絹澤正樹へのインタビュー音声より抜粋

 Q:絹澤匠さんの幼少期について

 匠は、昔からいい子だった。小さい頃から親の話を理解できる子で、わがままとか癇癪とかもあまりない、育てやすい子だ――よく弟(絹澤匠の父)が言っていたよ。運動方面に才能があったからな、すぐスポーツ教室に通わせて。ちょっと教えただけでぐんぐん吸収して、いや、もう、凄かった。あれは小学校の県の予選会だったかな。他の選手の子が必死に十メートルそこらを走っているその横で、平気な顔してその倍以上を進んでいくんだ。大人の選手だって顔負けのキレイなフォームでな。そりゃあ大きくなるにつれて、練習が苦しいだの大会へのプレッシャーだので、不安定になることだってあった。でも気持ちの切り替えがとても上手でね。今まで泣いていたのが嘘だったみたいに、練習が始まれば熱心に取り組むし、大会では穏やかな顔でメダルを獲ってくるんだ。スポーツで名を馳せるために生まれた子なんだって俺ですら思っていたし、当の両親である弟も弘子さんなんて、なおさらそうだっただろうな。


 Q:絹澤匠さんが悩まされていた幻覚症状について

 まあ……、感受性が強いところも、なくはなかった。普段から大人びているんだ、そういうところがあってやっと年相応だと思っていたけどな。何もないところを見て急に怖がったり――ああ、そう。まさにさっき君が教えてくれた、弘子さんがネットに書いていた話みたいにね。え? 何が視えるって言っていたか? それは、……。誰かの顔だけが、ぼうっと浮かんで視える時がある、その程度のものだよ。それが何かしてくるわけでもない、ただ、見てくるだけ。練習や大会の前後だとか、リラックスしている時にな。匠も人生を掛けて陸上に打ち込んでいたから、そういう形のストレス反応が出たって、おかしな話じゃないだろう? 第一、匠はなんだかんだ言うことはあっても、最後の最後まで、自ら陸上競技を離れたことは一度もなかった。そりゃあ、出来る限り支えるのが親心だ。そうだろう? ……変な詮索はよせよ。一部の週刊誌に書かれていたような、教育虐待だの行き過ぎた指導だの、見当違いも甚だしいよ。だから君が言っていた通り、きっとその――異常プリオン、といったかな? 脳が誤作動を起こして、正常な判断が難しくなったのが原因だ、というのは大いに納得がいく。それ、必ず大々的に記事にしてくれよ。そうすれば、匠だって救われる。


 Q:幻覚症状について、他に覚えていることは

 覚えていることも何も、今話したのが全てだ。何かをしてくるわけじゃない。ただ、たまにそれが視えるだけ。ああ――まあ、時折、表情が変わるとは言っていたかもな。ずいぶん昔に聞いただけだが。……競技中は笑っていたり真剣な顔したり、寝てふと起きたらつまらなそうにしたり怒っていたり。もしかすると、匠が表に出しきれない感情を、そういう形で処理していたんじゃないだろうかね。匠が中学に上がってからは休みなく陸上の練習で忙しかったから、そんな話を聞く余裕もなかったが。


 Q:匠さんは、SNSで陸上競技を辞めたいという投稿していたようですが

 匠が? 本当に? (以前記録したデータを見せる)――これは、匠がネットに書き込んでいたっていうのか? ……いや、しかし、匠は泣き言をいうこともあったが、それでも陸上を続けたのは本人の意志だぞ? 雨が降ろうが槍が降ろうが、直前まで泣き叫んでいようが、最終的には穏やかな顔で練習に励んでいたんだ。本気で辞めたいって言うのなら、弟も弘子さんだって止めなかっただろうし、何よりそこまで嫌だったなら普通自分から競技を離れるだろ。


 Q:ですが、そうはしないで、あの事件を起こしたのですよね

 ……だから、それは君がさっき言ったように、匠が正常な判断ができない状態だったから、ということだろう。そうじゃなきゃ、あんなことはしない。出来る訳がない。実の親の顔を、あんな風に――。


 Q:剥ぎ取って、その一部を持ち歩いていた、と報道にありましたね

 …………。しかし、後になって、匠は後悔していたし、反省していた。自分はなんてことをしてしまったんだ、ってな。匠は、その顔の幻覚とやらが、親から受けるストレスによって発生しているんじゃないかって、その時は、そう思い込んでしまったらしい。それで……。だから、きっと、錯乱状態だったんだ。


 Q:どうして、それを持ち歩いたのでしょう

 ……幻覚が消えるかを確かめたかった、らしい。錯乱中のことだ、わからんよ。


 Q:何か、おかしくありませんか

 ……は? どこが?


 Q:匠さんは、結局のところ、何に悩んで、何を恐れていたのでしょう

 いや、それは……幻覚が視えること、だろう?


 Q:SNS上では、陸上を辞めたくても辞められない悩みが強いように思えます

 だからそれは、弟も弘子さんも、無理強いするようなことはしてないと――。


 Q:それではどうして、辞めなかったのでしょうか

 ……どうして、って。そんなこと、本人にしか……。


 Q:彼のSNSの書き込みには、奇妙な強迫観念があったように読み取れませんか 

 ……どういう意味だ? 陸上競技を辞めたら何か不幸なことが起こるだなんて、そんなような妄想を匠が拗らせていたって言いたいのか? 仮にそうだったところで、どうしても辛くて辞めたいっていうなら自ら辞めるだろうさ。


 Q:匠さんの抱えていた問題は、もっと根深いものなのでは 

 君にあの子の何がわかる。結局のところ、匠は捕まった後でも少しもトレーニングを怠らなかったんだぞ? あれだけのことをしてもなお、留置所で独自で過酷な練習メニューを取り組んでいた。それが匠の意志で無かったとしたら、何だって言うんだ。


 Q:……匠さんと、会わせていただけませんか。確かめるべきことがあります

 はっ、無理だな。


 Q:お願いです。 匠さんを悩ませた本質が、もう少しで分かりそうなのです

 そんな風にどれだけ頭下げられたところでな、無理なものは無理なんだよ。

 だって、匠は昨日の夜、自殺しちまったからな。

 ……なんだその顔。君、知らずに来ていたのか?


【筆者メモ】

 見えない何かを怖がる子ども。

 幻覚と強迫観念に苦しむ陸上競技者。

 実の両親の顔を剥いで持ち歩いた殺人犯。

 絹澤匠の真相は、あと少しのところで解明できなくなってしまった。


 しかし、彼は捕まってからもなお、あれだけ辞めたがっていた陸上競技のトレーニングを続けていたという。あまりに不自然ではないか。例えばこれが、両親を殺して捕まることによって、陸上競技から完全に離れようとした――というのならば、そのやり方の酷さはともかく、筋は通るし納得はできる。


 しかし、そうではないのだ。


 どうしてあれほど辞めたがった陸上競技の練習を、両親を殺して捕まった後になっても、継続していたのだろうか。あまりに意味がわからない。刑務所の狭い部屋の中で、独り厳しい練習メニューをこなす絹澤匠の表情と心情が、全く理解できない。


 絹澤匠の伯父は、それが彼の意志によるものだと言った。しかし、果たして本当にそうだろうか。自らの意志で身体を鍛え続ける者が、自ら死を選ぶだろうか。


 そして私は、ある可能性について思い至った。


 もしも絹澤匠が陸上競技全般に関わること自体が、本当は彼の意志によるものでなかったとしたら。陸上に人生を掛けていたと称される彼の日常は、――一体どれだけの責め苦であったのだろう、と。

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