第5話

 おれは伯母を好いている。好いているから莫迦ばかをやる。莫迦をやるから、おれはいけないと思う。でも、いけないと思うだけでは何も変わらない。変えようとしなれば、勝手に変わってはくれまい。

 もう一つ、ある。

 人間には限度がある。器に水を入れていくと、いずれはあふれてしまう。溢れた水を器ですくっても、器には限度がある。おれと器はそっくりだ。人間は器なのだから。

 しかし、器に穴があれば、器の役割をはたせない。こっちはおれそのものだ。おれは欠けた人間である。が、人々はそれを知らず、悲観的な人間であると云う。

 人々は世間である。世間とは何だ?

 おれが小説で、美しい、という単語だけを書いたら読者は「何が」を求めるが、たとえ「何が」を記したにせよ、読者はそれを感じられず、おれの力量のせいにする。おれではなく、のせいだろ?

 おれは、机の上にある詩編つき新約聖書バイブルを読みながら、そう考えた。イエスは本当に賢い人間で、この人こそが世間やおれの手本となるべきだ。しかし、おれは信仰心のない莫迦野郎だ。おれはイエスを尊敬しているのだが。

 回想に意味はないのだ。

 過去はもう取り戻せないのだ。

 それなのにおれは……

 ああ、きっと欠くものすらないんだな。 おれって。 学生の頃に感じた不安は、 思春期による一定期間のものとばかり思っていた。そう、人間は生きにくい世の中を、たしかに思春期で確認していたのだが、そろって屑入れに捨てちまった。おれは大人になってからも不安なままだ。ぼんやりした不安で、一切具体的にならない。

 おれは不安を忘却するものか、と常常思っている。忘却しないほうがおれは、本当に人間らしくて立派であるように感ぜられるからだ。

 人間でありたい……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る