1だけ人の席

 後数十分でラストオーダーというタイミングに私は玉川珈琲倶楽部へ滑り込む。


 店内は落ち着いた雰囲気、と言いたいところだが祭りの日という事でどことなく火照った空気を漂わせた複数のカップルに占領されていた。


 散々腹この玉川珈琲倶楽部の事をつらつらと述べてきたが、実のところ私自身はあまり来たことは無い。(筆者は良く訪ねてはいる。)


 それは何故かと言われれば単純明快で、何時行っても混んでいるからでお目当ての席に座れないからである。


 そのお目当ての席というのが、彼の人の予約席というよりは専用席になっている窓際の一番奥の席だ。


 彼の人はその席で昼間から半透明の窓ガラスを貫通して射す陽射しの元で本を読んだり、時には原稿を真剣な顔で書いていたりしていた。


 その姿は今でも私の瞼の裏には焼き付いていて、遂にはこうやって筆を取らせるほどの印象的な物であった。


 さて今日はあの席に座れるだろうかと私は僅かな期待を持ち合わせて店内に入っては見たものの、その席を覗き込んでみればあら残念、そこもカップルに占領されていたのだった。


 幸いその席の2つ隣の2人席は空いていたので、店員さんに掛け合ってそこに座らせてもらえることになった。


 私は自分の席に向かおうと、カップルでひしめく店内を泳ぐという表現が正しいと思うようにカップルたちの熱気の中をクロール、平泳ぎ、バタフライで潜りぬける。


 独り者の私にはこの雰囲気はまるで毒、ここは毒の沼で、できるだけこれを吸わないように息を止めて何とか自分の席に辿り着くとようやく息継ぎする。


 今の私がこの空気を吸ったらきっとこの毒に当てられて、私の口からついに毒を吐いてしまうのではないかと思えて仕方ない。


 私はまだカップル達を引裂くような言葉を毒づくまでには落ちてはいないと心の中で復唱し、必死にこの雰囲気に耐えようと一人座って藻掻くのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る