『Re:Re:Re:Re:ホラー小説のプロット案』
私にはもう、現実と妄想を正確に区別する自信がない。
それは今回の実験的挑戦において決定的な敗因となる。「顔の怪異」は人間の肉体を強制操作する力こそあろうとも、その精神を支配することはできない。だから精神が崩壊する者が多数いた。そこが鍵となる。
現実と妄想はきちんと区別しないといけない。
妄想をするのであればきちんと戦略的に妄想を展開しなければならない。正気を保ちながら正気を手放す矛盾を成り立たせなくてはならない。そう言葉にすると不可能な気がするが、元より創作活動中の精神状態なんてそのようなものだろう。
私はささやかな保険として、私自身を撮影することにした。
携帯端末の画面とTVモニターを共有させていく。しょせん気休め程度にしかならないが、これで常に自身を観測しよう。妄想に捕らわれて無駄な行動をしていないか逐一チェックするのだ。やがてモニターには、「顔の怪異」から見ているような第三者視点が映る。こぢんまりとした六畳の部屋に、やせっぽちの私の姿。
はは、と思わず笑ってしまう。
髪がぼさぼさで死ぬほど顔色が悪い。ろくに生気を感じられない。すでにあの世に片足を突っ込んでいると言われたら誰しもが納得するだろう。まさに呪いのビデオの登場人物でございます、といわんばかりの風貌ではないか。
いずれにせよチャンスは今回限りと思ったほうが良い。
残された体力的にも、精神的にも、物語的にも。
時を待った。日が暮れる。
ほどせずして、耳鳴りが近づいてくる。
緊張で全身が震える。呼吸が浅くなる。腹の底から冷え切っていく。今すぐ逃げ出したい。首を吊るなり飛び降りるなり首を切るなどしてしまいたい。さっさと楽になってしまいたい気持ちを、Kのことを思い出して耐え続ける。
物語と戦うためには何かしらの特別な理由が必要だ。
ならば、こうしよう。
これは、弔い合戦だ。
天井いっぱいに薄らと浮かび始めた大きな顔。
裂けるような笑み。弓なりに歪む目蓋。ぎらつく瞳。
私の朽ちかけた両手が、何かを予感してむず痒くなっていく。
前回の強制が起きたのは三日前。
紡がされてきた呪物はもう完成間近。あとはその結末を打ち込むだけで、世に発表できる形になる。モキュメンタリー・ホラー作品として、何かしらの形でこの世に発表されることになる。私の手で感染源と感染経路を確立した「顔の怪異」は今まで以上に効果的かつ効率的に拡散し、数多の人々を苦しめることになる。
それこそが、私に用意された物語。
瞬く間に解像度が上がっていく化け物は、それはそれは楽しそうに湿った息を断続的に漏らしている。尖った歯と歯の間に、細く涎の糸が引くのさえ視認できる。
私は震える声を押し殺して、こう吐き捨てる。
さっさと来いよ。私が相手だ。
―――――――――――――――――――――――
耳鳴りは強まっていく。
天井に生えた顔に、塩を投げつけようとも、包丁を突きつけても、火炙りを試みようとも、ひるむ様子はない。モニターに映る私は、何もない天井に向かって攻撃を繰り返す異常者そのものだった。やはりあくまで実体の伴わない幻覚なのだ。
物理的にはどうしようもない。それもそうだ。物語の登場人物が、作者や読者を殺すことが出来ないのと同じようなもの。
耳鳴りは強まっていく。
ならば、呪いの言葉はどうだろう。
「ねえ」
「あなた、さ」
「ちょっと、あなただってば」
気づいていないとは言わせない。
私のことを、これまで眺めてきただろう。
「私はあなたに話しかけてるんだって」
「視てるじゃん、私をさ」「なら私が言ってる事だって分かってるんでしょ」「知らんぷりしたって無駄。そう、あなたに喋ってるの」「私を、私たちを、この世界を、上位世界の安全圏から視ているつもりでしょ。面白い? それとも下らない?」
「でもさ、そこって、本当に安全なとこなのかな?」
「何が言いたいかっていうと」
「あなたも私と大差ないんじゃないのってこと」
「私だって物語を創作してる時はこんな風になってるなんて思いもしなかった。こうしてあなたの創作する物語に強制される立場となって気付かされた」
「だったら、あなたがそうならない理由はない。自分だけは大丈夫? 自分たちが入れ子構造の一番外側だと盲信するのは何故? 確証なんて何一つ無いじゃないか。あなたの世界にだって上位世界があって、私と同じくある日ある時突然気付かされるんだ。自分は物語の奴隷だったと。――それとももう、既に始まってるかも」
「あなたの周りをよく視てよ」
「きちんと確認した方がいいんじゃないの」
「独りでいるはずが、何か気配を感じない?」
「見知らぬ顔が、物陰か暗闇から覗いていない?」
巨大な顔は、動じる様子はない。
不発だ。
耳鳴りは強まっていく。
モニターの中の、虚空に向かって喋る私。
それを視ていて、疑念を抱き始める。
一つの、ある可能性について。
まさか私は、本当におかしい?
いや、何度もそう思ったことがあり、その可能性について言及してきた。ただ、そういうことではなくて。この携帯端末のカメラが映す姿こそが、私の本質なんじゃないか。私が知った・経験したことは全て、嘘や偽物なのではないか。
というよりも。私の、妄想?
私が売れない新人作家であることも、次作の打ち合わせを担当編集と重ねてきたことも、「顔の怪異」を見出してしまったことも、そしてなにより私とKとの関係性ですら、何もかもが私のこじらせた脳内で繰り広げられたものなのではないか。
ひたすらに、虚空に向かって喋る私。
筋は通らなくはない。悲しいことに。
もう夜中のはずだが、奇妙に明るい。
嗅いだ覚えがある、つんとした香り。
誰かが、私の名を、呼んていないか?
周囲の空気が生温く濁っている。あれだけ恐ろしかった顔の怪異が、いまや無機質なハリボテにしか見えない。何かがおかしい。目に映る全ての質感がチープになっていく。息苦しい。世界がゆらゆらと歪む。バランスを保っていられずに突き出した手。感触。不可視の薄膜の存在に気づく。反射的に指を引っ掛けたら、思いの外簡単に穴が開く。気圧の急変化。爪先程度の穴にこぞって集まり、そこを起点に膜がべろんと裂けた。私を取り巻く現実という液体はあっけなく、私を含む全てが流しだされていく。放り出される。眩しい。明るすぎる。それでもどうにか目蓋をこじ開けると、私は白く無機質なベッドの上にいた。身体が重い。看護師が私を見て、病室の外へとすっ飛んでいく。記憶よりも随分と老け込んだ両親が、驚愕の表情で――。
目蓋を、開く。
変わりなく薄暗い自室。
天井には今なお巨大で生々しい顔がいる。
私は思わず舌打ちをし、その音の遠さにたじろいだ。
耳鳴りは強まっていく。
どうして。どうして。どうして。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
なんで私にこんなことをさせる? 何故私なのだ? 呪いを拡散させるものを作らせたいのなら、もっと効率的に行える立場の人間なんてごまんといるだろう。私なんかよりも名の知れた売れっ子で、万人受けする話を書ける、そんな人気者の大作家の方がいいに決まっている。例えばKのような。
なのに、どうして私が選ばれたのか。
私でなければいけない理由。
その必然性。
もしや。
「そうか」
あえて私に取り憑いたのは。
それは私に、分不相応で類まれな執着があったから。
今度こそ、凄まじい作品を作り出す――。
「なんだ。あなたは、私の執着に同乗したわけだ」
わかった。ならばこうしよう。
私は今この瞬間をもって、その執着とお別れをする。
意外に思われるかも知れないが、至極当然の選択だ。「顔の怪異」にとってはただの創作だとしても、私にとってこの世界は現実なのだ。実際問題、世界と秤にかけて勝るものなどない。セカイ系のボーイミーツガール作品じゃないのだから。
創作活動と縁を切ることで、世界を救えるのならば安いもの。
パソコンを窓から放り投げようとして――手が止まった。
強制されたのか、そうでないのかは分からない。
どちらにせよ、これも駄目だということだ。
耳鳴りは強まっていく。
無理だ。やはり私では無理だったのだ。
迫りくる巨大な顔に、こらえきれず絶叫した。
常軌を逸した表情で頭を抱えて固まる。突然背後から投げかけられる「カット!」その声で撮影は終了となった。クランクアップを迎えた私はスタッフたちから花束を渡されて――。いや、これも駄目だ。さっきの妄想オチと大差がない。
耳鳴りは強まっていく。
そうだ。
これが物語ならば、作者の他にも何かしらの形で制作に関わる者がいるはずだ。私が作品を世に出したときだって少なくとも担当編集がいた。そうでなくとも書いている途中のものを誰かに読ませている可能性もある。
「あのっ、私のことを視ている方、いますよね?」
「どうか、こんな酷い物語やめさせてください」
「お願いです。私を助けてくれませんか」
「助けて。助けて。死にたくないよ」
「苦しいんです、辛いんです」
「見捨てないでください」
「助けて、お願い」
「私は、」
耳鳴りは強まっていく。
はたと、手が止まってしまう。頭が真っ白になった。
なにか、なにか試さないと。もっと良い結末を紡がないと。
耳鳴りは強まっていく。
ぐしゅ、と嗚咽が漏れてしまう。泣いている場合じゃないのに。
やめろ、やめろ、やめろ。絶望するな。出来ないのなら潔く死ぬべきだ。
耳鳴りは強まっていく。
どれだけ自分に言い聞かせても、動かない。動かしようがない。だってもう、思いつかないのだから。あいつが嘲笑う声が煩いせいだ。たまらない。限りなく予知に近い濃厚な予感により、頭頂部から足の先までまんべんなく肌が粟立つ。
私は。私は。私は。
耳鳴りは強まっていく。
ああ、くそ。
耳鳴りは強まっていく。
ごめんなさい。
耳鳴りは強まっていく。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
耳鳴りは強まっていく。
耳鳴りは強まっていく。
耳鳴りは強まっていく。
弾かれたように、私は傍らに放ったままにしていた包丁を掴む。
両手でその柄を深く握り込んで、切っ先を喉元に向ける。激しく震える。面白いくらいに照準が定まらない。上手くいくためには一息で突き刺すべきなのは重々承知している。しかし息がろくに整わないのだ。そうしている内に激しい震えから、刃先で喉を突いてしまう。あっ、と思う。ぞっとする痛み。脊髄反射で包丁を投げ捨て、泣きじゃくりながら喉元を両手で抑える。死ぬ。死ぬ。全身が一気に冷たくなる。
しかしいつまでたっても死なない。確認する。
血は出ておらず、薄皮さえ剥けていない。
あれだけ決死の想いでやったのに。
僅かに刃先が触れただけらしい。
モニターに映る。ぅ゙ぅ゙―、ぅ゙ぅ゙―、ぅ゙ぅ゙―、死にかけの獣のような声が漏らす私。さっさと死んでしまいたいのに。出来なかった。もう無理だった。死ぬことそのものよりも、もう一度あれを繰り返すことが死ぬほど怖くて出来やしない。
耳鳴りは、最高潮に達した。
K、助けて――ああ、来る。来る。来る。
大きな顔が高らかに嘲笑っている。万策尽きて心が折れるまで、ご丁寧に待っていてくれたらしい。私はノートパソコンの前に座り込む。両手は導かれるままにキーボードを打ち込み始めた。読むと呪われる作品が、完成していく。
最悪だ。
物語が、こんな終わり方を迎えるなんて。
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