闇夜の銀光(2)
「くうっ!」
石畳に後頭部を打ちつけ、じわりと広がる鈍痛に、アナーシアの口から息が漏れる。アナーシアが刺した女の右肩は、酸でもかけたように傷口が激しく泡立ち、うっすらと白い煙が上がっていた。
「ア、アナーシア様っ!」
エルムが短剣を抜いて、女の腰へ体当たりをするように突き刺した。
女はおぞましい奇声を放つと右手を振り上げ、あっさりとエルムを殴り倒した。
「ぐわっ!」
エルムの体がずた袋のように軽々と宙を舞い、後方の路地へとふっ飛ぶ。
路地に置かれていた木箱が砕ける音がした。
「エ、エルムっ!」
アナーシアは女の手から逃れようと、覆い被さるその体へ、腹へ、足をばたつかせて蹴りつけた。
だが女は痛みを感じないのか、寧ろアナーシアの両肩を抑える手に更に力を込めて、白き首筋に浮き立つ血管を求めてじわじわと顔を寄せる。
獣のようなごわついた女の髪と、荒く生暖かいねっとりとした息が顔にかかる。
(なんて力なの……私と変わらないくらいの、細い腕なのにっ……!)
「い、嫌っ……!」
アナーシアは迫る女の顔から逸らせ目を閉じた。
脳裏に月光を宿したような
(ハルシオン――)
アナーシアは息を詰めて目を見開いた。
覆い被さる女の肩越しに、一筋の白銀の光が弾丸のように飛翔するのが見えたのだ。それは女の背中へ吸い込まれる様に命中した。
「ギャアアアッ!!」
およそ人のものではない絶叫を上げて女が仰け反る。
もう一度。
闇夜を切り裂く白銀の閃光が、今度は女の頭を射抜くと同時に体も後方へと吹き飛ばす。
石畳の上で倒れているアナーシアは、今まで自分に覆い被さっていた女の体が青白い炎に包まれたかと思うと、白い灰となって暗い夜空に舞って行くのを見ていた。
これが女――
カツ、カツ。
石畳の上を歩く
アナーシアは痛む後頭部を気にしながら、足音の聞こえる方へ首を左へめぐらせた。白い外套を纏った背の高い人間が一人、こちらへと近づいてくる。
首の後で一つに
「お怪我は?」
相変わらず落ち着いた、けれど確かに自分の身を案じる声。
アナーシアは伸ばされた騎士の手を掴んだ。
内心は嬉しかったのだが、おくびにも出さずそれに渋々すがって上半身を起こす。
片膝を付く騎士の
「……ないわ」
「それなら結構です」
それをアナーシアは一瞬眩しげに見つめた。彼の右手には、十字架を模したような形の白銀の銃がまだ握られていたからだ。
それこそが【
彼等と戦う『銀光騎士団』の騎士長である証。
七百年前に一度アルビヨンから失われたが、今は唯一彼のみが、扱う事ができる騎士団の至宝――。
「『
「アナーシア様」
騎士――ハルシオンは一瞬眉間をしかめた。
「うわーよかった! ハルシオン様が来て下さって本当に助かりました」
アナーシアが口を開こうとした時、よろよろとおぼつかない足取りをしながらも、口調はしっかりとしたエルムが路地の奥の暗がりからやってきた。
エルムも見た所、怪我はないようだった。
「ハルシオン様からもなんとか言って下さい! 姫ったら、どうしても夜警に行くといってきかないんです。姫では敵わないって散々言ったのに、ぜんぜん僕の言う事をきいてくれなくて……」
アナーシアはエルムの言葉に思わず頬が引きつるのを感じた。
座り込んでいた石畳から鼻息も荒く立ち上がる。
「うるさいわね。その……騎士団も人手不足でしょうから、私も夜警に出ただけよ」
「申し訳ありません。アナーシア様にそのような気遣いをさせてしまうとは」
「ありがとう」
アナーシアは剣を受け取り、折れた剣先を見つめ、深いため息をついたのち鞘に収めた。
「
「彼らの力を侮ってはいけません」
「そ、そうね。今後は気をつけるわ」
アナーシアは袋小路の壁際で、呻き声を上げる神官が身じろぎするのを見た。
「あの人、気付いたのね」
まるで他人事のように呟く。
「お待ち下さい」
アナーシアはそちらに向かって歩き出そうとした所を、ハルシオンに肩を掴まれ足を止めた。
「アナーシア様は城にお戻り下さい。神官の方は私が面倒をみますので」
ハルシオンの視線は銀髪の神官の様子を窺うように注がれている。
「で、でも。夜はまだ始まったばかりだわ」
纏う騎士団の制服と同じように、色白のハルシオンの手を肩からどかしつつアナーシアは粘った。だがハルシオンの横顔は近寄りがたい程険しく、口調も手厳しかった。
「いいえ、今夜はもう十分です。
「――いや、全くその通りですよ」
場の空気を明らかにしらけさせるまばらな拍手の音が響いた。
それは無様に壁に寄りかかっていた男のもので、視線が合うと彼はふらつきつつも立ち上がり、こちらへと歩いてきた。
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