16

 トン、トンとふすまを叩く音は続いていた。その後ろで電話が鳴っている。

 電話か、電話でだれかに助けを呼べばよかったのかな――焦った頭でそんなことを考えた。外に出られなければ電話だって使えないのにバカみたいだ。

 トン、と音が少し大きくなった。かすかな振動がふすま越しに伝わってくる。とっさに取っ手から手をはなしてしまい、その拍子にふすまがガタンと鳴った。

 叩く音が止んだ。その直後、さわってもいないふすまがガタガタとふるえ始めた。

 そのとき、着信音が留守番電話のメッセージに切り替わった。

『ただいま留守にしております。ご用の方はピーッという音の後にメッセージをどうぞ』 

 ピーッという音の後、だれかがしゃべり始めた。

 はずだ。


 次に気づくと、おれは自分の布団の中にいた。


 何があったんだ?

 枕元のめざまし時計を見ると、もう夜の七時に近い。

 まさか。ついさっきまでまだお昼ごろだったはずなのに。

 おれはあわてて起き上がり、すぐに台所に行こうとして、急いでふすまに手をかけた――ところで、さっきあったことを思い出した。

 もしかすると、まだふすまの向こうに何かがいるかもしれない。

 そのとき、トントン、とふすまが叩かれた。

 やっぱりまだ、何かがいる。

 全身の血の気が引いた。目の前でふすまがさっと開いた。

「ただいま」

 ――母さんだった。おれは声も出なかった。

「どうしたの? 顔色悪いよ」

 けげんそうな顔で言われたけど、怖かったのと驚いたのとでまだ声が出ない。とにかく体調が悪いとかそういうのじゃないんだ、ということを知らせたくて、おれは何度もうなずいてみた。

 目の前の母さんからは、うっすらとたばこの匂いがした。今朝着ていった服を着ているし、どう見てもお化けには見えない。やっぱり母さんだ。そう思ったとたん急にものすごく安心して、泣きたくなった。

「寝てたの? 大丈夫?」

「――ごめん、飯つくってない」

 ようやく声が出た。

 母さんはそれを聞いて眉をしかめた。

 悪かったな、と思った。だって絶対めんどくさいよな、つかれて帰ってきてから料理とかするの。そういえば洗濯物も干しっぱなしだ。階段だって片付けていない。

「あのねぇ」

 母さんが言った。心配そうな、でもあきれたような口調だった。

「調子悪いときは寝てていいんだよ。家事なんかしなくて休んでいいの。前からすごい他人行儀だなと思ってたけど……」

 母さんは何か言いかけたのを止めて、ため息をついた。

「ごめんね、母さんが悪かった。何年も一緒にいなかったもんね。そりゃ遠慮するよね」

 そう言って、おれの額に手を当てた。しっとりと湿って、あたたかい手だった。

「熱はなさそうだけど、体温計持ってくるから一応ちゃんと測って。ご飯の支度なんかいいから寝てなさい。明日も具合悪かったら病院に行こう」

 母さんはおれの額から手をはなすと、同じ手でおれの肩をポンと叩いた。母さんの身長はおれとそんなに変わらないということに、このとき気づいた。母さんはおれの目をじっとのぞき込んだ。そして、

「それと、二階にいるものにかまわないで」

 と、強い口調で言った。

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