第3話

シルヴィアは体調が改善されると王宮に戻り公務を再開させた。その頃にはセントブランク川の水の流通も確保され、飲水として王宮内で日常的に使えるようになった。シルヴィアと入れ替わるようにオリヴェルはマルブロンへと向かい、今回の医療提携への感謝と自身の健康診断の為1ヶ月ほど滞在した。


さて、ディオーナはというとヴィクトルと共にエルヴェスタム侯爵領で引き続き療養を続けていた。そして2人の関係は変わり始めたのだ。


「あの、ディオーナ様。発熱中ずっと付き添っていただいていたそうでありがとうございました」


ヴィクトルはディオーナの目を見てしっかりと感謝を伝えた。


「回復して良かったですね」


ヴィクトルの変化に驚きつつも、優しい笑顔で応えた。


「これもディオーナ様のおかげだと伺ってます。本当にありがとうございました」


「いえ、私は私の出来ることをしたまでです」


すると次の言葉を紡ぐまでに少し時間を要したが、ヴィクトルは会話を続けた。


「…あの、これまでの無礼を申し訳ありませんでした」


「無礼ですか?」


「はい。ディオーナ様のことを避けていました。自分にとって良くない存在であると考えていたのです。ですが、ヘレンからディオーナ様が病の原因を突き止めるだけでなく、私に付き添ってくれていたとお聞きして…」


「ヘレン…、殿下の侍女ですね?彼女は賢明でした、貴方を守ってくれる存在になりましょう。大切になさってくださいね」


自分の立場が危うくなることも顧みず主を守ろうとしたヘレンを評価した言葉に、ヴィクトルはさらに恐縮した。


「あの、そのヘレンの無礼も詫びます」


「彼女のもですか?」


「はい。ディオーナ様が私を害するのではないかと疑ってしまったと。でもそんなことは一切なかった。私を救ってくださいました」


あの時ヘレンは、後妻のディオーナがヴィクトルを疎んじて看護に便乗し危害を加えるのではと考えていたのだ。もちろん、その場でディオーナが否定しヘレンの気持ちや人となりも推し量ったことから、ヘレンもすっかりディオーナの虜となったのだ。


「…そうですね。誤解が解けたようで良かったですわ。今こうやって殿下と向き合ってたくさんお話出来ましたから、ついでに私のことを知っていただこうかしら?もう少しお付き合いしてくださいますか?」


「はい」


ヴィクトルは姿勢を正すともう一度ディオーナを見つめた。それを確認するとディオーナは話し始めた。


「私は生まれた時から王太子の婚約者となりアイスタールの国母となるべく育ちました。しかし当時の婚約者である王太子に婚約を白紙にされ、私の存在意義は消えました。それから10年自分の為の時間を過ごし再びこの国の国母となるべく王太子との婚約、そして結婚することになりました。このことから私はこの国の為に生きるべく存在していると考えています。ヴィクトル殿下。貴方のことをお守りすることはあっても害することは決してありません。貴方は国の宝です。後の国王となるお方です。貴方が国王に相応しい人物になるべく導くことが私の務めです。但し仮に貴方が相応しくない行いをするようであればどんな手段をとろうと止めるのが私の務めです。それだけは心に留めておいてくださいませ」


「ディオーナ様…。私は、貴女と父上の間に王子が生まれるようなことがあれば、己の地位を失ってしまうのではと浅い考えを持っていました。貴女の深い覚悟を前に、情けない限りです」


「いえ、殿下はまだ幼いですから当然のことです。父親を取られるのではないかという不安がおありだったのでしょう?そして母親であるエミリア様の記憶もありましょう?無理に私を母だと思う必要はないのです。私は殿下の母親になったわけではございません。この国の王太子妃になったというだけです。私の役割は後の国母になること、そして国王となるだろうオリヴェル様とヴィクトル様をお支えするだけですわ」


「しかし、父上と結婚をされたのですから、いつかお子を授かりますでしょう?」


この言葉にディオーナは息を飲んだ。そしてわずかに眉根を寄せると、一瞬言うべきか迷ったが絞り出すように発言した。


「…。きっと私はオリヴェル様の妻にはなれません。あの方の愛はずっとエミリア様にありますから」


「?」


ヴィクトルはまだ愛を語るには幼く難しかった。それを察し、ディオーナは婚約や結婚について話を始めた。


「ヴィクトル殿下には婚約者はまだおりませんでしたね?」


「はい」


「政略結婚か恋愛結婚か。王家や貴族にはつきまとう選択です。私には選択肢が1つしかありませんでした。政略でも互いに想い合い手を取り合い愛を育んでいけば、これも恋愛結婚になるのではと思っていました。ですが、一方通行ではいつまでも政略のままなのです」


「?」


「私は愛を諦めました」


「!?」


「貴方に重いものを背負わせてしまいましたね。私が1度目の婚約できちんと結婚できていれば、貴方は今頃公爵家の令息でしたから」


「…」


ここまでの話を反芻しているのか、ヴィクトルからの返事はなかった。しかし、ヴィクトルにも理解できたことがある。ディオーナは父オリヴェルと愛を育んでいないということだ。



「さあ、少し長くなってしまいましたね。まだ病み上がりですからお休みになってください」


こうして、ディオーナはヴィクトルを残し部屋から立ち去った。



(ヴィクトル様を失う訳にいかない理由は他にもあるわ。もしもヴィクトル様が亡くなるようなことがあれば、お世継ぎを私が授からなければならなくなる。心まで捨てるなんて出来ないわ。彼からの愛はないのに愛される行為などもっての他。そんな切ないこと今さら耐えられないもの)


ずっと避けられ寝室を共にしないどころか会話もほとんどしたことがない。王家がディオーナに望むことに世継ぎを産むという項目がなかったことがせめてもの救いだった。初夜を共にしなかったことはショックでもあった。これっぽっちも自分に対して愛はないのだと思い知ったからだ。ディオーナの心には、学生の頃からずっとオリヴェルへの想いがあったのに、それが報われることはないのだと淡い希望が打ち砕かれた瞬間だった。

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