24

 はっとして見上げた階段の上から、おれは目を離せなくなった。

 そこに小さな足首がふたつ、白く浮かび上がるように並んでいた。

「とってよぉ」

 もう一度声が聞こえた。前に聞いたのと同じ、おれよりももっと小さな子供の声だ。

「下にいけないから、とって」

 その子は心細そうに続けた。

(そうか、自分じゃ拾いに来られないんだ)

 見た目では信じられないけれど、やっぱりこの養生テープはちゃんとお札の働きをしているんだ。だからお化けのあの子は、お札を越えてビー玉を拾いに来られないんだ。

 おれはそのとき、すごい意地悪をしているような気分になった。ちっちゃな子にビー玉ひとつ返してやらないなんて、やっていいことじゃないと思った。

 でも、

(二階のことは気にしない方がいいの)

 母さんはそう言っていた。

 そもそもおれが変なちょっかいをかけたせいで、あいつが一階に下りてきたんじゃないか。だからこんな風にお札が貼られることになった。

 きっと、お化けをかまうのはよくないことなんだろう。おれはこれを無視して、部屋に引っ込むべきだ。今は夜だし、ビー玉のことは後で、せめて日がのぼった明るいときになんとか――

 そう思うのに、なぜか足が動かない。いつのまにか体全体が固まってしまって、金縛りってこういうものだろうか、と思ったとたん、トトン、と音がした。

 白い足が一段、階段を下りる。

 トトン。

 もう一段。先に右足をおろし、その後左足をそろえる。

 夏だっていうのに、おれの背すじが急に冷たくなった。鳥肌が立っている。

(なんだろう、寒い)

 この間とは、何かがちがう。

 トトン。また一段下りた。続けてもう一段。足首の上、白いすねまでが見えるようになっている。

 このままだと、いずれ顔を見てしまう。

 それが怖い。

 あの子のことを知りたかったはずなのに、顔を見たら怖ろしいことになるような気がする。

 コン、と音がした。

 さっきと同じように、小さなものが落ちてくる。足元に来ないうちからそれがビー玉だとわかっていた。無色透明な中に赤い模様が入っている。階段から廊下へと落ちたそれは、コロコロと転がっておれの足にぶつかり、止まった。

「それあげる」

 子供の声が続いた。また一段、足が階段を下った。

 まずい。

 早く自分の部屋に逃げなきゃいけないのに、足どころか首を動かして目をそらすこともできない。声も出ない。

 そのとき、すぐ後ろでスッという音がした。

 ふすまが開く音だ、と思った次の瞬間、おれの足元にさっと手がのびた。

 母さんだった。ふたつのビー玉を拾うと、次々に階段の上めがけて投げた。

 足はぴたりと動きを止めた。

 それからくるりと回って、こちらにかかとを向けた。トトン、トトン、と今度は階段を上に上っていく。

 母さんがおれの腕をつかんだ。ぐいぐい引っぱって自分の部屋に入れると、いきおいよくふすまを閉めた。青ざめた顔のひたいに汗の玉が浮かんでいる。

「母さん」

 お礼を言いたかったけれど、のどがカラカラに乾いていて、そう言うのがやっとだった。母さんはおれの方を見た。見開いた目が血走っていた。

「懐かれた」

 母さんが、かすれた声で言った。「あんた、懐かれたね」

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