1-11 新婚生活前のケジメ


 ……というのが、昨晩の事。


 ギャバンの背中に乗って子どものようにはしゃいだジークリンデは、連れてこられた屋敷の客間で朝までぐっすりと寝こけていた。


「……やっぱりはしゃぎ過ぎましたわね」

「君がそうやって本心を隠そうとするのはこれまでの肩書きのせいか?」


 ニコラスの鋭い指摘に、ジークリンデは言葉を詰まらせる。しかし彼はジークリンデを責めるでもなく、穏やかな口振りで微笑んだ。


「安心すると良い。今の君は王太子妃では無い。田舎を治める小さな子爵夫人なんだから」

「そう、ですわね……」


 なんだか心の中がむず痒い。

 ニコラスにとって異質な容姿を受け入れてくれる相手がジークリンデなのだとすれば、ジークリンデにとって自分の好きなものを躊躇わず話す事が出来る相手がニコラスであるのかもしれない。


「……と、言いたい所なんだが。現状はそうもいかない」

「え?」

「流石に口約束だけで結婚は出来なかろう」


 ああ、確かに。

 小さく首を縦に振る。


「その事で君に相談があったんだ。ロゼッタ伯爵に、挨拶に参らねばと思ってな」


 ニコラスの言うように親の承諾も無しに結婚は出来ない。

 ましてや彼は近衛騎士団に所属する身。騎士団長を務めるジークリンデの父は、彼の上司にも当たる。きちんと自分の口から事の顛末を説明するのが筋と言うものだろう。


「それに君の荷物もこちらに運ばなくてはならないだろう? ドレスも調度品も、何も持たせずにこの地に移り住めとは言えない。だから一度揃ってエメラルダに出向く必要があるなと」

「そうですわね。早速、お食事の後にお父様に連絡をしてみます」

「ああ、宜しく頼む」

「日取りのご希望はありまして?」

「いや、任せる。ロゼッタ伯爵の都合のつくタイミングに合わせてくれ」

「分かりましたわ。今日明日は御屋敷にいらした筈ですので、出来るだけ早く顔合わせの時間を作りましょう」


 ニコラスとの約束通り、ジークリンデは食事を終えると一度与えられた客間へと戻って行った。

 そして小さな手鏡を取り出す。

 国内で一般的に広く使用されている通信手段の一つである『遠隔鏡面通話機えんかくきょうめんつうわき』通称、鏡話きょうわだ。

 内部に組み込まれた魔石に魔力を流す事で、事前に登録されている他の鏡話へ通信を繋ぐ事が出来ると言う代物だ。


「ええっと……お父様に直接連絡を入れるのは得策では無いわね。となるとお母様に一度話を通して……」


 それでも気が重い事に変わりは無い。きちんとニコラスの元へ嫁ぐ為に必要な事だと分かってはいるのだけれど、親の反応を想像すると気持ちが重たくなる。


 それでも逃げている訳にはいかない。指先に魔力を込めながら、鏡面に数字を描いた。それに反応して鏡話が小さく振動する。こちらの鏡話に組み込まれた魔石がジークリンデの魔力に反応し、相手側の魔石と通信を始めたのだ。


「ジークリンデ!? 貴方、今何処にいるの?」

「御機嫌ようお母様」

「何を呑気な……! 昨日の事、エドワード様から聞きましてよ」


 予想通りの反応。ジークリンデの母であるサリヴァン・ロゼッタ夫人はとてもご立腹の様子だ。

 ただエドワードの口から話が通っていたのは予想外だ。当事者の相手側の意見だけを耳にした状態では、どんな誤解があるか分かったものでは無い。話をしている様子では、かの『ルビィの娘』の話は耳にしていないのだろう。


「貴方、魔物なんか助けてエドワード様に破談を言い渡されたって本当なの?」

「それについては事実です」

「ではその後であの、異形の騎士から婚約を申し込まれたと言うのも……」

「事実ですわね」


 ニコラスの話題を出す際、サリヴァンは酷く顔を顰めていた。その反応が面白く無かったものの、ジークリンデは平静を装い受け答えをする。


「その事でお父様に報告があります。明日、お時間を頂けないか確認をお願い出来ますか?」

「ま、まさかジーク……貴方、ウェインライト子爵からの申し出を受けようなんて考えてないでしょうね」

「はい、そのつもりです」


 首を縦に振ると、サリヴァンの顔色がサッと青くなった。


「何を馬鹿な事を考えているの! 直ぐにエドワード様に謝罪に行きなさい!」

「申し訳ございませんがお母様、エドワードと私の関係性はもう修復出来ません。あちらもそのつもりは無い筈です」


 だって彼には現在、意中の相手がいるのだから。


「そんな訳が無いでしょう。昨日御屋敷に来て事情を説明して下さったエドワード様はとっても憔悴されていて……」


 ジークリンデがエメラルドの髪飾りについて暴露して出てきたのだから、あの後貴族達からどんな扱いを受けたのか分かったものでは無い。疲れているのは当然だ。


「それでもエドワード様は貴方を許したいと言っていたのよ」


 こちらは破談を言い渡された側なのだが、どうしてそんな話になっているのだろうか。


「兎に角、その事についても全て明日お話させて頂きますので。昼前にはお伺いさせて頂きますわ」


 ちょっと、ジーク待ちなさい。

 そんな母の悲痛な声を聴きながらも、ジークリンデは強引に鏡話を切った。


 思わず腹の奥の方から深い溜め息が零れる。


「全く、頭が痛いわ……」


 無事両親から結婚の許可を貰えるのだろうか。

 他に選択肢がない状況に追い込まれたとは言えど、自分は本当にこのまま彼との結婚を決めてしまって良いのだろうか。そんな不安感がむくむくと胸の内側で膨らんでいく。


 そして、悲しいかな。ジークリンデの不安は現実のものとなる。

 翌日、約束通りにロゼッタ邸を訪ねた二人を待ち構えていたのは王国の騎士団長を務める父、エルマーであり……。


「私はそんな結婚認めんよ」


 と、第一声から突き放されてしまうのだった。



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