人間と区別がつかない吸血鬼イモータルは神の家にも平気で入ってくる。アルビヨンの街の扉には、小さな覗き窓がついていて、住人は必ずそれで来訪者を確認してから扉を開ける。覗き窓から修道女と思しき年配の女性の目が覗いた。


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