第10話(オリヴェル視点)

「はあぁぁぁぁ」


オリヴェルは深いため息をついている。


「だからいつも申し上げておりましたのに。努力をなさってくださいと」



オリヴェルの側近であるヨエルは呆れていた。


オリヴェルは息子ヴィクトルから恋愛相談をされたことに驚いたが、そこで聞かされた一言に打ちのめされていた。



『ディオーナ様は愛を諦めたと仰っていましたよ』



今思えば、彼女の心の扉が閉ざされた瞬間があったのがわかる。ヴィクトルからは『何も贈り物をしなかったのは何故か』と聞かれた。そこで自分の行いが愛する女性に対するものではないと漸く気付かされたのだった。



◇◇◇


オリヴェルは幼き頃から定期的に王弟である父クリスティアンと共に王宮に出入りしていた。同い年である第一王子アルベルトには何かと比較されたがオリヴェルが劣ることは何もなかった。その事が余計にアルベルトは気に入らなかったようで、オリヴェルの訪問に良い顔はしなかった。そんな中、オリヴェルは時々見かける少女が気になるようになった。彼女を見かけるのは書庫が多く、読書に耽る美しい横顔を眺めるのが好きだった。彼女が読む本の種類は幅広かったが、この頃は植物に関する本をよく読んでいるようだった。侍従から彼女はディオーナ・エルヴェスタム侯爵令嬢でアルベルトの婚約者であると聞かされた。どうやら王宮には王太子妃教育の為に通っていたようであった。恋心を持ってはいけない人だと知ったが彼女が纏う空気感は居心地がよく、書庫にいるのを見つけては自分も読書を嗜んだ。

ある日、アルベルトとディオーナのアフタヌーンティーに同席することになった。優秀な婚約者がいることを自慢したかったアルベルトによる招待であった。青空が美しく明るい陽の光の元で見るディオーナの姿は想像していたよりも美しく気分が高揚した。するとアルベルトに「林檎みたいに真っ赤になってどうした?」と言われ、その横で彼女が朗らかに微笑んだのが見えた。二人に笑われたと思ったこの経験が、赤面症の始まりとなった。

以降は、彼女の姿を目で追うものの近づくことはできなくなってしまった。元々話をしたこともなかったから余計であった。


学園に入る頃、母方の従姉妹であるエミリアが留学のため公爵邸に滞在を始めた。幼い頃から時々会うこともあったため、同年代の女子では唯一まともに話せる相手であった。エミリアの留学は縁談を組むことを先延ばしにするべくマルブロンから逃げるためのものだと聞かされた。政略結婚であっても嫌悪感のある相手とするのは可愛そうだと姪を案じた母シルヴィアの提案でオリヴェルとエミリアは婚約することになった。


学園にはアルベルトもディオーナも通っていた。同級生だった。高位貴族が学園に通う理由は同世代の人脈を作るためだった。勉学は家庭教師を雇えば十分であるからだ。しかし貧しい貴族や下位貴族にとっては学びの場であると同時に、将来の就職先に大きく影響を与える場であった。成績優秀者は学費の免除と高給職の提供が約束されていたのだ。オリヴェルは社交が苦手だったが、傍らにエミリアがいたことで人脈を拡げることができた。婚約者であることも知られたことで他の令嬢らが近付いてくることも避けることができ、平穏な学園生活を送っていた。オリヴェルの楽しみはディオーナがいる図書館に通うことで、彼女が手にした本を自分も借りて読んでいた。


そして事件は起きる。学園の卒業式でアルベルトがディオーナに婚約破棄を告げたのだ。言い分は酷いものだった。王太子の真実の愛である子爵令嬢に意地悪をしたことは王太子を侮辱することに値すると断罪までも宣言した。オリヴェルがディオーナに想いを寄せていることを知っていたエミリアはすぐに彼女を助けるよう背中を押してくれたのだが、人前に立つことなど出来るわけもなく動くことができなかった。代わりにエミリアが『意地悪』に対する矛盾やディオーナのアリバイを証言し、あっという間に形勢は逆転、更に子爵令嬢よりも成績が劣ることも指摘してきたアルベルトに、成績優秀者という評価を下位貴族らに与える為に高位貴族らはわざとギリギリ合格の成績しか残さない暗黙の了解があることを教えた。エミリアが隣国の王族であることがアルベルトに物申せることへと働いたのだ。自国アイスタールの習慣すら知らずにいた王太子への信頼など全く無くなり、それどころか次々に明るみに出る王家の失態に国民は激怒し、一気に王家が失脚した。


エミリアがディオーナの婚約が無くなるだろうし自分達の婚約を解消しようと提案してきたが、卒業式を終えたら結婚する予定でいたためオリヴェルは却下した。ディオーナがアルベルトから逃れることが出来るのであれば彼女が不幸になることはないだろうし、隣国の公子との婚約解消となるとエミリアの評判を落としかねない。エミリアを不幸にする気はなかったため予定どおり結婚した。


次の国王となったのは父クリスティアンだったため、アールグレーン公爵家は王家となった。エミリアは跡継ぎとなる息子ヴィクトルを出産し、王太子となったオリヴェルは公務を行う日々となった。基本的な立ち居振舞いは王族であったこともあり問題なく務め、対人するものは快活なエミリアの支えもあり徐々に自信も付き人並みにこなせるようになった。しかしエミリアが体調を崩す日が増えると王太子妃分の公務も加わり忙しい日々を過ごすことになった。エミリアとの関係は良好であったと思うが体調の悪化を防ぐために彼女と会う時間は減らした。エミリアには少しでも長く自分を支えて貰いたかったからだ。エミリアと公務が出来る日は安心して肩の力も抜け余裕も生まれる。自分のパートナーはエミリアが相応しいとさえ思っていた。しかしエミリアを喪うことになった。



オリヴェルは後妻を迎えるつもりはなかった。エミリアのおかげで人前でも公務を問題なく務められているし跡継ぎの王子もいる。エミリアだったから結婚したし、ディオーナへの愛は心の奥に静かに眠らせていた。ディオーナのことを考えれば、自分の想いを伝える必要はないし自分の隣ではなくどこかで幸せに暮らせていればそれで良いと思っていた。


しかし、国王夫妻によりディオーナとの婚約が決まり間もなく結婚すると彼女が王宮入りした。

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