筆者の実地取材記録[二代目・荻窪のグランマ]


「――あなた、凄いのを憑けてきたわね」


 開口一番、その少女は全てを見通したように言った。

 スピリチュアル業界の裏側を知り、それに忖度なく物申していた荻窪のグランマなる人物。その後継者を名乗る人物からSNS経由で連絡があり、実際に会うことになったのが三月に入ってからのことだった。

 荻窪のグランマ。

 例の雑誌やネットで出てきた顔写真では、六十から七十代程、今でも毎日肉料理を好んで食べていそうな生命力溢れるおばあちゃん、という感じの人物だった。

 その二代目なのだから、きっと似た雰囲気の人が来ると思っていた。

 予想は斜め上の方向に裏切られた。待ち合わせ場所の喫茶店には異彩を放つ人物がソファー席でふんぞり返って足を組んでいた。糊がとれた白衣に緋袴――つまるところ巫女装束を着こなしていて、マスクで隠れていても分かる整った顔立ちには、ややあどけなさが残っている。きっと二十歳そこらもいっていないのではないか。

 ただ、その若さとは裏腹に異様な迫力がある。

「なに呆けているの。あなたがRintoさんでしょう?」

「……ああ、はい。すみません。そうです」

「顔の怪異、ね。旧い時代の土地神じゃないの。よくもまあ生きてこられたこと――これはおばあさまも危険視するわけだわ。全く何を考えているのだか」

 そう、唄うような軽やかさで言ってのけた。

 なんだか、漫画や小説のキャラクターみたいな人だな、と思う。

 彼女はアイスココアを、私はアメリカンを注文した。それから私は、ぽつりぽつりと確かめるようにこれまで起こった出来事を話していくと――何故か一度も「顔の怪異」に介入されることなく、全てを話し終えることが出来てしまった。

「……だから、この『顔の怪異』から逃れる方法はないかなって、」

 説明をそう締めくくるも、私は終始変な顔をしていたと思う。

 ――どうして、助けを求めることを、顔の怪異に邪魔されなかった?

 その驚きと戸惑いで頭がいっぱいだった。こんなことは初めての経験だ。全てを誰かに伝えようとすれば、必ずどこかで「顔の怪異」が私の身体を静止してきたのに。

 僅かな耳鳴りさえしない。これは彼女が本物、ということか。

 当の彼女は明日の天気を気にするくらいの口振りでこう呟く。

「そう。それならまだ、なんとかなるわね」

「え?」

「え、って何よ。助かる方法があるってこと」

「――――っごほっ、ほっ、本当ですか!?」

 予想だにしなかった言葉に、半ばむせかけつつ問う。

 気の強そうな顔のその口元が片方だけ釣り上げた彼女は、

「ええ、安心して頂戴。偉大なるお祖母様が、その攻略法を見つけていたの。――それではね、Rintoさん。ここからビジネスのお話しをしましょうか」

「び、ビジネスですか? それはどういう――」

「相談料よ。あなた幾ら払えるの?」

 喜びもつかの間、突きつけられたのは酷く現実的な話だった。彼女は具体的な金額を提示することなく、私が回答するのをココア片手に待っている。

「さ、三万――」

 言いかけた所で、凄まじい殺意をこめた視線が飛んでくる。

「あなたね、これを教えて貰えなかったら死ぬのよ?」

 それもそうだった。私は携帯端末の銀行のアプリで預金残高を確認する。元々家計は自転車操業一歩手前の低空飛行状態だったが、少し前にデビュー作の印税が入ったおかげでわずかながらも余裕は出来た。その額、三十二万と八千円。

 迷うべきではないだろう。

「……三十二万円でいいですか。コレが今、私が用意できる最大の誠意です」

「ふう――それじゃそれでいいわ。隣にATMあるから、今下ろしてきて」



 お金を渡したあと、それをきちんと数えてから懐にしまった彼女は、その代わりに一枚の和紙と筆ペンを取り出して、ある住所を書き始めた。見た目から想像するのとは程遠い丸々とした文字なのが印象的だった。

 千葉県市原市面削山西入327

「駅の方から山手に入ってずっと坂を登っていくと、面削神社っていうところがあるの。ネットには載っていないけど、ここは全国で唯一あの『顔の怪異』に対応できる社。本殿の奥にある小振りな木彫りの面に日本酒をお供えするの。その際に――」


 ・必ず一人で訪問すること

 ・今日を除く大安の午前中に行うこと

 ・日本酒は一升瓶を二本用意し、二本縛りにして熨斗をつける

 ・木彫りの面の前に立ち最敬礼をして、「お引き受けください」と三度唱える


「――そうすれば、あなたを悩ますものは立ち去ってくれるわ」

 必要事項は全て伝えたと言わんばかりに、ココアをストローで飲み干した彼女は、颯爽とその場を後にする。私は慌てて立ち上がり、その目立つ後ろ姿に「ありがとうございました」と投げかける。彼女は振り返りもせず、軽く手を挙げるのみ。

 やがて、扉から出て街角へと消えていった。

 ――立ち去ってくれる。

 ――立ち去ってくれる。

 ――立ち去ってくれる。

 私は自然と感動にうち震えていた。

 助かるのだ。助かる。本当に助かるなんて。

 自然と涙が溢れてしまう。もうこの恐怖に怯えずに済む。

 次の大安の日は、六日後の三月七日。

 ここまでどうにか踏ん張れば、私の平穏は取り戻される。

 ありがとうございます。ありがとうございます。気がつけば今までろくに信じていなかった神様という存在に心の底から感謝の念を捧げていた。そう。人生は不幸ばかりが続くわけではないのだ。だってそれだと、視ている側だって飽きるだろう。

 生きるための道筋が立てば、自然と私の精神は回復していった。

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