2017.8.4開催 高円寺百物語ナイトに寄せられた怪談話2
「思い出さなきゃよかったよ 後編」
「なっ、なんなんだよっ アライちゃんって」
反射的にBが漏らした言葉に、Aは力無く右手を虚空にさまよわせ――しかしそれを止めてどこかぞんざいに周囲の木屑の山を指さしました。その中には彼が彫ったと思われる、笑顔を浮かべた子供の顔を模したような仮面がありました。
「は? なに、これが、アライちゃん?」
僕とBは顔を見合わせて戸惑いますが、Aは小さく頷いたように見えました。
それから、途切れ途切れにこう言うのです。
「……顔しか、覚えて、なかった、じゃなくて、顔しか、覚えられな――」
そこまで言ったAは導かれるように顔を上げ、目を見開くのです。
元々悪い顔色を更に青ざめさせ、もはや死人のそれのようでした。
「――――っいや、言えない、わからない……でもたぶん、言わない方が、いい」
「いや、ちょっとさ、お前、もうすこしちゃんと説明――」
それでも食い下がるBに対して、Aは首を横に振ります。
「悪い、でも、…………俺は、もう、ダメに、なっちゃったから」
それからAは、這うようにして水道の蛇口から水をたらふく飲み、冷蔵庫の中にある食べられそうなものを貪り、それからまたさめざめと泣いていました。
僕らの問いかけにも、もう二度と答えません。
Aはほどなくして、おもむろに彫刻刀を拾い上げます。
そして、嗚咽を強めて呼吸を荒らげて、苦しそうに泣き叫びはじめました。
何か悪い気を起こすのではと身構えた僕らをよそに、しかしAは、彫刻を再開し始めたのです。今までの情緒不安定が、嘘だったかのようでした。
Aは涙の跡も乾かぬうちに、うってかわって静かに穏やかで、いっそ恍惚としているかのような満ち足りた表情で、ひたすら手元の木材を掘ることに没頭するのでした。
結局のところ、Aはそのまま大学を辞めることになりました。
これは、後からAの母親から聞いた話になります。
九州の実家に帰ってきたAは、すぐに「アライちゃん」なる人物のことを聞いてきたそうです。とても仲が良かったはずなのに、別れ際に彫刻刀で斬りつけてきた子。
「ほら、千葉のあそこで暮らしてたときにさ、よく遊びにきてただろ?」
Aにそう言われても、彼の母親は全く心当たりがありませんでした。
納得せず、物置から幼少期の写真アルバムを大量に引っ張り出してきたA。舐めるように一冊一冊確認していき、ちょうどその頃と思われるものを見つけて、「ほらこれ、これだよ! この俺のとなりに映ってる子! 何枚も一緒に映ってんじゃんか」とアルバムの写真を指さしてを見せつけてきました。
Aの母親は戸惑ったそうです。
写真に映っているのは「アライちゃん」でなく、遠縁の親戚の子である「棚橋エミ」という二個上の女の子でした。当時ご近所さんだったということもあり、棚橋家の面々をよく家に招いたりしていたのですが、Aもエミちゃんもお互い内向的なタイプだったからかウマが合わなかったからか、全く一緒に遊ばなかったのです。
なにか別の記憶と混同しているんじゃないの、とAの母親が答えると。
「いや、絶対、そんなはずはない……そうだよ、だって、ほら――」
Aは手の平の傷跡を突き出して、確かにこの子に彫刻刀で怪我させられたはずだ、と言うのです。Aの母親はそれにも覚えがないのです。自分の子のことですから、大きな傷跡が残るほどの怪我をした時のことを忘れるはずもありません。
そもそも、手のひらを縦断するほどの傷を負ったのなら、病院に行って縫ってもらわないのはおかしい。それは本当に傷跡なのか、傷跡に見えるだけの変わった形のシワなんじゃないのか、とAの母親は言ったそうです。
そう。Aの傷跡には、縫い目の痕跡がありませんでした。
Aは自らの手をまじまじと見て、しばらく混乱していたようですが、渋々ながら一応はそれで納得したような素振りだったそうです。幼い頃にはありがちだという脳内で作り上げたイマジナリーフレンドや、印象の薄かった遠縁の親戚の子との想い出、当時テレビで見たアニメやドラマの内容など――それらがごちゃまぜになったもの。
それが、「アライちゃん」との記憶の正体だ、と。
肩を落として昔の自分の部屋に荷物を置きにいったAは、それからしばらくした後に家中に響き渡る大声で叫びました。何事かとAの母親が彼の部屋に駆けつけたところ、短時間で盛大に散らかされた中にAがへたり込んで泣いていたそうです。
彼の手には、紙のようなものが握られていました。
それはどこかに隠されていたと思しき、古びて黄ばんだ手紙でした。
そしてそこには、子供のようなたどたどしい字で、こう書かれていたそうです。
[■■ねん■■がつ■■にち ワライちゃんとのやくそくのひ]
アライちゃんではなく、確かにワライちゃん、と記されていました。
そして「■■ねん■■がつ■■にち」は、Aが唐突に実家に帰ってきて、母親に変な質問をした後、自室でその手紙を見つけて泣いた――その日の日付だったのです。
それ以来、Aは日を追うごとに精神的に不安定になっていったのでした。
Aはそうなってしまった原因を、僕らにも、家族にさえ絶対に語りませんでした。
そのため、結局のところAの身に何が起きてああなってしまったのか、今でもわかっていません。彼は九州の実家の自室で延々と彫刻に没頭し続け、二十九歳で自死するまでに大小問わず数えきれないほどの精巧な木像を造りました。
それらは今もなお、彼の実家を埋め尽くすように残っています。
今になって、僕は思うことがあります。
ああなってからのAは、常に何か凄まじい恐怖に襲われているようでした。
それが「アライちゃん」だか「ワライちゃん」になのか、それとも「やくそくのひ」とやらになのか、自身が「もうダメになっちゃった」事になのか、はたまた最期まで決して語ることのなかった「彼が経験したある出来事」に、なのか。
傍目から見ているだけでも苦しくなる、そんな怖がりぶりでした。
しかしその反面、Aは何か、なるべくしてそうなった感じもするのです。
なにせ――彫刻をしている時だけは、Aは穏やかで、何の苦悩も感じさせぬ、いっそ恍惚としてさえいるような、そんな満ち足りた表情を浮かべていたからです。
ええと、こんな風に表現すると、奇妙に思われてしまうのですが。
あれがちっとも羨ましくないというと、嘘になってしまうのです。
というのも、僕はその後紆余曲折がありつつも、なんだかんだと普通に大学を卒業し、安月給のためにやりたくもない興味もない仕事を嫌々ながら無理やりこなして胃を痛めている、そんなつまらない人間になりました。
日々、自分を誤魔化して生きるだけなのです。
そんな僕が現実逃避で反芻するのは、何故か決まって、人生で一番苛烈な記憶として残っている――Aがおかしくなった、あの時のことばかりなのです。
一体Aの身には、何が起きたのでしょうか。
彼はただ不幸に遭っただけなのでしょうか。
それとも歩むべき道を歩んだのでしょうか。
そしてAがあの時に掘り上げた、子供の顔を模したような木彫りの面。
彼がどこかぞんざいに「アライちゃん」だと指さした、あの仮面です。
僕は、その細かなところをはっきりと思い出せません。
どれくらいの大きさで、その色味はどうだったか、手触りは滑らかだったか、目は見開いていたかそれとも閉じていたか、どうしてそれをひと目見て「子供の顔を模したもの」だと感じたのか、どんな風な笑顔を形作ったものだったのか――。
あれだけ衝撃的な体験に付随したモノなのに。
なぜか、そこだけ記憶が抜け落ちたかのように、思い出せないのです。
それが僕は、どうにも気になって、気になって、仕方がなくなる時があります。
きっとこれも、深掘りしない方がよい記憶なのですが。
【筆者メモ】
2022年9月、編集者からのメール返信を待ちつつ、ネットを彷徨って出会った動画。このわかりそうでわからない具合と、何か禁忌的なものを想像させるあたりがとても好み。こんなような雰囲気のものも書いてみたいと思う。
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