第10話 Re:スタート


 3日目。朝。ドイツ。ミュンヘン中心部。天気は晴れ。


 アーチ部分が尖った、ゴシック様式の建物がそびえる場所。


 からくり時計がある市庁舎や、商業施設が並ぶ、マリエン広場。


 その一角にあるカフェ『ヴェルナーズ』。広場に面した、テラス席。


「そろそろお話しいただけませんか。昨日の昼、何があったか」


 朝食を済ませ、小指を立てながら、コーヒーをすするセレーナは問う。


 向かいには、黒いアタッシュケースを大事そうに抱えるジェノ姿があった。


 食欲がないそうで、テーブルにはお冷だけが置かれ、彼の分は注文していない。


「……何度聞かれても言えません」

 

 質問に対し、ジェノは伏し目がちに答える。


 昨日からなぜか、顔を一度も合わせてくれない。


 それも『イリーガル』の調査をするな、と言う始末。


 大事な場面で気絶した方が悪いと言われれば、それまで。


 だけど、理由ぐらい教えてくれたっていいと思うんだけどね。


「困りましたね。時間は有限です。一億ユーロと『黒鋼』の件は早急に――」

 

 自分を助けるためにも、お金稼ぎは大事。


 でも、それと同じぐらい『黒鋼』も大事だった。


 理由は、昔、ほんの気まぐれで命を救ってくれた恩人。


 リーチェ様を助けるために必要な素材だって知っているから。


 だからこそ、両方の目的を同じぐらいの熱量でこなす必要があった。


「『黒鋼』の件は後回しでいいんです。それより今、所持金はいくらですか?」

 

 すると、話を遮るようにして、ジェノは尋ねる。


 表情に余裕はなく、どこか焦っているように感じた。


「資産は凍結されていますから、約1000ユーロと1ヴィータ程度ですね」


 懐から取り出したのは、全財産が入った、黒革の長財布。


 そして、財布の口に装飾された一枚の黒い硬貨。通称ヴィータ。


 組織内で流通している専用の通貨。一枚当たりの価値は、約1000ドル。


 世界各地に根を張る組織の構成員に、便宜を図ってもらうことが可能になる。


「『イリーガル』の件は諦めて、その資産を元手に増やす方向でいきましょう」


 昨日、事務所の別室で一緒にいたけど、口数が異様に少なかった。


 寝た感じもしなかったし、恐らく、一晩中悩んで出したのがこの答え。


「お言葉ですが、ジェノ様。そのやり方はいささか無謀が過ぎるかと」


 まるっきり無理とは言い切れない。


 こっちにはお金を稼ぐノウハウがある。


 だけど、魔術結社を潰せば報酬一億ユーロ。


 そんな超堅実な儲け話には、さすがに勝てない。


 何しろ、依頼元には一括で払えるキャッシュがある。


 それを蹴ってまで、一から稼ぐのは精神的にきつかった。


 よっぽどの理由があるんなら、やってみてもいいんだけどね。


「……そうですか。やっぱり、セレーナ商会がないと何もできないんですね」


 すると彼は、流れるように平然と悪口を言った。


 一瞬、耳を疑った。そんなことを言う人間じゃない。


 汚い言葉とは無縁で、聖人の生まれ変わりだと思ってた。


(きっつ……。正論過ぎるっての……)


 だからこそ、効いた。図星を突かれた。


 三日ぐらいは寝込んじゃいそうな正論パンチ。


 真に受ける必要がないってことは、頭で分かってる。


「超普通になんでもできますけど? あたしを舐めないでもらっていいですか?」


 でも、無視できない。舐められたままじゃあ終われない。


 無茶でも無理でも構わない。やってやりたい、よっぽどの理由。


 そんな発言を後押しするように、11時を示す市庁舎の鐘が鳴り響いた。

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