第72話 古に紡がれたもの

 宙を滑るように走るムアの背から、足元に広がる廃屋を見下ろす。


「これがアギトが見た街か」


 流れる景色は、見知った人の文明から未知の文明へと色を変えていた。


 ここより先は、恐らくリザードマンの文明である。


「ムア、小さい建物は洞穴同然だから、もう少ししたら見えてくるでかい建物に降りて」


「ガウッ」


 遠くに見える大岩のような廃屋に向けて高度を下げるムア。


 その背に跨った級長は、何かを目で追うように地上を食い入って見つめていた。


「何か見えた?」


「……ああ。

 大量のリザードマンが喉を掻きむしりながら死んでる。

 ……毒だな」


 俺の目にはガランと静まり返った湿っぽい街が見えるだけだ。


 級長は今、この街の歴史を見ていた。


「うおっ!!」


 突然顔を覆って仰け反った級長の胸ぐらを掴んで助ける。


「ありが……他に掴む所は無かったのかよ」


「乳首?」


「ちぎれるわ!」


「で、何が見えたのさ」


 ムアに座り直した級長は溜息をついた。


「分からない。

 ただ巨大な何かが横切って、水を掻き混ぜたんだ。

 たったそれだけで死体は全部流されたみたいだ」


 その巨大な何かってのは、恐らくゲルザードなのだろう。


「あ、俺言葉訳せるんだった。

 昔のリザードマンって何か喋ってた?」


「言ってたな。 確か……」


 級長は口で発音するのが難しかったらしく、魔法で口周りの空気を歪めて声を聞かせてきた。


『ググギュグ………ゴゴボガ……』


「もう1回」


 よく聞き取れなかったが、確かに言語の気配は感じる。


 俺達が話している最中も、ムアはゆったりと降下を続ける。


『ググギュるし……ゴはり人げボガ……』


「キテますよ……もう1回」


 級長は再び口を開く。


 その瞬間だった。


『苦しい……やはり人間など信じるべきでは無かった!!!!』


「うおっ!!」


 突然響いた声に、級長は魔法の制御を手放す。


 だが級長が歪めていた空気は、制御を失ったにも関わらずその場に留まり更に大きく歪んで広がった。


『おのれ人間!!! 裏切ったな人間!!!

 よくもよくもよくもよくもよく………』


「やかましい」


 瘴気を込めた手刀で、自立して喋る空気の塊を叩き割る。


「な、何だったんだよ今の!?」


「分からんけど、地上に近付くにつれて大きくなったみたい。

 級長はムアからまだ降りないで」


 近付いた地面に一足先に飛び降りる。


「おお、凄いな」


 降り立ったリザードマンの街の残骸には、瘴気が立ち込めていた。


 しかも、ダンジョン結界で溢れ出した瘴気よりも真新しく感じる。


 これは恐らく……


「級長がこの地に眠っていた怨念を起こしたのかな」


 それだけでは無い。


 岩家の闇の中や影、視界の端に無数の影が立ち、俺をジッと見つめている。


 感じる負の感情は『怒り』『憎しみ』『悲しみ』そして『恐怖』。


 とりあえず近場の瘴気だけ吸い込んで、ムアを着陸させる。


「凄いな。 ピアスと、あたしの気にも殺意が刺さって来てる。

 全部吹き飛ばすか?」


 大剣に手をかけるディカを止める。


「ううん、後で大丈夫。

 それより今でしか見れないものがあるかもしれない。

 級長、行けそう?」


 魔力や気に特段長けている訳でも無く、俺の魔石アイテムも付けていない級長は、今この面子の中で最も貧弱だ。


 だが級長の好奇心は、瘴気の奥から飛んでくる怨嗟などものともしなかった。


「行こう。 この先に何かある。

 多くのリザードマンが、この屋敷を出入りしているんだ」


 目を爛々と輝かせた級長の背を叩き、溜まりかけていた瘴気を吸い取る。


「おーけー行こうか。

 ディカ、ムア。

 背中任せるよ」


「ああ」


「ガウッ」


 俺の目には大岩の洞穴にしか思えないが、級長の固有能力にはここが屋敷に映ったらしい。


 フラフラと危なっかしく歩く級長の周囲の瘴気を吸い取りながら、ダウンジングマシンに任せるように好きにさせる。


 やがて級長が辿り着いたのは、以前俺が見つけた、プラチナで出来た荘厳な椅子であった。


 虚ろな目をしながら膝まづきかける級長の背中を張り、瘴気も吸収する。


「しっかりせい」


「ぶはぁ! ふぅ……やばかった……。

 助かった」


「どういたしまして。 で、これは玉座?」


 椅子を指さすと、級長は首を横に振った。


「いや、これはシャーマンの真似事をしていた族長のものみたいだ。

 ここで祈祷みたいな事をして、何かと交流をしていたらしい」


 まるで日本の神主のようだ。


「何か話してる?」


 俺が何をしようとしているのか気付き、級長がハッとなる。


「またやるのか」


「今度は瘴気は抑えるよ」


「……分かった」


 級長は口元で空気を歪めると、再び息を吹き込む。


『グ…』


 ゾクンッ


 悪寒が背中の鳥肌を立たせた。


 体をさすり鳥肌を撫で付けていると、瘴気が床から湧き上がり部屋の中央で何かの形に纏まり始める。


「こっち来て」


 級長の袖を引いて近くに寄せる。


 だが成り行きが見たいので、俺達の近くの瘴気のみ吸収するに留めて息を潜めた。


『グゥガァル…ルスレラ…レーラス…』


『ルスレラ…レーラス……』


 1つの声を復唱するように、部屋全体から声が響き渡る。


『……ルスレラ…レーラス…』


『ルスレラ…レーラス……』


 ルスルラレーラス?


 俺の固有能力で翻訳された結果がこの言葉なら、つまりこれは固有名詞なのだろう。


「おい、あれ」


 ディカが睨み、ムアが唸る方向には瘴気がボコボコと湧き上がって何かの形になろうとしていた。


「ヤバいんじゃ無いのか?」


「どうとでもなるよ。

 それより他に情報は無い?」


 級長は恐る恐る固有能力を使って部屋を見渡す。


 その瞬間、湧き上がってきた瘴気は部屋全体を埋め尽くすリザードマンの形となった。


 全てのリザードマンが、玉座に向けて五体投地のような格好をしている。


 その玉座の上で背もたれに向かって立ち、一心不乱に杖を掲げるのは、凛々しい棘を生やしたリザードマンであった。


「椅子の使い方を知らんのかねぇ」


「ガウゥガゥ?」


 尻尾が邪魔なんじゃない?と尻尾のあるムアが答える。


「……ん? あんな所に窓なんてあったか?」


「あれ、ほんとだ」


 ディカの言う通り、玉座の背後の壁には大きくくり抜かれた窓があった。


 時の流れで崩れてしまった窓の向こうから、突然巨大な眼球が覗き込む。


 あの大きさは……ゲルザード?


『ルスレラ・レーラス!!』


『ルスレラ・レーラス!!』


 どうやらルスレラ・レーラスとは、ゲルザードのかつての名前らしい。


『ルスレラレーラス!! 此度我らは、人間からこのような物を受け取りました!!

 光り輝くコレを、我らの主に捧げます!!』


 窓の外の巨大な目もとい、ルスレラ・レーラスは呆れたように目を細めた。


『それは『椅子』だ。 腰掛けるための段差である。

 我の大きさでは壊してしまうから、お前達が使えば良い』


 ルスレラ・レーラスはそれだけ言い残すと、グワンと室内を揺らして去って行った。


 その揺れに溶かされるようにして、室内のリザードマン達も瘴気と共に消えてしまう。


「……何か、拍子抜けだな」


 ビビりまくっていた級長だったが、会話の内容があまりにもほのぼのしたものだったので、気が抜けてしまったらしい。


 ………およ?


「あれ、級長。 リザードマン達の言葉分かったの?」


「ああ。 それがどうかした……ん?」


 ここでようやく級長も気付いたらしい。


「あたしにも分かったぞ。

 これは……アギトの固有能力か?」


「そうかも。 進化したのかな?

 てかそれよりも、この文明のリザードマンは結構人間と仲良くしてたっぽいね。

 級長は前、リザードマンが突然暴れだしたって言ってたけど何が原因なんだろう。

 さっき毒殺されてたリザードマンの仲間の報復かな」


「それは……人間の遺跡の方も詳しく調べて、見比べないと分からないだろうな」


 なら引き返して……は時間的にも無理か。


「あ、そうだ。

 この先にもリザードマンっぽい建物だけど、もうちょい発展してる遺跡があるんだよ。

 前回ゲルザードとこんにちはした時に破壊されたけど、残りカスだけ見て行こうか」


 尻尾でなぎ払われたからどれだけ残ってるかは分からないが……。


「結構時間を食っちまったし、そこに立ち寄ったら本来の仕事に戻るぞ」


「はいよ。

 前回はそこでゲルザードに遭遇したから、そのまま戦闘になるかもしれん。

 もしやばそうだったらムアは級長を避難させてから参戦ね」


「ガウッ」


 俺達の物騒な会話に、級長の顔が強ばる。


「……もしかして、結構危険なのか」


「何事にもリスクは付き物よー?

 それでさっき一緒に美味しい思いしたでしょうが。

 旅は道連れ、死なば諸共ってね」


「その2つは並べたら駄目だろ……」


 級長は力無く笑いながらも、腰の剣を確かめるのであった。



●●●●



 そんな級長の意気込みを嘲笑うかのように、俺が以前ゲルザードと遭遇した街は瘴気に包まれていた。


 それも、以前より濃く。


「こりゃ級長はやめといた方が良さそうだね。

 うっかり俺から離れたら、その瞬間スケルトンの仲間になりかねん。

 少し離れた所にシェルターを作るから、そこで待機してて。

 それと瘴気だけど……」


 シェルターでリザードマンの襲撃に対処が出来ても、放射線のように貫通して染み込んでくる瘴気には対策のしようが無い。


 あるとすれば、俺が魔石を作って級長に手渡すくらいしか思い付かないが……


 チラとディカの顔色を伺うと、やはり俺の考えを先読みして、こちらを睨んでいた。


「だ、だって他に方法も無いでしょう」


 ディカは溜め息をつくと、腰の再生クナイを外して級長に渡した。


「持ってろ。

 ただし、絶対に無くすんじゃないぞ。

 あたしがアギトから貰った大切なナイフだからな」


「そのナイフは瘴気を吸収するから、俺がいない間は肌身離さず持っててよ。

 そうしないと発狂するかもしれんから」


「発狂!?

 わ、わかった。 大切に扱う」


 ディカに気圧されながらも再生クナイを受け取った級長は、ベルトにしっかりと固定する。


 ディカは級長がベルトに固定するまで、決して目を離さずにいた。


 大切に思ってくれているのは嬉しいが、そんな宝物のように扱われると小っ恥ずかしい気分である。


「ほい。 食いもんもムアが用意してくれたから、のんびり待ってな」


 球根型の植物テントを要塞のような頑丈さで作り、級長を押し込む。


「ちな俺らに何かあったら一緒に餓死な。

 運命共同体って事でヨロシク」


「は? おい多岐…」


 ギョッとして振り返る級長に手を振りながら、球根の蓋を閉ざした。


 しっかり根も張ったので、大量のリザードマンが押し寄せてこようともビクともしないだろう。


「そんじゃ瘴気吸ってくよ。

 急に襲ってくる可能性は十分以上にあるので、それぞれ要警戒って事で」


「ガウッ!」


「分かってる。 じゃ、頼んだぞ」


 牙を覗かせるムアと大剣を抜き放ったディカを確認し、骨肉のジャングルジムを広げる。


 グングン吸収される瘴気の中から現れたのは、岩作りの建物の残骸だ。


「前来た時は、まだこの建物達は原型を留めてたんだよ。

 それも、ゲルザードの尻尾に薙ぎ払われてこの有様だけど。

 改めて見ると、金目の物はあまり期待出来なさそうだねぇ」


「分からねぇぞ。

 さっさと倒しちまって、ハトリに調べてもらえば何か出でくるかもしれねぇ」


「ガウッ!」


 ムアの鋭い吠え声に、俺とディカは瘴気の先に目を凝らす。


 まず見えたのは、巨大なカギ爪の生えた足だ。


 瘴気が薄くなり晴れる中で、徐々にその巨体が顕になる。


「……デケェな」


「ね。 てかしっかり目が合ってんねぇ」


 離れているのに見上げなければならないほど大きな頭。


 沼のように濁って黄色い瞳と、縦に裂けた瞳孔。


「やほ。 俺の事覚えてる?」


 ゲルザードの負の感情を吸い取りながら、穏やかに声をかける。


『………殺しに来たのか』


 唸るように響いた声に、マスクの下で笑みが深まる。


「聞こえてたんだ。

 理性があるなら、立ち去るって選択肢もあるよ。

 俺はお前の討伐を命じられて来たけど、本来の目的は決壊したダンジョンから溢れた瘴気の後始末だ。

 人に迷惑をかけずに過ごすのであれば、瘴気は俺がどうにか出来るけど?」


 ゲルザードはしばらく黙っていたが、やがてゲフッ、ゲフッゲフッとえずき始めた。


 姿勢を低くしたディカとムアは酸のブレスを警戒したようだが、少なくとも今はその心配は無いだろう。


「大丈夫。 多分笑ってるだけ」


「笑ってる? さっきは何を話しかけてたんだよ」


「和平交渉」


 ディカは目をむいたが、諦めたように肩を落とすと呆れた視線を向けてきた。


「程々にしろよ」


「可能性を試してみただけだよ」


 ゲルザードは『グエッグエッ』と笑っていたが、しばらくして落ち着いたようだ。


『そうか……この私がダンジョンの核か……。

 人間よ。 この水底が大地に沈んでから、どれだけの時が過ぎたのだ?』


「大体2000年くらいかな」


『2000年……』


 ゲルザードは時の重みを噛み締めるように目を閉じる。


「仲間の固有能力で、この地の歴史を断片的に見たよ。

 誰がやったかは知らないけど、毒か何かで多くのリザードマンが死んでた。

 お前の怨嗟が当時の人間に向けられたものなのであれば、もう恨む相手は全員死んでるよ。

 俺も長い時間を生きた亜龍を殺すのは心苦しく思う。

 楽になってもいいんじゃない?」


 今言った事は、全て紛れも無い本心だ。


 俺は初めてこいつを見た時、悠久の時を生きてきた命を惜しいと思った。


 そして、瘴気に侵されてなお理性を保ち会話が出来るゲルザードを前にして確信する。


「ルスレラ・レーラス。

 俺ならお前を治せるよ」


 ゲルザードは静かに俺を見つめると、再び喉を揺らして笑った。


『人間よ。名をなんと言う』


「……アギト」


 少し迷ったが、こちらの名前を答えた。


『アギトか。

 アギトよ、お前は物好きで稀有な人間だ。

 お前はここに辿り着くまでに、多くの瘴気に触れて来たのだろう。

 それら瘴気は、私の2000年に及ぶ怨嗟によって生み出されたものだ』


「………」


 ゲルザードの言葉の意図が分からず、黙って言葉の続きを待つ。


『アギトよ。

 お前の慈悲は、私の2000年もの怨嗟を否定し侮辱したのだ』


「え」


 全然そんなつもりは無かったのだが。


 ズズズと動き始めるゲルザードを眺めていると、ディカが肩を叩いてくる。


「何を言われたのか分からんが、こいつは今嘘をついた!

 余計な事に気を取られるなよ!!」


 嘘?


「………ああ。 そゆことね」


 鎌首を持ち上げたゲルザードが、遥か上から俺を睥睨する。


『この侮辱、万死に値する』


 ゲルザードの口が開き、酸が放たれた。

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