友人作家とのやりとり4―1

『――を押してください。終了する場合は、ゼロ、を押してください』

 

 そのアナウンスを最後に音声は停止し、端末画面はゆっくりと暗くなっていく。

 赤提灯系の飲み屋特有の、どこか心地良い暖かな喧騒の真っ只中にいるにも関わらず、私たちのテーブルだけは切り離されたかのように空気感が違う。

 私の前に座る、少し痩せこけたKは伏し目がちにジョッキを傾けた。

「ん? ――まあ、ちょっとここ最近、忙しくかったんだよ」

「もうちょっと身体に気をつけなよ――それで、この音声って、藤石宏明の?」

「おう。やっと当時の担当編集と会えてな、録音させて貰った」

 佐藤氏から来たメールの内容がどことなく気にかかって、Kにメッセージを送ったところ、やや間こそあったものの拍子抜けするほどに普通に彼から返信が来た。

 面白いものを手に入れた。

 近いうちにどこかで飲まないか、と。

 私自身も近況報告したかったこともあり安請け合いし、そうして当日現れたのがこのやつれながらも多幸感に溢れた顔をしているという、不可解な表情のKであった。

「じゃあ、フェイクの可能性はない、ってこと?」

「そう。……たまんないだろ? 現実と架空の区別をきちんと出来て、それを狙い通り操縦するから読者を魅了する『超一流の作家』がだぜ? その最期が、架空の存在であるはずの怪異に毒されて、こんなふうに成り果てたってワケだ」

 それはそれは楽しそうなKは、どこか義務的にジョッキを空っぽにする。

 よほど気分がいいのだろうか、飲むペースはいつもの数倍以上の速さだった。

 私は私で頼んだ日本酒を少しずつ傾けつつ、ここしばらくの間で体験したこと、知ったことを仔細に彼に伝えていく。一通り終えた後、Kは言う。

「ははあ、Rinto先生も意外と繊細なところあんだな」

「やめてよ。……ほら、なんか怖いスイッチみたいなのが入っちゃうことって、ない? 普段なら全然平気なホラー動画も、その時に見るとめっちゃ怖く感じるみたいな」

「逆ならわかるけど、怖さの解像度が急に上がるってのはピンと来ねえなあ」

「おかげで寝不足気味だよ。ただでさえ色々不調がちだっていうのに」

「まあ結果オーライだろ。こんなに面白い体験出来てるんだから」

 私には分かる。

 皮肉でもなんでもない。

 本気でKはそう言っているのだ。

「はあ? そりゃあ皮肉なわけねえでしょうよ。――お前さあ、これは、ひょっとするともしかすると、『本物の怪異』かもしれないんだぜ。俺たちがそれらしく創作したごっこ遊びのまがい物じゃあなく、正真正銘のガチのやつ。心、躍らないの?」

 思わず私は、笑みを溢してしまった。

「……ああ、やっぱ言うんだ」

「ん? なんだよ、その反応。怪異って言葉が胡散臭いってか? それじゃ、認識すると脳が深刻なエラーを起こす諸情報ってのはどうだ? 現在の科学技術では未だ解明されていないこの世界の自浄作用による影響、っていうのは?」

 放っておいたら無限にアイデアを出し続けそうたった。私は先んじて制す。

「別に怪異でいいよ。……いや、たださ、いくら作家といえど――いや、作家だからこそ、か。実生活ですべき発言じゃないなって思って。『本物の怪異かも』だなんて」

「はは、そりゃそうだ。ついに頭がおかしくなったとしか思われねえわな」

 しかし、私は正直に言うと、Kならいつか言及すると思っていた。

 これが『本物の怪異』である可能性――私独りが思うだけなら安々と口には出せない。しかし彼さえそう思ったのなら、私は怖さを無視して大見得を切ってみせる。

「本物の怪異、か。確かに刺激的で貴重な体験だよね。人生観が変わるくらいに」

 Kはだよなあ、と嬉しそうに頷く。

 何故そんな馬鹿な真似をするのか、不思議がる人もいるかも知れない。怖いのならば無理をせず、近づかなければいいじゃないか、と。

 だから、ここできちんと理由を伝えておこうと思う。

 当人であるKには絶対に知られたくない、私が秘する感情――。私は、ほんの少しでも、彼がいるところへと近づきたかったのだ。



 これまで得られた情報をKと擦り合わせていく。

 私は絹澤匠の殺人事件に関連する情報を主にして、それに加えて何かしら共通点を見出だして記録した諸々のデータ。Kは主に、藤石宏明の失踪に関連する情報。

 しかし、私たちは刑事でもなく、何かしらの機関の捜査官なんかでもない。

 出来ることといったらそれほど多くなく、繋がりそうな出来事を繋いで粗の少ないエピソードを紡ぐこと、それから人物たちの行動原理を考えることくらいのもの。

 当人にしか視えない、顔の幻覚。

 実害のない、ただの幻覚とされるもの。

「でも、それっておかしくねえか? 実害のない幻覚だろ? 最初はそりゃ怖いだろうけど、そんなのずっと続いてたら嫌でも慣れちまうだろ」

「私はそれっぽい顔を見て、全身鳥肌立ててビビり散らかしはしたけど」

 Kは呼吸をするようにジョッキを空けていく。

「だから、初めのうちはそうかも知れねえけどさ。でも十数回以上も見せられりゃ嫌でも慣れるって。考えてみろよ。幼少期から幻覚見て育ってきたキャラがさ、大人になってもその幻覚を初めて見た時と同じように全身鳥肌立ててビビリ散らかすシーンなんて書き続けたら、絶対リアリティ不足だって読み手から突っ込まれるだろ」

 そう言われて腑に落ちた。確かにそれもそうだ。

「それじゃ、絹澤匠が不安定になった理由はそこではないって、Kもそう思うの?」

 顔の幻覚は、実害がないと言われた。

 あったとしても、表情が変わる程度。

「そりゃそれだけじゃ動機が弱いだろ。顔の幻覚に苛まれるヤツらは皆、最終的には死ぬなり殺すなり捕まるなり失踪するなり、悲惨な最期を迎えるだろ? そうなっちまうに値する、共通する大きな苦悩がないとおかしい」

 それは、例えば。

 寝食を忘れて彫刻に没頭するような。物陰から道路に飛び出す自殺行為をするような。手がボロボロになるまで縫い物を続けるような。リアリティのない陰謀論にのめり込んでいくような。好きでもない陸上競技に人生を捧げるような。

「思い当たるのは……彼らがする――偏執的な、異常行動」

「そうだとすると、そういう異常行動の苦悩が最も大きくなるシチュエーションは?」

 Kは笑い出す直前の表情を保ったままビールを飲み干す。どうやら彼は、すでに自分なり答えを用意しているらしい。

「異常行動をしないと不安になるとか? 異常行動している間は自分の意識がなくて、それに後から気づいて後悔する? ……いや、違う。やっぱり一番嫌なのは、自分の意識は正常なのに、身体が勝手に異常行動を強制させられるってこと、かな」

 Kはどこか嬉しそうに、その大きな身体を揺すった。

「俺も、それが一番怖いと思う。お前がプロットをそう立てたように」

 そこで私は、ふと不安になった。


「あれ。それだと結果的に、私がその『顔の怪異』を、勝手に自分の作品のプロットに落とし込んだみたいになっちゃうんじゃないかな」

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