17

 母さんに言われたとおり体温計で熱を測ってみた。当然ながら平熱だったけど、母さんは「平熱でも具合が悪いときはあるんだから」と言って、結局おれに家事をやらせなかった。

 母さんが部屋を出ていって少しすると、サッシを開け閉めする音やあちこち歩き回る足音、台所からトントンと包丁の音が聞こえてきた。母さんが洗濯物を取り込んで、料理を始めたのだろう。

 おれは、さっきの母さんの顔が忘れられなかった。ふだんはぼんやりというか、「心ここにあらず」みたいな顔をしていることの多い母さんが、さっきはすごく厳しい――というか、いっそ恐いくらいの顔をしていたので、おれは驚いて何も言えなかった。「どうして?」とか「母さんは何を知ってるの?」とか、そういうことを聞いておけばよかったと思ったけど、そんな勇気、おれには到底ないのだった。

 しかたがないからとりあえず布団に戻った。寝ていろと言われたわけだし――でも全然眠くない。じいちゃん家から持ってきた本とかも全然読む気になれない。こういうときゲームがあればよかったな……と思った。じいちゃんの家にはゲームといえばトランプと将棋くらいしかなく、機械でやるゲームはおれにとっては「友達とやるもの」だ。でもこういうときにあったらよかったのにと思った。一人で遊べるし、やってる間は色々考えずにすむ。それとも、こんなときにはゲームをしてても、気が散ってしまってダメだったりするのだろうか。

 そんなことを考えていたので、しばらく大事なことを忘れていた。

 留守番電話だ。あの電話がかかってきて、それからその後の記憶がなくなっている。そのことが妙に気になった。

 おれは部屋を出て、居間に向かった。固定電話には赤いランプが点灯している。留守番電話が吹き込まれたことを知らせるものだ。母さんはまだこれを再生していないらしい。

 改めて見ると、けっこう古そうな機種だ。いつからこれを使っているんだろう。

「どうしたの?」

 物音が聞こえたのか、母さんが居間に顔を出した。

「いや、留守番ランプ点いてるから、だれかメッセージ吹き込んだのかなって」

 おれはそう答えた。母さんは固定電話をちょっと見て何か考えているようだったが、なんだろうねと言いながら録音再生ボタンを押した。

『新しい伝言を、一件、お預かりしています』

 やっぱり誰かがメッセージを吹き込んでいる。誰だろう? 母さんも首をかしげながら、とりあえず録音は聞いてみるようだ。

『一件目。午前十一時二十二分』

 時間からして、やっぱりあのときの留守電だろう。

『もしもし、鏑木かぶらぎさん?』

 お年よりの声だった。おばあさんだ。ゆっくりしゃべっている。

『せの』

 そこでメッセージは途切れた。その後はブツン、ブツンという音が続いて聞き取れない。少しして『このメッセージを消去する場合は――』と固定電話がしゃべり始めた。

 母さんはすぐにメッセージを消去してしまった。それからおれの方を向き、ぎこちなく笑って、

「録音、変だったね」

 と言った。

「古い電話だから、もう壊れかけてるのかもね。さ、まだ寝てなさい」

 ポンとおれの肩を叩いて台所に戻っていく。明らかに様子が変だ、と思う。

 今度は手が動いた。おれは固定電話を操作して、着信履歴を見た。この電話に登録されている番号らしい。

 小さなディスプレイには「セノオサン」と出ていた。おれは近くのメモ用紙に電話番号をメモし、早足で自分の部屋に戻った。思いっきりボタンを押す音がしたから、母さんにはバレただろうか。なんだか悪いことをしたような気がして、ドキドキした。

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