1-7 異形の騎士



 高い崖に囲まれた魔界への入り口『ゲヘナゲート』に面した、この国で最も魔界に近い都市ウォーネット。

 彼はその地を収めるウェインライト家の現当主だった。


「異形の騎士だ」

「どうしてここに、箱庭から出てきたのか?」

「ロゼッタ嬢が魔物に魅入られたのはウェインライトが原因なのか?」


 王太子エドワードとその婚約者であるジークリンデの諍いに好奇の視線を集めていた貴族達の間に、恐怖と畏怖を孕んだ波が広がっていく。


 代々ウォーネットを治めるウェインライト家は魔界の魔力の影響を強く受けており、体の一部が異形なものに変形して生まれてしまう呪いを掛けられていた。

 現当主であるニコラスは、歴代当主の中でも最も強く呪いの影響を受けてた。


 まるで悪魔のようなその見た目から彼は『異形の騎士』として恐れられており、社交界でも爪弾き者。彼が受ける誹謗中傷については、現状の貴族達の反応を見れば一目瞭然だった。


「ニコラス、今の発言はどういうつもりなんだ」


 近衛騎士団に所属するエドワードは、同じく騎士団所属の彼と面識があるらしい。

 先程までの険しさとは異なり、今度は怒りを孕んだような視線をこちらに投げ掛けてくる。


「どうもこうもありませぬ。私は以前よりジークリンデ嬢をお慕いしておりました」

「……ッ!?」


 今度はフロアが黄色いざわめきに包まれた。


(私達、挨拶程度の面識しか無くて今日がほぼ初対面だと思うのですが!?)


 あんぐりと口を開いたエドワードが視線だけで「知り合いだったのか?」と尋ねてくる。当然ジークリンデは首を横に振り否定した。

 こんな状況下でも十三年の月日を共にした幼馴染だ。アイコンタクト一つで成立する会話に虚しさが込み上げる。


「しかしながら彼女は伯爵家の御息女であり、何よりも閣下のフィアンセ。このような呪われた体を持つ子爵等の手の届く存在ではございませんでした」


 そう言うとニコラスはそっとジークリンデの肩を抱き寄せる。


(大きな手……触るとどんな感触なのかしら、ワイバーンのようにツルツルしているのかそれとも……)


 殿方に肩を抱かれたからではなく、人のそれとは異なる無骨な手に彼女の頬が赤く染る。


「ですが今の彼女は何者でもございません。嫁ぎ先の決まっていない貴族の令嬢に、想いを伝える事に何か問題がございますでしょうか」

「確かに、今のジークは僕の婚約者ではない。だが……」


 口籠るエドワード。自分がついさっき破談を告げたのだから確かに今の彼にどうこう口を出す権限は無いだろうが、それでも面白くない事に変わりはなかろう。


(ああ……これは間違いなく、ゴシップに載せられますわね……)


 王太子妃と言う立場柄、ゴシップデビューを果たした年齢も早かったけれどまさかここに来てこんな掲載のされ方をするようになるとは。


 だが確かにこの四面楚歌な状況から連れ出して貰えるのなら願ったり叶ったりだ。この際多少、噂話の種になるくらいは甘んじて受け入れよう。


「エドワード・エディン王太子閣下」


 肩に乗ったニコラスと手からするりと抜け出すとジークリンデはついとドレスを摘み、こうべを下げる。

 洗練された立ち居振る舞い。王の隣に立つ決意をした少女がそれを身に付けるまでにどれだけ努力を重ねたのだろうか。その月日の重みが感じられる。


「私は例え相手が何者であろうとも怪我を負った者を見捨て、刃を立てるような真似は出来ませぬ。しかしながらこの度の非礼へのせめてもの責任として、婚約破棄の件について異論を唱えるような真似も致しません」


 あの子を助けた事を後悔なんてしていない。

 よもやこんな大衆の面前で破談を告げられるとは思っていなかったけれど、この状況下に立たされようと己がした事が間違いであるとは思っていなかった。


「子爵の名誉の為に申し上げますが、私達は今日が殆ど初対面。もし我々の関係性について下衆な勘繰りをする者がいるのだとしたら、その方は少々……ジャブナイルポルノの読みすぎかと。事実無根のゴシップに踊らされるような愚かな真似はせず、甘美なフィクションと現実の区別の付け方を身に付けた方が宜しいかと思いますわ」


 どれ程の意味があるのかは分からないものの、その場にいる全員にそう言った妄想をするのなら、自身の醜態を晒す事になるぞと一応釘を刺しておく。


「それともう一つ……」


 彼の為に悪役を演じてやる事もあるまい。

 ジークリンデはクスリと笑みを零すと。


「……彼女にエメラルドは少々重たすぎるのではなくて?」


 と、爆弾を一つ落としておく。

 駒鳥のように噂を囁く彼らの前であれば全てを語る必要なんて無い。小石を投げ込めば後は勝手に波紋が広がっていく事だろう。


 エドワードの表情が変わるのを確認する前にくるりとジークリンデが踵を返す。濡れ羽色の髪を飾るエメラルドグリーンの髪飾りが、シャンデリアの灯の下でキラリと輝いた。


「ジェントル」


 ジークリンデが一声掛けると、ニコラスは直様彼女に腕を差し出した。そこに手を乗せると、彼女は小さく肩を竦めた。


「それでは皆様。素敵な夜を踏み荒らしてしまった事、謝罪致しますわ。ルビィにはどうぞ、ご注意遊ばせ」


 捨て台詞を言い残しニコラスと寄り添ったままジークリンデは夜会のフロアを後にする。当然ながら去りゆく二人を追いかけて来る者はいなかった。

 貴族達はもうルビィの持ち主探しに夢中になっている。


(さようなら、私のフィアンセ)


 こんな終わり方を望んでいた訳じゃない。

 なりたかったものではなくても、ジークリンデは国の為、エドワードの為に身を捧げる決意をしていた。


 彼に恋をしていた訳じゃない。

 でもエドワードへの愛は本物だったのだ。


「これで私、本当に何者でも無くなってしまったのね……」


 初夏の良く星の見える夜に、ジークリンデ・ロゼッタは王太子妃の地位を追われた。


 重圧からの解放感と、大きな喪失感に胸を苛まれ、ほんの少しだけ。涙が溢れた。




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