結末
思考を痺れさせる耳鳴り。
天井から見下ろしてくる視線。
終わりなく響いてくる不気味な笑い声。
朦朧とした意識の中で、私はひたすらに私自身を呪っていた。無力で、無能で、無責任。ここまで追い詰められても舌を噛みちぎることさえできない。Kのために一矢を報いることさえできない。ただ自らの手で紡がれていく結末を眺めている。
だから私は、私を呪うことにした。
自らが重ねた罪を、自らの手で罰するべく、自らに憎悪を向ける。
そうすることで、ほんの少しでも死期を早めるように。全身全霊で呪う。考えられる中で一番恐ろしい体験を与えてやる。全ての希望は絶望への前振りで、その手で守りたかった大切なものは何もかも指の間をすり抜ける――そんな呪いの物語を。
例えば?
例えば――、ああ、こういうのはどうか。
私がこれまで知った・経験したことを、私に再び味わわせる。
どこか矛盾しているように感じるって?
何を言っているのやら。本来、物語に制限なんてない。創作者の好きなように出来る。あなただって散々見てきただろう。なんでもありで、無限の可能性がある。
だから、矛盾なんて気にしなくて良い。
ただ、それでも気になると言うのなら。
呪いを押し付けるのは、まだ何も知らず・経験していない、2022年10月初旬の私にしよう。それがいい。新鮮な気持ちで恐怖し苦悩するはずだ。
全てを知って・経験した「私」が、なにも知らない・経験していない「私」を呪う。ああ、きれいな円環だ。因果応報というよりも、自業自得か。私の行いが巡り巡って、私の元に辿り着く。刑罰としてもお誂え向きだ。
物語の在り方としてもこれほど簡単なものはない。だって、ゼロから構想しなくて良い。ただ、私が知った・経験したことをその通りに書き連ねるだけ。
さて、方向性はまとまった。
呪いを、繰り返そう。
それにしても。
頭の奥がひどく熱い。
粘り煮えたぎっている気さえする。
死にかけの身体にここまでの熱源があったなんて。
否。違う。察した。その圧力には、もう器が耐えきれない。散りゆく前の最後の煌めきというやつか? そんなに綺麗なものではないだろう。どちらかといえば、断末魔の類か。身体を崩壊させながら、死への恐怖を現しているだけ。
良かった。世界に呪いを振りまくよりは、自らを呪い殺す方がマシだ。
ふいに、全身の筋という筋が極限まで引き攣った。
肺が潰れる。視界が廻る。全てが真っ白になる。
地獄のような熱さに、私はついに焼き切れた。
【筆者メモ】
この時、私は正気と呼ばれるもの全てを、完全に喪失していた。
空転する思考はありもしない絵空事の奇策に泣き縋り、ひしと掴むそれがただの藁であることに気付かぬまま、妄執の毒沼へとずぶずぶ沈む真っ最中だった。
つまるところ私は、理解とは程遠いところにいたのだ。
自らが為さんとすることが、どういう類のものなのか。
明確な見落としがある。少なくとも、二つ。
まず、一つ目。
当然のことながら、私は普通の人間だ。
言うまでもなく特殊能力など持っていない。
特別な力を持つ主人公なんて物語の中では掃いて捨てるほど有り触れたものだが、私は主観的には現実世界で生まれ育った一般人である。だから時間跳躍なんて出来るわけがないし、時空を超えて呪いを飛ばす芸当も不可能である。
だから、私が過去の私を呪う云々は、ただの妄想に他ならない。
そして、二つ目。
私は普通の人間ながら、人一倍創作に執着していた。
才能も、技術も、幸運も――優れた所が無いのにこの界隈に足を踏み入れて、有能な人間ならば苦もなく乗り越える壁に、凡人たる私は面白いくらいにぶつかり続けてきた。決して追いつけない天才が身近にいて、絶対無理だと分かっていてもほんの一ミクロンでも彼に近づきたくて、文字通り人生全てを費やした。
凡人にも出来る戦略をご存知か。
試行回数を可能な限り増やすことだ。
華々しさから程遠い、酷く泥臭いやり方。ある種病的な思考法。生活を犠牲にし、手当たり次第にネタを集め、血眼になって物語性を見出して、どれだけ苦痛を伴おうとも無限に等しいトライ&エラーを繰り返していく。
息をするかのごとくそう出来るよう、無理やり我が身に染み付かせた習慣――どれだけ拙かろうと、いついかなる時も頭の片隅で物語を作り上げるようにしていた。
勘違いまみれの妄想と、凡人故の悲しい習慣。
私は、過去の私を呪った。そのつもりだった。
しかしその時、私が実際に為したことは違う。
私は無意識に「物語」を紡いでしまったのだ。
駆け出し弱小作家である「私」が、この「顔の怪異」に苦しめられていくという、事実を元にした恐怖体験談――そんな物語を。
それはさながら、劇中劇のような形となる。
顔の怪異が私に科してくることを、そっくりそのまま私が紡ぐ物語の中の私へと科した。私が受ける異常行動の強制を、寸分違わず物語下の私に受けさせた。
まるで怪異を作品へと落とし込むように。
呪いを物語へと落とし込んだ。
顔の怪異が強制する物語に抗っていない。むしろこれ以上なく素直に従う形となる。その物語は確かに展開される――ただし私でなく、私の創作する世界の「私」によって。苦しむのは私でなくなり、私の創作する下位世界の「私」となる。
物語の中の「私」にとっては、私こそが「顔の怪異」だろう。
そして、ここからが重要だ。
無意識にそうしたといえど、物語下の「私」もまたどうしようもなく私なのだ。私と等しい性格で、等しい発想をし、等しい行動を取る。
すると、どうなるか。
「私」も私と同じ恐怖と苦悩を経た後に、最終的に物語下の「「私」」にこの強制を押し付けるという結末に至る。そのまた下でも同じ。この行程は延々と続く。下位世界の更に下位世界、そのまた下位へとそのまた下位へと繰り返される。
無限人数の私、無限回数の恐怖と苦しみ。そんな世界が無限に展開され続ける。
その無限の生贄により「顔の怪異」の強制は下位世界へ無限に落とし込まれる。
私が為したのは、そういうことだ。
こうして、私は「顔の怪異」から解放された。
この日この時を境に、奴は現在まで一度も私の元に現れていない。今なお、私を苦しめた末に物語に落とし込まれる、というのを続けているのだろうか。物語内の私たちにとってもそうだが、特に「顔の怪異」には無限地獄のようなものだと思う。
物語は永続するが、決して結末には辿り着けないのだから。
私はこのことを考えると、今も苦笑いを漏らしてしまう。
こんな捻くれたオチ、Kは選ぶはずもないよなあ、と。
目を覚ました私はすぐに、完成した呪物たる原稿データを削除した。
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