1-8 断じて下心などありませぬ



「ジークリンデ様」


 空を見上げて涙を零すジークリンデに差し出されたシルクのハンカチ。気が緩んでしまっていたせいで隣にいる彼の存在が頭から抜け落ちていた。


「ありがとうございます、ウェインライト子爵」


 ハンカチを受け取り涙を拭う。人前で涙するような事も無かったため、気恥しさが込み上げてきた。


「ジークリンデ様、先程の出過ぎた真似をお許し下さい」


 心配そうにこちらを見詰めてくる優しい瞳。異形の姿をしているけれど、彼はとても優しい顔をしている。


「出過ぎた真似だなんてそんな……」

「あの場に一人立たされている貴方を見ていられず、衝動的に口を出してしまいました」

「私、そんなに狼狽えていたかしら?」

「いえ。閣下より婚約の破談を突きつけられようとも貴方様はとても凛と、向かい合っておりました。全ては私のエゴでございます。貴族達の視線の矢面に立たされる貴方を、私自身が見ていたくなかったのです」


 ニコラスの言葉にジークリンデはハッととある事に気が付かされる。


(そうか。この容姿のせいでいつも視線に晒されているから……)


 同じような矛先を向けられ、一人立ち向かうジークリンデが見ていられなかったのだろう。

 だとしたら彼はとても優しい人だ。見た目で畏れられているだけで、ひとりぼっちの女の子を放ってはおけない人なのだから。


「助かりましたわウェインライト子爵。お恥ずかしながら私にはあの場を抜け出す手立てもありませんでしたから。外に連れ出して頂けただけで……」

「その事なのですがジークリンデ様」


 そう言うと彼はジークリンデの前で跪いてみせた。遠くにあった彼の顔が、ずっと近くにまで降りてくる。


「本当に私と結婚をしてくれないでしょうか」

「……っ⁉︎」


 まさかの言葉に流石のジークリンデも口篭る。


「あ、あれは私をあの場から連れ出す為の方便の筈では……」

「お慕いしていたというのは本心です。貴方にとっても悪い話ではないと思います」


 確かに今のジークリンデでは国内で嫁ぎ先を見付ける事も出来ない。ともなれば一旦近隣国に身を寄せて教会のシスターにでもなるか、そうでなければ身一つで事業を始めるかくらいの生き方しか宛がない。

 だがニコラスは子爵とは言えど国内の領土を治める貴族だ。彼と結婚をすれば子爵夫人としてこの国で生活を送る事も出来る。


「無理にとは言いません。当家が代々治めるウォーネットは箱庭の直ぐ近く、魔物との距離も近い。破談になったとは言え王太子妃になられるような方が住まうには余りに辺鄙な場所ではありますか……」

「あのもしかして……」


 ニコラスの言葉を遮ってジークリンデは思わず声を漏らす。


「ウォーネットでは魔物が見られるんですの……?」


 ニコラスを見上げる少女の目はこれまでになくキラキラと輝いていた。

 ジークリンデが暮らしていた王都近隣の都市エメラルダは箱庭からの距離も遠く、時折遠くで魔物の姿を見掛ける程度。


「魔物なんてほぼ毎日のように目にする。時折箱庭から流れて来てしまうモノもいるからその対処が必要で……」

「ウェインライト子爵」


 ああ、そんなまさか!

 こんな展開、まるでフィクションではないか。


 ジークリンデは感動に打ち震えていた。

 魔物を愛し、恋焦がれてやまないジークリンデからしてみれば、ニコラスの治めるウォーネットはまさに、桃源郷に等しい環境と言えるだろう。


「不束者ですが、よろしくお願い致します」


 エドワードから悪女の烙印を押された女を嫁として向かい入れてくれるばかりか、向かう先は箱庭の直ぐ近く。


(いいえ違います。けして魔物に惹かれた訳ではないの。ええ、けして、そんな……)


 私利私欲と知的好奇心で結婚を決めたなんて、そんなつもりは微塵も無い。自分には他に選択肢が無かっただけだ。


「……自分から申し出ておいてなんだが、本当に宜しいのですか? ウォーネットは王都のように安全な訳でもなければ辺鄙な田舎。ましてや夫となる私は、人とは思えぬ容姿をしていて……」

「そんな事ございませんわ!」


 彼がその容姿のせいで本来ならば必要の無い苦労を強いられてきたのは分ける。

 だがジークリンデに言わせれば人とは見た目が違うからと彼を爪弾き者にする周囲がおかしいのだ。

 だってこんなに、こんなにも。


(大きな角は象牙のように艶々と滑らか……お口元は狼を思わせる長いマズルがあって、太く逞しい尻尾がゆらゆら揺れている……近くでお話するのは初めてだけどずっと思っていたの、こんなに素敵な殿方がこの世に存在するなんて思いもしていなかった……!!)


 と、内心大興奮のジークリンデではあるものの荒ぶる心情はおくびにも出さず、彼女はあくまで淑女として気品のある微笑みを浮かべる。


「ウェインライト子爵、例え何者が貴方をけなそうと私はそうは思いませぬ。貴方は、とても美しい」

「……ッ」


 だって貴方以外に角としっぽの生えた騎士なんてこの世にはおりませんから。


 本音を話せば間違いなく引かれていただろうが、言葉だけを受け取ればジークリンデの姿はさぞ、慈愛に満ちた少女として見えている事だろう。


「……貴方は変わりませんね」

「え?」

「いいえ。お慕いしております……ジークリンデ様。この身が果てようとも、貴方を守る剣となる事をここに誓いましょう」


 そう言ってニコラスはジークリンデの手を取ると、甲にキスを落とした。


「ジークリンデと、そう呼んでくださいな。今日から私達は夫婦めおとになるのですから」

「では私の事もにニコラスとお呼びください」


 こうして伯爵令嬢ジークリンデは王太子妃の座を追放され、多少の打算が混ざりつつも辺境を治めるウェインライト子爵夫人と相成る事となりました。


 ジークリンデ・ウェインライト子爵夫人。

 箱庭より現れる異形の生き物を愛してやまぬ彼女の事を、後の人々はその功績と合わせてこう語ります。



【魔物愛づる姫君】と……。



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