1-3 婚約者との逢瀬



「久しぶりだねジーク」

「お忙しい中ご足労頂き感謝致します、エドワード」


 昼前にロゼッタ邸を訪ねてきたのは、ジークリンデの婚約者、エドワード・エヴァンだった。

 エリュシア王国の国王であるアシュフォード・エヴァンの嫡子であり、この国の次期国王である。


 ジークリンデから見ても、エドワードは絵に描いたような好青年だった。社交界でも彼に取り入ろうとする女性はいくらでも見てきた。


 ジークリンデとエドワードは四つの時に初めて出会い、そしてその日から未来の夫婦になる事が定められていた。政略結婚ではあったものの、二人の仲は険悪と言う事は無い。

 お互いに決められた結婚相手である事は理解しつつ、自身に課せられた責務をしっかりと背負い良好な関係を築いてきた。


 今日は彼の執務がお休みの日。前前から一緒にボート遊びをしようと、エドワードがわざわざロゼッタ領に足を運んでくれたのだ。


「それ、新しいドレスかい?」

「ええ」


 ジークリンデが身に纏っているのは、ラベンダー色の真新しいドレスだった。王都に本店を構えるファシェット・ポルフェのオーダーメイド品であり、今日の為に合わせてドレスと同じ色のリボンがあしらわれた麦わらのヘッドドレスとセットになっている。


 細やかな刺繍の造花が彩りを添えており、年齢より大人びて見えるジークリンデもこの時ばかりは年相応の少女のようだった。


「とても似合っているよ。君の髪の色に良く似合ってる」

「ありがとうございます」

「今日はルーズウェルの湖の方に行くんだよね。水仙の花が見頃らしいよ。楽しみだね」

「そうですわね。昨年は雨が多くて余り咲きが宜しくなかったそうなのですが、今年はとても綺麗に咲いているそうです」

「嬉しいね。君のドレスの刺繍も水仙だ。もしかしてこれ、今日のために仕立ててくれたの?」

「母が折角だからと拵えてくれまして」

「それなら夫人に感謝しなくちゃ」


 彼らの間に恋人同士の甘い空気はない。エドワードは確かに年頃の女性に向けた上手い言葉選びも心得ているのだけれど、それは意中の相手を射落とすようなものでは無く、殆ど挨拶のような物だった。

 互いにその気がないからと事務的な対応ばかりしていると、今度は周囲から要らぬ噂を立てられかねない。ジークリンデもエドワードもその辺りはお上手にやる手立てを弁えている。



 本日の二人はロゼッタ家の所有する二頭立て馬車に乗り込むと、目的地であるルーズウェルに向かった。

 馬車に乗り込む際にもエドワードは欠かさずにジークリンデの事をエスコートしてくれる。


「最近、公務の時間が長くなりましたわね」

「僕ももう十七になったからね。仕事を覚えろって父さんがうるさくてさ。だから今日こうしてここに来れたのがとても嬉しいんだ」

「あら、では私はていの良い言い訳に使われたのかしら」

「そんなつもりはないよ」

「冗談ですわ」

「君は真顔で冗談を言うから分かり難いんだよ」


 そう言って二人はクスクスと肩を揺らした。


「明日はどちらへ?」

「商会に呼ばれて御屋敷に伺う予定だよ」

「ああ……コースターですわね。彼処が取り寄せる紅茶は香りが強くてとても美味なんですよね」

「はは、ジークがそう言っていたって話をしたら、木箱が山程運ばれてきそうだ」


 ゴトゴトと揺れる馬車の中には和やかな空気が流れている。


「ルーズウェルに行くのも久しぶりだ。あそこの緑がかった青い湖面は何度見ても絵になる。特に良く晴れた日の湖は一段と美しいから。今日の天気はラッキーだね」

「そうですわね。私も彼方まで足を運ぶのは久しぶりですから、とても楽しみです。ボート遊びなんて何年ぶりかしら」

「天気が良いのは嬉しいけれど、こうも日差しが強いと暑くなってしまわないかが心配だな。ジークリンデ、辛くなる前に言うんだよ?」


 彼女の体調に気を配っての言葉だけれど、ジークリンデは肩を竦めて笑う。


「エドワード。私は父から剣の教えも授かっているのです。少々外が暑いくらいで参る事はございませんわ」

「それでもだよ。確かに小さい頃には君に剣で負かされて何度泣いたかも分からないけど……いや、この話はよそう」

「とても愛らしかったですわ。在りし日のエドワード。もう一回、次は勝つと何度も私に食ってかかり、終いには私よりも身長が低いと泣き出してしまって……」

「自分から話題に出しておいてなんだけど、勘弁してくれ。黒歴史なんだ」

「ふふふふ」


 お互いに四つの頃から知っている。

 年は同じだけれどジークリンデからしてみればエドワードは歳の近い弟のような存在だった。


 だがそれでも、彼はとても出来た婚約者だと思う。


 顔立ちも現王妃に良く似てとてもハンサムだ。立ち居振る舞いと物腰も柔らかく、紳士として洗練されている。


 彼の隣でプリンセスになれるのだ。ジークリンデの立場を羨む少女が、この国に大勢いる事だろう。それこそ貴族庶民と身分を問わず、彼に焦がれる少女らがどれ程いる事か。


 自分がとても贅沢な悩みを抱えている自覚が彼女にはあった。自分はとても恵まれた立ち位置にいて、だからこそ安易な我儘を口にする事が出来ない。




 そうこうしているうちに二人を乗せた馬車は湖のあるルーズウェルの森にまで到着した。ここから泉までは馬車で入る事が出来ないため、目的地までは徒歩で移動する。


 この辺りはロゼッタ家の私有地となっている。そのため領民達が入ってくる事もない。当然二人には身分があるため遠くから使用人達が目を光らせてはいるものの、ここにいる間は余り人の目を気にしなくて済むのだ。

 実情を伴わない点に目を瞑れば、若い二人が逢瀬を行うには格好の場所と言う訳だ。


 森を抜けると開けた草原に辿り着く。

 エドワードが美しいと言った湖は以前足を運んだ時と変わらない美しさを保っていた。水仙の花が咲き乱れ、絵画のような光景を作り出している。キラキラと陽光を反射させた水面は、小さなダイヤの粒が散らばっているようだった。


 湖の畔には古いながらに手入れの行き届いた水車小屋が建てられている。ボートに乗って反対岸にまで渡れば、俗世から離れて束の間の休息を取る事が出来るのだ。戦に疲れた数世代前のロゼッタ当主が建てた物だと聞かされている。


 いつもならここで使用人によって予め手入れがされたボートに乗り、向こう岸までエドワードに漕いでもらうのだが、その日はそうも行かなかった。


「ジーク、こっちへ……!」


 何やら慌てたエドワードに手を引かれ、ジークリンデは近くの茂みに引き摺り込まれる。

 何が起きているのか理解出来ずに目を丸くしている彼女とは対照的に、エドワードの表情は鬼気迫るものがあった。


「どうして……ロゼッタ領は箱庭から距離があると言うのに……!」


 箱庭、ですって……?


 エドワードの言葉にジークリンデはハッとして顔を上げた。そして草葉の陰からそれを目にした瞬間に、彼女の大きな瞳がこれでもかと言う程開かれる。


 若草の緑の広がる美しい湖畔。ジークリンデの祖父も画家に筆を取らせてその光景を寝室に飾ったと言うロゼッタ領きっての景観の中に一つ、本来ならばそこにある筈の無い異物が紛れ込んでいた。


 小さく彼女の喉が鳴る。それをジークリンデが怯えているものと勘違いしたのだろう。肩に寄せられた彼の手に力が籠った。


「ドラゴン……?」


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