1-12 ロゼッタ邸へ
「昨日は退屈じゃなかったか?」
今日は先日母に
朝早くから移動の為の支度をしていると、同じように荷物を纏めているニコラスが声を掛けてきた。
「ええ、ずっと書庫にいたわ」
昨日はこの屋敷に来たばかりのジークリンデを気遣ってか、ニコラスも余り接触をしないでいてくれた。それもあってある程度自由な時間を過ごす事が出来た。
「噂には聞いていたが、本当に勤勉なんだな」
関心したようにこちらを見てくるニコラスの姿に、ジークリンデは「そんな事無いわ」と肩を竦めてみせた。
書庫に籠っていたと言えば聞こえが良いけれど、別に真面目に何かの勉強をしていたと言う訳では無い。昨日は趣味に時間を費やしていたのだ。
「魔物の目撃情報や、討伐の記録を見ていたの。向こうで見た物とは書いてある事が全然違っていて、とても興味深くて面白かったわ」
「君は本当に魔物が好きなんだな」
「……ニコラスは魔物が嫌い?」
ワイバーンのギャバンに名前を付け手懐けていたり、彼が普通の人とは異なる考えを持っているのはこれまでの中で分かってきた。だが騎士団として魔物を狩る立場を持ち、異形である自身の容姿を嫌う彼の本心を、ジークリンデは測りかねていたのだ。
「ウェインライト領はゲヘナゲートとの距離が近い。突然魔物による被害が出る事も多いし、魔物が暴れた際に倒壊した家屋に巻き込まれて死んだ者もいる」
「……」
魔物に関する事故で毎年人命が奪われている。だからこそこの国では魔物への警戒が薄れぬよう、魔力が穢れる等の通説が広まった。そうして人々の人命と財産を守る為に、近衛騎士団が存在しているのだ。
ジークリンデだって魔物の手で人死にが出ている事くらい理解している。分かっているのだけれど、彼らの美しさに揺れる心を、惹かれる瞬間を否定出来なかった。
「……だが魔物全てが人に害を成す訳では無い。人を殺す人間がいる。人を食らう獣もいる。だが分かり合える人同士もいれば、家族として獣と共に暮らす人もいる。魔物と人との関係性もそれだけの事だと私は思っている」
同じだ。ジークリンデも全く同じ考えを持っていた。
彼は魔粒子の影響で人ならざる姿に変わる呪いを受けていると言うのに、それでも魔物に対して色眼鏡を掛けるような事はしない。そんな彼の姿勢にジークリンデは少なからず感動をさせられた。
「そう言えばギャバンはどう言った経緯で?」
「箱庭の中の縄張り争いに負けただろう母親が西の森に流れ着いていてな。母親は既に事切れていたんだが腹に子を身篭っているのが分かった。せめて子どもだけでも救えぬかと腹を割いて取り出したんだのがあの子だ」
「まあ、そんな事が……」
「体は少々小さいが、ここまで大きくなってくれて本当に良かった」
そう言って口角を持ち上げる彼からはギャバンに対する優しい愛情が見て取れた。
「惜しむ事があるのだとすれば、幼いギャバンの姿をこの目で見られなかった事ね……」
「子育て中のワイバーンが人前に姿を現す事は先ずないから、確かに幼体の姿は貴重だろうな」
「今でもあんなに可愛らしい子が、ほんの赤ちゃんだった時はどれ程愛らしい姿だったのでしょう。はぁ……」
ほんのりを頬を赤らめたかと思えば肩を落とすジークリンデを見兼ねたのか、ニコラスはロゼッタ邸への訪問を終えた後には在りし日のギャバンの育成記録を見せると約束してくれた。その言葉に舞い上がったジークリンデは「なるべく早くお父様にはこの結婚に納得していただきましょう」と力強く拳を握るのだった。
エメラルダに向かう支度を終えると、二人は直ぐにギャバンの背中に乗りウォーネットを経つ事にした。いつの間にやら新しいジークリンデ用の鞍がギャバンの背中に取り付けられており、余りの感動に彼女が暫し打ち震えていた。
大きなギャバンの背中に乗って空を飛ぶのはこれで二度目。だが感動が衰える事は無い。
星屑の中、風を受けて舞った前回とは異なり、澄み渡る青空を駆けると遠くの景色までもが小さく、しかしはっきりと見て取れる。小さな玩具のように散らばった家々を高い所から見下ろす景色は、自分達以外けして味わえないものなのだろう。
ああ、本当に魔物って素晴らしい。
「ご両親は余り良い顔をされていなかったんじゃないか?」
一頻りジークリンデがはしゃぎ終わったところでニコラスからそう問い掛けられた。その言葉にジークリンデは言葉に迷い言い淀んでしまった。
「……残念ながら詳細はエドワードから聞いたのみだそうです。一刻も早く頭を下げろとお母様は怒り狂っておられましたわ」
「……当然の反応だな。王族に嫁ぐ筈だった娘が、国境沿いの子爵夫人になるとなれば、伯爵家の人間として快く思わないだろう。ましてや相手が化け物のならば尚の事だ」
「そんな……ニコラスが化け物なものですか。少々、角や尻尾が生えているだけでしょう。そんなもの、チャームポイントでこそあれ、どうすれば負の評価に繋がりましょう」
「この角をチャームポイントなんて言い方をするのは、後にも先にも君しかいないだろう」
彼の言葉に、ジークリンデは眉間のシワを深くした。
「元王太子妃の立場でこんな事を言うのもなんですが、国民の目は節穴なんですの?」
「ゴシップ記者にすっぱ抜かれたら間違いなく非難を浴びそうな台詞だな」
全くもって理解が出来ないとジークリンデは頬に手を当てて溜息を零した。
「今更だが、王太子との婚約が破談になって、君の家は大丈夫なのか?」
「私が言うのもなんですが、ロゼッタは代々優秀な騎士を輩出している一族です。父が騎士団長を務めている以上、王族とは言えどロゼッタを蔑ろには出来ないでしょう」
「確かにそれなら王族とてロゼッタを
「だから正直家の事は余り心配は無いんですが……」
だがそれはそれとて両親はジークリンデの結婚に対して反対をしてくるだろうと彼女は予想していた。
そして彼女の予想は見事に的中する事となる。
そんなこんなでエメラルダに着いた二人は、屋敷から少し離れた場所でギャバンの背から降りたった。
二人がロゼッタ邸へと赴いている間、彼にはあのルーズウェルの湖で待っていて貰う事になった。また何も知らない騎士団からの攻撃を受けてしまわぬように。そして、彼の存在で民衆に要らぬ混乱を与えぬようにする為だった。
あの湖付近はロゼッタ家の私有地に当たる為、滅多に家の者以外が立ち入る事は無い。広大な森の中であればギャバンの大きな体を隠すにも十分だろう。
ルーズウェルの森の外に到着すると、ジークリンデは鏡話で屋敷の者に連絡をいれて馬車での迎えを頼んだ。
「はぁ……」
「憂鬱か?」
「どうやって両親を言いくるめるか考えてるんですわ……」
そうこうしている間に迎えの馬車が到着し、二人を乗せてロゼッタの屋敷へと向かう。
ホワイティアンを切り出して建てられた真っ白で幻想的なお屋敷。たった数日ぶりの期間だと言うのに、生まれ育った建屋を見た時には懐かしくすら感じられた。
重たい気持ちを抱えているからなのか、自宅であるにも関わらず足取りが重たくなる。良く見知った使用人の案内を受けながら、つい先日まで食事を取るためにも利用していた広間へと通される。
「旦那様、奥様、御坊ちゃま。お嬢様とウェインライト子爵が到着されました」
大きなシャンデリアによって照らされた部屋の中に入ると中央に置かれたソファに両親が待ち構えていた。
近衛騎士団の団長を務めるエルマー・ロゼッタ。
そしてその妻であり、元公爵家の令嬢でもあるサリヴァン・ロゼッタ。
そして現役の騎士団員である兄のサディアス・ロゼッタ。
自分にとっては血の繋がった家族ではあるものの、こうして全員が並んでいると妙な威圧感を覚える。歴史の深い伯爵家の人間として、全員が相応しい立ち居振る舞いを身に付けているのだから当然と言えば当然だろう。
隣に立っているニコラスからも緊張が伝わってくる。
「ただいま帰りましたわ」
出来るだけ平静を装いながら、ジークリンデがそう告げると……。
「ジークちゃァん! 突然の外泊なんてパパ心配したんだからな!」
中央に陣取っていたエルマー・ロゼッタ伯爵が、涙ながらにそう叫んだのだった。
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