第73話 ルスレラ・レーラス

 音より早く放たれた酸を、膨張させた骨肉の盾で受け止める。


 衝撃さえ受け止めてしまえば所詮は物質。


 どれだけ肉が溶かされようとも、酸の浸透は俺の再生速度には到底追いつかない。


 そしてその再生速度よりも遙かに早いムアとディカが、ゲルザードに肉薄していた。


「らぁっ!!」


 大剣で叩き上げられ浮いたゲルザードの上半身を、霧で形作られたムアの大きな前足が弾き飛ばす。


 傷は……ついていない。


「固ってぇな」


「どれどれ」


 俺も試しに瘴気を込めて骨槍を生やすが、分厚い皮に押しのけられへし折られてしまう。


「分かっちゃいたけど瘴気への耐性高いねぇ。

 皮膚を固くしてるのは気だったから、俺がもろくするよ」


「ガウッ!!」


「任せる」


 足の筋肉を増やして気と魔力で強化、更に『怒り』で暴発させて弾丸の如く距離を詰める。


 ゴツゴツした皮の突起に指を引っ掛けて掴まると、全身から植物、肉、骨を広げてゲルザードの体の表面を飲み込んでゆく。



 グゴォォォォォォォ!!!!



「うるせー……なっ!!」


 瘴気を放ち侵食しようとする俺を、ゲルザードから溢れ出す気が押し返してくる。


 徐々に引き剥がされながらも抵抗したが、やはり地力が違う。


「うーん、力負け」


 バチーンと吹き飛ばされてしまったので、邪魔になった肉片を自切して体制を整える。


 ゲルザードの意識が宙を舞う俺に向いた瞬間、僅かに開いたゲルザードの口にムアの霧が滑り込んだ。


 こりゃ勝ち申したか?


 だが2000年を生きた亜龍は、そう易々とはくたばらなかった。


「ブレス!!」


 ディカの鋭い声に、ゲルザードの正面から退避する。



 ゴゥッ!!



 大きく開かれたゲルザードの口から、マズルフラッシュのように酸が吹き出された。


 遅れて吹き荒れる暴力的な気に、『下層に行くに連れて陽神の加護が強くなる』のを思い出す。


 通りで頑丈な訳だ。


「ガゥゥゥゥ」


 せっかく忍ばせた霧を吹き飛ばされ、ムアが歯ぎしりした。


「拉致があかねぇ。

 あたしが切り込みを作るから、上手いことやってくれ」


 んなザックリな。


「おけい」


「ガウッ!!」


 ディカは地面に両足を付けると、大剣を掲げるように構えた。


 間欠泉のように、ディカから気が溢れ出す。


 これは以前ゲルのダンジョンで、リザードマンの群れを薙ぎ払った時と同じ気配だ。


 ゲルザードも、自身に匹敵する気の濃度に警戒せざるおえない。


 大きな頭が振り向きかけた瞬間、ディカは大剣を振り下ろした……ように見えた。



 ゴォォォォォォッ!!!



 ゲルザードの頭に大剣が叩き込まれると同時に、地面を巻き上げた衝撃が連鎖して広がる。


 ディカが居た場所からは大量の土や岩が巻き上がっており、ゲルザードの巨体すら見えない。


 だがそれも、ディカの大剣の横薙ぎで纏めて吹き飛ばされた。


 一緒にダンジョンに潜った時とは比にならない、兵器のような力だ。


「あ」


 煙と一緒に弾き飛ばされひっくり返ったゲルザードの顎に亀裂があるのを見つけ、急いで骨を刺して侵食する。



 グゴォォォォォ!!!?



 抵抗するゲルザードだが、皮膚まで潜り込んでしまえばこっちのもんだ。


 気で肉を固められると根は広げにくいが、一度肉に触れてさえしまえば、ジワジワと確実に侵食出来るのだから。


 だがデカ過ぎるせいで、とても侵食が追いつかない。


 俺が悪戦苦闘している間に、ゲルザードはこれまで温存していたらしい魔力を発散させた。


「おっとお?」


 侵食の手は止めずに警戒する。



 グゴォォォォォ……



 周囲の魔力がゲルザードの咆哮に答えた。


「離れろ!!」


 確認せずに飛び上がり、ゲルザードの傷口から逃げる。


 傷口を庇うように押し寄せたのは、匂いから判断するに酸らしい。


「野郎、厄介なのを隠し持ってやがったな……」


 全身を酸でコーティングし守るゲルザードだが、俺からしてみればカモでしかない。


「大丈夫。

 むしろこっちの方が削り易いまである。

 だってあの酸、魔力で置き換えただけだもん」


 口から吐き出された酸は物質として存在していたが、魔力を置き換えた酸は所詮偽物だ。


 効果が擬似的に作られていたとしても、魔力は瘴気の影響をモロに受けてしまう。


 周囲の瘴気を支配してぶつければ一瞬で……とは行かなくても、氷を熱したフライパンに乗せたように溶け消えていく。


 当然ゲルザードも魔力を追加するが、瘴気の相殺の方が早い。


「そろそろ楽にしてあげよう」


「そうだな」


「ガウッ!」


 ゲルザードの酸が、瘴気に飲み込まれてどんどん消えていく。


 全身を覆っていた酸は徐々に薄くなっていた。


 ディカは地面を一直線に割りながらゲルザードの下へ滑り込むと、酸の薄くなっていた腹をかっさばいてかち上げる。



 グゴォォォォォォ!!!



 ゲルザードの絶叫が、瘴気の相殺に負けずに響き渡る。


 身をよじらせてディカに酸を吐こうとしたゲルザードの口を、今度こそムアの霧が埋めつくして呼吸を妨げた。


「アギト!」


「あいよっ!」


 ディカを追い越してゲルザードの下に滑り込み、傷口を侵食する。


 腹の下から見えた柱のように巨大な四肢は、まだ身を起こそうと踏ん張っていた。


「さっさと……眠れっ!!」


 ゲルザードの心臓に巻き付けた根を、力の限り引き抜く。


 キュチュ……ブシュッ


 血袋が爆ぜるのを確かに腕に感じた。


 溢れ出す血の中でお目当ての物を捕まえると同時に、ディカに引き摺り出される。


「わ」


 そのまま小脇に抱えられ、力尽きるゲルザードの下から退避する。


 顔を上げると、血まみれの前髪の隙間からゲルザードの黄色い瞳と目が合った。


 怒りも、憎しみも、悲しみも無い。


 ダンジョンの核だったとは思えない程に静かな瞳だ。


『………アギトよ。

 悪夢を終わらせてくれた事、感謝する』


 ゲルのダンジョンの核であり、古代リザードマン文明の主、『ルスレラ・レーラス』はその言葉を最後に目を閉じるのであった。



●●●●



 全身の血を洗い流し、抱えていた魔石も綺麗にする。


 洗い流され顕になったのは、ハンドボールサイズの透き通った水色の魔石だ。


 酸を吐き散らかし、不浄の核となっていたリザードマンの親玉から取れたとはとても思えない程美しい魔石である。


「大丈夫だったか?」


 ぼーっとしてしまっていたようだ。


 ディカに肩を叩かれハッとなる。


「こいつは……ゲルザードの魔石か。

 驚いたな。

 ダンジョンの核だった割に透き通ってやがる。

 魔力に曇りも無い。

 これもアギトの固有能力の影響か」


 ディカは魔石をヒョイと持ち上げると、しげしげと眺める。


 俺が持った時には一抱えもあったと言うのに、ディカが持てば野球ボールのようだ。


「先に血抜きだけしちゃうから持ってて。

 落とさないでよ」


「当たり前だ」


 地面から樹木を生やし……生やしまくり、ゲルザードの巨体を何とか持ち上げる。


「あ、内蔵がこぼれる」


「ガウッ」


 ムアが霧で臓物をキャッチし、血だけ地面にザブザブ垂れ流しにする。


 腹の一撃はよく見れば綺麗に切り裂かれており、この切り口からハサミを通して皮を綺麗に剝げそうだ。


 あの状況でここまで気が回るのは、流石冒険者件商人と言ったところか。


 だが、ディカの配慮はそれだけでは無かったらしい。


「皮もそうだが、内蔵の薄皮も破らねぇようにしたから傷は無いはずだ。

 廃墟の金品にも負けない額で売れるだろうよ」


「全部売り付けたら流石にグレイ泣くよ」


「ムアに保管してもらって、定期的に売りつければいいのさ」


 取った狸の皮算用をしながらとめどなく溢れてくる血を眺めていると、ふと思い出した事があった。


「どうしたんだ」


「ルスレラ・レーラスの墓でも作ってやろうと思ってね。

 戦う前にちょっと話してたでしょ。

 こいつそんな悪いやつじゃ無かったよ。

 少なくとも俺は、また生きてみて欲しかった」


「………」


 何か言いかけようとしたディカに被せるように続ける。


「こいつは自分の死を望んでいたけどね。

 もっと話してみたかったんだけどなぁ。

 惜しい生き物を殺したもんだ」


 瓦礫の山になった廃墟の奥に、周りとは質感の違う岩が顔を出しているのに気付く。


「これがいい。 きっとこれが1番似合ってる」


 ディカとムアに手伝ってもらいながら瓦礫や土をどけて掘り出したのは、角の取れた黒い大岩であった。


 地下深くに埋まっていた角張った岩とは違う、水の流れによって丸みを帯びた大きな岩。


 水底で静かに暮らしていたルスレラ・レーラスには、きっとこの岩が1番似合っているだろう。


 岩に魔法でルスレラ・レーラスの名前を刻む。


「どうよディカ。

 読める?」


「読めるってお前……ん?」


 怪訝な顔をしながらも文字を目で辿ったディカは、俺の言った意味に気付いたようだ。


「……読める。

 知らない言語だが、読めるぞ」


 どうやら俺の予想は当たったようだ。


「この文字は日本語なんだけど、俺の『言葉を翻訳する固有能力』を染み込ませながら掘ったものなんだよね。

 でもこの固有能力、正確にはちょっと違うみたい」


「どういう事だ?」


「多分だけど、『その場所や空間に染み付いた概念を言葉に当てはめる能力』だと思う」


 気付いたのは、リザードマンの言葉を級長が再現した時だった。


 級長がムアの背でリザードマンの言葉を再現した時は、聞いてる者全員がその『音』の意味を知らなかった。


 だが地上に近付くにつれ、水底に住んでいたリザードマン達の記憶が反映されて『音』が『言葉』に変わったのだ。


 元から『どんな言語でも翻訳できる』なんて都合の良い能力があるわけ無いとは思っていたのだ。


 そんな事が出来てしまったら、もはや神の御業である。


 これは大発見だぞ! と考察も交えて語ったが、ディカの反応は淡白なものだった。


「結局出来ることは変わらなくねぇか?」


「そ、それはそうだけれども……あ、でもでもこうやって他の人にも意味が伝わるように出来たよ。

 これは固有能力の成長でしょ」


「はいはいすごいすごい」


 頭をワシワシ撫でられ、解せない気持ちである。


「あぁ、でもこれから先この岩を見た奴は、どんな言語の奴でも名前が読めるのか」


「うぬ。

 時の流れで忘れ去られるには惜しい存在だったからね。

 ルスレラ・レーラスは永遠になったのさ」


 この墓が存在し続ければ、いつかきっと伝説になるだろう。


「お前はロマンみたいなの意外と好きだよな」


「ディカだってそうじゃなかったら冒険者なんてやって無いでしょ?」


「まったくだ」


 墓に短く黙祷を捧げて背を向ける。


 振り返ると死体の出血量はかなり減っており、切り口からは真っ白な肉が見えた。


「美味そう」


「ガウゥ……」


「お前ら情緒どうなってんだよ」


 ゲルザードの死体を回収し、級長を球根から引き抜いて帰路に着くのであった。



●●●●



 第二拠点では、ファルシュによる『一方的』な防衛戦が行われていた。


 アギト達とゲルザードの戦闘の余波は、本人達は気付いていないが、遠く離れた第二拠点までしっかり響いていた。


 金級相当の冒険者らの攻撃の余波は、息を潜めていたリザードマン達の恐怖を煽り、第二拠点へと追い立てたのだ。


 だがそんなリザードマン達を迎えたのは、無情にも空を埋め尽くす炎の矢であった。




「……ふぁ」


 アギトの生やした防壁に腰掛けながら、ファルシュは小さな欠伸をした。


 コト


 木のたてる心地よい音に隣を見れば、リーチェが駒を1つ後退させた所であった。


「はい、ファルシュの番だよ」


「……む、これはなかなかいやらしい所に置く」


 ファルシュは守りを固めたリーチェの布陣にしばし黙考した後、控えていた大駒を前へ進ませた。


「睨み合いの時間は終わりだ」


「うわっ、そっちが来るかぁ……」


 ファルシュが繰り出したのは、カウンター狙いの囮であった。


 落とそうと思えば落とせるが、もし迂闊に手を出してしまえばリーチェの方が痛手を負う。


 しかし機動力のある駒な為、無視も出来ないのが厄介だ。


 この劣勢をどう切りかえそうかとじっくり考え込もうとするリーチェだったが、状況はそれを許さなかった。


「アギト達が帰ってきた。

 ここからは早指しだな」


「え!? え!?」


 立ち上がれば、確かにリザードマンの群れとじゃれ合うアギト達が遠くに見える。


「アイツらが上がって来た時に駒が多く生き残っていた方の勝ちとしよう」


「わ、わ、わ」


 ファルシュは空に浮かべていた無数の火球を引き絞り、リザードマンを焼き払った。















「………キュゥ」


「…?」


 防壁に上がったアギト達は、盤の前で突っ伏すリーチェを不思議そうに眺めるのであった。

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