2017.8.4開催 高円寺百物語ナイトに寄せられた怪談話1

「思い出さなきゃよかったよ 前編」


 僕は当時、いわゆる堕落しきった「腐れ大学生」というやつでした。

 やることといったら大体お決まりで、授業そっちのけでサークル棟に顔を出してヒマな奴らを捕まえて中身のない話題でゲラゲラ笑ったり、アホみたいな量の煙草の煙でぼやけた部屋で麻雀に勤しんだり、連日のように安い居酒屋で安い酒を飲んで騒いで「吐いてからが本番」とか訳の分からないことを本気で後輩に語っていました。

 いやあ、本当にひどいものでしたよ。

 そんな向上心とは無縁の馬鹿を二年になっても三年になっても続けていたものですから、気がつけば自然と僕は、僕と同じくらいか、それ以上の腐れ大学生だったAとBって二人とばっかり仲良くするようになっていきました。

 僕とBはただ怠惰で腐れていたのですが、Aはちょっと違うタイプでした。

 なんというか、とにかく面白い奴なのです。ちょっと出かければ必ず笑えるトラブルに出くわすし、言うこともやることもハチャメチャなのです。もしもAが本気で自伝を書くだとか、小説家だとかエッセイストを目指していたら、きっと大成しただろうって思わせる、そんなドラマティックな星の下に生まれついた奴でした。



 その日もいつものように、三人でよくたむろしていたBの住むボロアパートに酒とつまみを買い込んで、いっしょに何か対戦系のゲームをしていたのかな。

 夜が更ける頃に疲れと眠気と、若さゆえの発散しきれない体力が混じり合って変なテンションになっていく中、やがてAは「小さい頃に怖かったもの」をテーマに語り合おうって言い始めたのです。

 僕は確かキッチンタイマーのアラームが苦手だったと話して、Bはアニメで味方キャラが敵に吸収されるシーンで大泣きした、なんて話をしたかと思います。

 それで、言い出しっぺのAの番になったのです。

「最近まですっかり忘れてたことなんだけどさ――アライちゃん、っていう、小さい時の女友達が怖かったんだよね」Aはおずおずと語り始めました。

 幼稚園から小学校低学年の間のAは親の仕事の都合上、頻繁に引っ越しをしなくてはならなかったそうです。どれだけ友達が出来ても一年も経たずに別れてしまうのですから、友達を作ろうとすることも嫌になり、独りで遊んでばかりいたのだとか。

 それが千葉県の西部に引っ越した際に、「アライちゃん」という女の子と知り合ったのでした。Aはそのアライちゃんとどういう関係だったのかその性格も何一つ思い出せないそうですが、可愛らしい笑顔が印象的な子だったはず、だそうです。

 幼い頃のAは彼女と妙に馬が合い、すぐに仲良くなりました。毎日のように家に招いて遊んだそうで、楽しくて楽しくて仕方がない時間だったみたいです。

 ある意味初恋だったのかもしれない――なんて茶化したくなる台詞とは裏腹に、Aは何故か暗いというか、苦虫を潰したような表情でした。

 やがて再び引っ越しをするタイミングが来てしまったAは、アライちゃんにその旨を告げて、大人になったらまた会おうねと言いました。するとアライちゃんは突然激高して、図工で使う彫刻刀を振り回してきたそうです。

 訳が分からないですよね。Aも恐怖と戸惑いで混乱したようです。

 しかしそれも手のひらを斬りつけられ、血がどくどくと溢れてきたあたりで我に返り、殺されると思って転がるように逃げ帰りました。そのままアライちゃんと会うことも話すこともないまま次のところへ引っ越していった――。

 そう言って、Aは話をまとめました。

 ほろ酔いの彼が僕たちに見せてきた左手には、その時に負った思しき、人差し指から手首の右側まで一直線の傷跡が薄っすらと残っていました。手相もわずかに歪んでいたことから、かなりざっくりとやられたことが見て取れます。

「うわ、なにそれ、ヤバイやつだったってこと?」Bが言いました。

「いやいやいや、だとしても、いくらなんでも急に殺意が強すぎでしょ。何かその前段階があって、めちゃくちゃ怒らせるようなことしたんじゃないの?」と僕。

 Aは傷跡を指先でなぞるようにしながら、こう語ります。

「だけどよ、一度も喧嘩したことないくらい、すごい仲が良かったはずなんだよ。本当にその最後の瞬間までは。なんでそうなっちゃったのか――それがぜんぜん思い出せなくて、妙に気になっちまうんだよなあ」


 その時は、それで話が終わりました。

ですが以降、Aは上の空になる時間が増えていきました。最初は僕とBは「Aのやつ、女っ気が無さすぎて初恋の想い出に囚われたんだな」なんて笑っていましたが、 Aは本気でアライちゃんのことを思い出そうとばかりしているようでした。

 さすがにうんざりした僕らは言いました。

「そこまで気になるなら、実家帰って調べてくりゃいいじゃん」

「そんな仲良かったなら親も覚えてるだろうし、写真の一枚くらいあるだろ」

 するとAは本当にその足で、今の実家の所在地である九州に出発しました。

 そして十日そこらほどで帰ってきたようなのですが全く連絡がなく、おかしいなと思った僕とBは、酒やつまみを片手にAのマンションに押しかけました。

 Aの部屋は雑然としていました。

 大小様々な木材が無造作に置かれていて、どこかすえた臭いがしました。異様な量が散らばっている木屑を辿っていくと、積もり積もった木屑の中心にやつれた顔に穏やかな表情を浮かべるAが座っているのが見えました。

 彼のその手には、彫刻刀が握られていたのです。

ぞっとしたのは一瞬でした。Aはどうやら黙々と木材で彫り物をしているらしく、彼の周囲の木屑に混じって三つ四つほど、動物や仏像を模した小振りな木像が並んでいました。素人目に見てもなかなかの出来で、驚きまじりに尋ねました。

「なにしてんだよA――何、お前、こんな趣味あったんだっけ? 上手いな」

「んー、いや、一昨日くらいから、始めたばっかで」

 がりがりがり、と手元の木材を削るAは答えました。

「は? 嘘言うなよ、こんなの昔っからやってないと出来ないレベルだろ」

「んー、いや、……マジで、一昨日からで……」

 がりがりがり、と削る手は決して止めないA。

「それよりお前、帰ってきたなら帰ってきたって言えよ。どうだったんだよ。あのナントカって子のことは……おい。聞いてんの? A? ……おーい」

 がりがりがり、という音だけが響きます。Aは答えもしません。

「おい、A? お前、俺話してるだろ A、なんか言えよ、おいってば!」

 こちらに目を合わせようとしないAが気味悪くなったBは、Aが持つ彫刻刀を力づくで奪い取りました。Aの視線がじろりと僕たちに向いた、その瞬間。


 彼は、耳をつんざくような金切り声で絶叫し始めたのです。


 あまりの大声に僕らは竦み上がりました。Aの充血した瞳には涙が浮かび、また一呼吸置いた後に「ぎぃやあああああああ――」と叫びます。子供のような酷い癇癪を大の大人がやるのですから、気味が悪いことこの上ありませんでした。

 その気迫に飲まれて、取り上げた彫刻刀を慌てて返そうとするB。それに対して、しかしAはのたうち回るように壁際まで逃げながら言うのです。

「――やめろお゙! それを近づけんなぁ゙!」

 そしてAは、嘔吐するのではと思えるほどに咳き込んでうずくまりました。僕らは恐怖から何も言うこともできず、ただ立ち竦むことしかできません。

「うー、うー、うー、……ぁ……の、……そぅ……」

 ぶつぶつ何事かを呟くA。やがて彼がさめざめと泣いているのだと気づいて、ようやく僕らは小さくですが身じろぎをすることができました。

「な、なんだよ どうしたんだよ やめろよビビるだろ」とB。

「……ゃ、ぉかった」

 それは酷くしわがれた声でした。僕は耳を澄ませて聞き直します。

「えっ? なに? A、どうしたの」

「……ぉもい、……ださなきゃ、……よかったよ」

 ――思い出さなきゃ、よかったよ。

 ――アライちゃんのことなんて、思い出さなきゃよかった。

 濁った瞳で虚空を見つめて泣くAは、そう言っているようでした。

「なっ、なんなんだよっ アライちゃんって」


【筆者メモ】

 2022年9月、編集者からのメール返信を待ちつつ、ネットを彷徨っていた。

 暇を持て余して、動画投稿サイトにアップロードされた怖い話特集動画を漁っていたところ、個人的に心惹かれてしまう内容だったためにブックマークしていた。

 動画は後編へと続く。

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