第13話 駆け引き


 BMWは主に自動車と自動二輪車を製造、販売する会社。


 グループ全体の年間純利益は、200億ユーロを超える大企業。


 目の前にいるのは、その長。十代後半で着任した異例の若手社長。


(事業規模はセレーナ商会の十倍以上。微塵も侮れない……)


 そんな大物を、今から相手取るってわけ。


 覚悟してはいたけど、さすがに緊張してくる。


「取引ねぇ……。車なら、俺じゃなくディーラーで頼んだ方が早いんでない?」


 すると、早速、BMW社長――リッカルドは仕掛けてきた。


 車程度の目的で来たんじゃないだろうな、という遠回しの牽制。


 実際、大半の訪問者は主力商品の車にだけ目をつけるんでしょうね。


(……ただ、そこらの馬の骨と、あたしは違う)


 すでに彼のリサーチは済んでいる。

 

 金の匂いを探れば、一発でたどり着いた。


「限定1万2000台の新型EVに積まれる予定の『ナビ』に興味がありましてね」

 

 狙いはEV――電気自動車じゃない。


 そこに搭載される予定の革新的な『ナビ』。


 オクトーバーフェストで販促するのは、きっとこれ。


 周りにある大量の段ボールには、新型『ナビ』が入ってるはず。


「あぁ、そっちか……。生憎だけど、企業秘密でね。言えないんだわ」


 頭を掻きながらバツが悪そうにリッカルドは答える。


 興味を引けなかったなら、今頃、門前払いされてるはず。

 

 でも、そうはならなかった。まだ可能性は十分あるってわけ。


「……こちらで、いかがでしょうか」


 懐から取り出したのは、黒革の長財布。


 そこから差し出すのは、全財産の950ユーロ。


 渡せば今日の食費すら困るけど、この際仕方がない。


 出し惜しみして、商談が失敗に終わるよりかはマシだった。


「だーいぶ切羽詰まってるって感じだねぇ。危ない橋、渡ってる?」


 受け取った紙幣を手で数え、彼は見透かすように告げる。


 適当に嘘をついて、それっぽい理由を並べることもできる。


「お察しの通りです。詳細は話せませんが」

 

 ただ、半端な嘘は通じない。やるなら、事実ベースの真剣勝負。


 って言いたいとこだけど、小切手切れない時点でお察しなんだよねぇ。


「言えない、か……。身銭を切ってまで、アレの何を聞きたいんだ?」


 歯切りが悪かったけど、反応が変わった。


 言えないから、言ってもいい。まで変わってる。


 些細な違いだけど、着実に一歩前進ってところだった。


「『ナビ』の正体は、『ストリートキング』の決勝戦で配布された観客専用のゴーグル。自律型AIが搭載され、一般人でも意思の力を視認することが可能。一台当たりの下代は約2500ユーロ。個別販売価格は倍掛けの5000ユーロと見ています」


 下代は仕入れ価格。そこから利益を出すために値段を上げる。


 倍掛けの場合、原価率は50%。半分が下代。半分が利益になる。


 一方で、車の原価率は約80%。八割が下代で、たった二割が利益。


 つまり、この価格提示は原価率が高い商売をしている相手ほど効く。


 あたかも、利益が出ると勘違いさせるための、数字を使ったマジック。


「ひゅー、さっすが。見立ては概ね正しいし、倍掛けも悪くない」


 リッカルドは機嫌よさげに口を鳴らし、事実を認めた。


 反応は上々。これでこそ、下調べをした甲斐があったってもの。


「……ただ、5000ユーロと見込んだ商品を、950ユーロで買い叩くつもりか?」


 しかし、眉をひそめ、目つきは険しくなる。


 同業者だからこそ分かる。これは、商売人の目。


 商談は、目先の利益に飛びついたら負け、なのよね。


 それをよく分かってる。さすがは大手の社長ってところ。


「ヴィータと呼ばれる、裏社会専用の独自通貨をご存じですか」

 

 畳みかけるなら、今しかない。


 ここで魅力的な提案を持ちかける。


「一枚1000ドル程度の価値で裏の住人を頼れる。ただし、一般人は使えない」


  下調べしてきているのは、相手も同じみたいだった。


 どこで情報を仕入れたかは分からないけど、足元は見れないっぽい。


「招待状をお付けします。一度コネを作れば、無限に使いようはあるかと」


 ただ、それすらも見越し、すでに用意してある。


 差し出すのは一枚の黒い硬貨と、一筆添えた書簡だった。


 これで現金950ユーロ+1000ユーロ相当の黒貨+裏社会へのコネ。

 

 『ナビ』の5000ユーロに十分届くほどの価値は提供できているはずだった。


「約2000ユーロの現金と通貨に、裏社会へのコネクションか……」


 硬貨を手で触り、丸まった書簡を開き、隅々まで目を通していく。


 言うまでもなく詐欺を警戒してる。残念ながら、全部モノホンだけどね。


「お気に召しましたでしょうか」


 一通り確認し終わったタイミングで、セレーナは告げる。


 我ながら差し込む間が完璧だった。これで落ちない人はいない。


「……残念ながら足りないな。俺の見立てでは、3000ユーロってところだ」


 しかし、相手は甘くなく、地に足ついた思考で淡々と述べた。


 実際、計算は妥当だった。だって、書簡にそこまでの価値はない。


 肩書きがない今、どこまで効力があるか分かったもんじゃないからね。


「そうですか……。残念ながら、商談はこれまでのようですね」


 ただ、こんなところで諦めるわけにはいかない。


 押して駄目なら、引いてみろ。帰る素振りをしてやる。


 もちろん、差し出そうとした紙幣と物は全て回収していった。


「あー帰れ帰れ。鑑定眼には自信がある。セコイ駆け引きには乗ってやらん」


 ただ、それが逆効果だったのか、手を払う素振りをしている。


 状況は絶望的だった。恐らく、九割以上の人はここで諦めるはず。


「……帰る前に、少し机をお借りしても構いませんか?」


 ただ、諦めが悪いのが売りなのよねぇ。


 用意した最後の策に向け、次なる手を打つ。


「あぁ、勝手にしろ。終わったら、とっとと帰れよ」


 期待値はどん底。ここからまくるのは至難の業。


 だけど、絶対に欲しがる。差分を埋める価値は作れる。


 だって、ここにあるのは、ただの物質だけじゃないんだから。


「――」


 セレーナはある物を渡し、ジェノに耳打ちして、やり方を伝える。


 きょとんとした顔で「え、いいですけど……」とジェノは引き受けた。


「…………っ」


 すると、興味なさげだったリッカルドの顔つきが変わっていくのが分かる。


 度肝を抜かれた顔。というより、価値ある宝石を見つけたような顔をしていた。


「さて、用も済みました。お暇させてもらいますね」


 それ以上語ることはなく、背を向けていく。


 声がかからなければ、諦める。その覚悟はあった。


 そして、一歩、二歩と外に向かい、歩みを進めていった。


「……待ってくれ」


 テントの幕に手をかけた時、声がかかる。


 釣り竿の先に獲物が引っかかった感触と似ていた。 


「いかがなさいました? 取引は破談では?」


 笑みを浮かべそうになりながらも、まだ泳がせる。


 短気は損気。焦りは禁物。じっくり焦らすように尋ねる。


 意地悪だって分かってる。でも、こればっかりはしょうがない。


「いくらなら譲ってくれる! 『ストリートキング』優勝者のサインは!!!」


 獲物が食らつくこの瞬間。この時のために、商売人をやってるんだから。


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