1-9 新天地での朝
子爵ウェインライト家の領土は国の南東の都市ウォーネットを中心に成り立っている。
すぐ側には魔族達の箱庭……つまりは魔界に繋がる大穴があり、危険度も高いため暮らしているのは比較的国の貧困層が多い。
そのためウォーネットは南東部唯一の大きな都市ではあるものの、他の都市と比べれば人口は少なく、発展もしていない辺鄙な田舎町だ。
「……って話には聞いていたけれど、凄く緑が多いのね。昨晩は暗くてあまり分からなかったわ」
ウォーネットの東部に建てられたウェインライトの御屋敷は、赤茶けた煉瓦造りの小さな建屋だった。一先ずはその客間に通され一晩を明かしたジークリンデは、窓外の景色を眺めながら物思いに耽る。
エリュシア王国が他国よりも強い国力を持つ最たる要因は、客間の窓からも見える魔界の存在が大きかった。
魔界とは地下に広がる異形達の世界。
ゲヘナゲートはその魔界と地上の人間界が繋がる大穴の事を指す。
魔界から漏れ出す魔力は人間界にも多大な影響を与える。この国の人間が魔力に長けている者が多いのは、間違いなくゲヘナゲートから溢れる豊富な魔粒子のお陰だろう。
更には魔粒子を浴びた石や草花は魔法資源である魔石へと姿を変える。資源が豊富であれば国が豊かになるのは当然の事。
そして何よりもエリュシアは近隣諸国との戦争において圧倒的な強みを持つ。箱庭より襲来してきた魔族と戦い退けてきた歴史から、この国では魔法を使用した戦闘技術が著しく向上しているのだ。
魔界から溢れる豊富な魔粒子により、この国は成り立ってきた。
しかしながらこの国では魔界の物に触れると魔力が穢れるというおかしな風潮が根付いている。その事についてはエリュシアの歴史に深く関わるのだが……。
「ジークリンデ、宜しいだろうか」
思考の中で蹲っていたジークリンデは、ドアの向こうから聞こえてきた声に顔を上げる。
「ニコラス? 入ってちょうだい」
部屋を訪れてきたのは昨晩、ジークリンデの夫となった異形の騎士ニコラスだった。
「急な事で客間にしか通せずすまなかったな」
「そんな。掃除が行き届いていてとても快適だったわ。貴方からも使用人にお礼を言っておいて下さる?」
「分かった、伝えよう」
にこにこと笑うジークリンデとは対象的に、ニコラスは何処か不安げな様子だった。
「服に関しても借り物しか用意が無くて心苦しいが……」
「着の身着のまま訪ねてしまったのはこちらだもの。気になさらないで。むしろ貸して下さってありがとう」
当然愛用する寝巻きもドレスも無かったため夜は屋敷の侍女の寝巻きを、今は彼の母のドレスを借りている状況だった。
とは言ってもジークリンデ自身は余り衣類に関心があるタイプでは無いため、文句なんて出てくる筈も無い。
今朝ジークリンデのいる客間を訪れた侍女達は「奥様が亡くなられて以降、女性のお世話なんてしてなかったわ」と不安そうにしていたものの、皆良い人達ばかりだった。突然来訪した「主人の新妻」に驚いてはいたものの、ジークリンデを歓迎して世話を焼いてくれたのだ。
(ご両親は亡くなられているのよね……この御屋敷で、使用人達を除けば一人で暮らしていたなんて)
結婚が決まってしまった後ではあるものの、自分はニコラスの事を余り知らないのだなと改めて思い知らされる。
「良ければこの後朝食……と言うには時間が遅すぎるが、食事を一緒に取らないか? 話したい事がある」
「ええ、勿論。ご一緒させて」
ニコラスにエスコートされながら、ジークリンデは朝食の用意された広間へと通された。そこからは手入れの行き届いた庭が見えており、景観も素晴らしい。
テーブルの上には既にしっかりとした食事が用意されている。サラダにスープにパンに、ココットにはグラタン。それからレバーパテ。ブランチには丁度いいメニューだ。
「昨晩は休めただろうか?」
「ええ、ぐっすりと」
「随分はしゃいでいたからな」
ニコラスの言葉に少々バツの悪さを感じながらも、それを悟られぬようジークリンデは笑みを浮かべる。
「お恥ずかしながら、再会を喜び過ぎてしまったわ」
「いや、あれが君の本心ならば見ていてとても楽しかったよ」
そう言いながらニコラスは、レバーパテを塗り付けたバゲットを齧る。チラリと垣間見えた大きな牙に、ゴクリとジークリンデの喉が鳴った。
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