第9話

日記の書き出しは次の1文であった。


『私は婚約者オリヴェルとの結婚が正式に決まったことから、オリヴェルの真実の愛の為に記録を残すことにする』


(オリヴェル様の真実の愛?)


エミリアが最愛の妻であると信じて疑うことがなかったディオーナは驚いた。真実の愛の真相を確かめるために読み進めていくことにした。



『私の我が儘の為に組まれたこの婚約の為に、オリヴェルは彼女の手を取ることが出来なかった。こればかりは申し訳なさでいっぱいだ。理不尽な出来事を前に彼女を救うべく援護した。こんな時でも彼女は凛として美しかった。断罪の阻止に成功して良かった』


(彼女の断罪阻止?)


この10数年の間で断罪されかけたのはディオーナだけだ。ディオーナを断罪から救ってくれたのはエミリアの証言であった。王太子に怯むことなく口答え出来たのはマルブロン国王を伯父に持ち、アイスタールに留学中であったエミリア公女だけだった。だからこそディオーナはエミリアに恩があり原因不明の病の究明に取り組んだのだ。



『彼女は正式に婚約がなかったことになったが、同時に私たちは結婚となった。なぜこのタイミングになってしまったのか。オリヴェルは私と婚約破棄は決してしないからと私を慮って自分の想いに蓋をした。もっと早く彼女の婚約がなくなれば、もっとぎりぎりまで私たちの婚約を曖昧にしていれば2人は結ばれたかもしれないのに。私の所為だとしか思えない』



(この彼女というのが私だとしたら、オリヴェル様は私を慕っていたということ?)



『私の中に新しい命を授かるなんて。オリヴェルのことは好きだ。もちろん従兄弟であるし家族愛であることの方が強い。それなのに、彼に愛されるという行為を受け入れると彼を愛しく思う気持ちも芽生えてしまった。とても後ろめたい。オリヴェルは公子であり嫡男だ。更に言えば兄弟がいない。私が妻なのだから跡取りを産まなければならないことも理解できる。この後ろめたい気持ちを抱えていくことは、2人の愛を引き裂いてしまった罰だと思おう』



『まさか、アールグレーン公爵家が王家になるとは。公爵が国王となり必然とオリヴェルは立太子され私が王太子妃となった。オリヴェルも私もそれぞれ王族であることには変わりないが、まさか自身が王家になるなんて。私はマルブロンの王族であるが故に地位を狙ったマルブロンの出来損ない公爵令息との婚約を結ばれそうになり、それを避けるためにオリヴェルの婚約者となった経緯がある分複雑な心境だ。赤面症の彼が唯一話をすることができた女性が私であったことで結ばれた婚約。互いの利害の一致だっただけなのに。家格にも問題はないと私のことも国民にあっさりと受け入れられた。それほど前王家には信用がなかったのだろう。私は妃なんて器ではない。公爵令嬢の責任から逃げるような女だ。アイスタールの国民は私を愛してくれるが私にそんな資格はないのに』



(エミリア様は進めたくない縁談のためにオリヴェル様と婚約したということ?オリヴェル様が赤面症?)



『息子が生まれた。赤子がこんなにかわいいとは。オリヴェルも喜んでくれた。オリヴェルと私の宝だ。この子のことは何があっても守ろう』



『最近体調が良くない。今日は頭痛だ。公務はほとんど出来なくなってしまった。私の分をシルヴィア様とオリヴェルで割り振ったと聞いた。役に立たず申し訳ない』



『オリヴェルが私の分の公務を増やした事が心配であったが、社交に揉まれていたからなのか帝王学の賜物なのか、対人関係を上手くこなせるようになってきた。本人の性格や資質もあるが環境というものも重要であると気付かされる。今ならば彼女ともお話できるだろうにと思うが、あのお方は今何処で何をされているのだろう。こちらには全く噂が届かない。今さら王家が近づかない方が彼女の為だと理解できるが、オリヴェルを想うと真実の愛を成就させたかったと思ってしまう』



(この頃は領地に籠って読書三昧だったわね)



『体調の良い日が続くようになったため、久しぶりに公務に同行した。すると国民から王太子は愛妻家であると噂されるようになった。不思議だ。彼はいつも優しいと思っていたが、皆が言うには私にだけなんだそうだ。上手く社交が出来ていると思っていたがそれは私が横にいる時や、同性相手であればという条件があるようだ。他の女性には目もくれず、妻にだけ笑顔を向け会話をする。端から見れば愛妻家となるみたい。これでは彼女に勘違いさせてしまうではないか。オリヴェルの心にいるのは彼女だというのに』



(…)



『オリヴェルの私室を訪ねた。テーブルの上にあった本には愛用している栞が挟まっていた。あれは彼女の物だ。彼女の忘れ物に気付いたオリヴェルが彼女に声をかける勇気が出ず、未だに手元に置いているものだ。今やすっかりオリヴェルの物になっているが、彼の心にはまだ彼女がいるのだと思わずにはいられない。私はオリヴェルから愛されたいとは思っていない。十分善くしてくれたと思っているし彼とは血が繋がっている。夫婦という形をとらなくても家族なのだ。だからこそ彼の幸せを願わずにはいられない。王太子という重圧を緩和し支えてあげられる存在をパートナーにするべきだと思う』



(栞…、失くしてしまったと思っていたけど、オリヴェル様がお持ちになってるの?)



『ヴィクトルがおしゃべりを始めて簡単な会話ができるようになった。立場上お世話は乳母がしてくれているから、急に成長したように思えてしまう。第1子が王子であったし2子目を表立って所望されることはないが、スペアは必要であろうという意見も出ていると耳に入った。私の体調がこのまま良ければ、考えても良いのかもしれない』



『医師の見解では、安全な妊娠出産となるか保証ができないという。2子目は諦めよう。そもそもオリヴェルとは夫婦と言い難い。子を授かるハードルは高過ぎる』



(夫婦の営みはなかったということかしら?)



『体調の優れない日が続いている。体力も弱まっているからとヴィクトルに会える時間が減っている。体調が悪い日は極力接触者を減らされているのだ。仕方がない。そしてオリヴェルの面会はない。忙しくしているのか、気を遣ってなのか、興味がないのか。一体彼は何を考え過ごしているのだろう。一番近い立場であると思っていたのに寂しい限りだ』



『発熱が続いている。もう10日程になるだろうか。しんどい。解熱剤を貰っているのに熱は下がらない。私は何の病なのだろうか』



『字も書けなくなってきた。身体中が痛む。体を起こしている時間も減ってきた。このままでは何も出来なくなりそうだ。シルヴィア様に彼女の事をお伝えしよう。オリヴェルの真実の愛を』



『そろそろ日記も難しくなってきた。これは真実の愛である彼女に届きますように』



ここで日記は終わっているが、最終ページと背表紙の所に妙に厚みがある。

ディオーナが爪を引っ掛けると間に1通の手紙が挟まっていた。宛名を見てディオーナは驚愕した。


「私宛!?」


その手紙は、『ディオーナ様へ』と書かれていたのだ。自分宛の手紙であったことから、ディオーナは続きを読むことにした。



『ディオーナ様へ


このお手紙があなたの手元にあるということは、オリヴェルと結婚され王太子妃となられたからでしょう。私以外で彼と結婚するとしたら貴女しか考えられません。彼の想いは貴女にあります。それは今も強く。彼は赤面症で不器用なので、貴女と会話することも難しくしていることでしょう。愛妻家であるという噂もありましたから、貴女が不安に思っているのではないかと考えます。この日記をお読みになったのなら私達の関係が明らかになったことでしょう。どうか、目に見えることが全てだと思わないでください。どうか貴女から彼の想いを汲み取ってください。この日記は貴女しか気付かないであろう場所に置かせていただきます。読書を嗜む貴女しか…。(オリヴェルは読書家ではありませんのよ。図書館に通っていたのは貴女に会うためなのです)


オリヴェル・アールグレーンをよろしくお願いします。


エミリア・アールグレーン』



手紙の文字は日記の書き出しの頃とは比べ物にならないほど歪んでいた。痛む体を押してまで書き上げたのだろう。


(オリヴェル様が読書家ではない?毎日図書館でお顔を拝見していたけれど…)


オリヴェルを知りたいと思ったディオーナは、彼が読んでいる本を後から借りたこともあった。彼がいつも自分が読むものと同じような本を選んで読んでいると気が付き、嗜好が似ているのだなと思っていたほどだったが。しかし、王宮に輿入れしてからオリヴェルを書庫で見かけたことはない。あれだけいつも図書館で見かけていたのに。この事実にエミリアの言葉の説得力が増したのであった。


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