第7話 牙のマスクと行商人

 夜の涼しさが残る森の中を、ムアに跨り悠々と進んでゆく。


 この辺りはすっかり慣れたもので、道が無かろうと迷わずに進める。


 目的地である大岩が目印の場所は、日が頂上に登るまでに着いた。


 大きな布をタープのように張って、石を魔法で積んで火の場を整えれば、拠点についてやる事はもう殆どない。


 寝床やらは魔法でちゃちゃっと作れるから、次やる事は食料探しだ。


「ムア、行くよ」


「ガウッ」


「おわっ」


 股の下に滑り込み俺を持ち上げて走り出したムアに、振り落とされないようにしがみつく。


「せっかくいつもより少し離れた場所に来たんだし、バイコーン以外がいいなー。

 つっても、同じ森の中じゃ住んでる生き物がそう変わったりはしないだろうけど。

 ムアは何食べたい?」


「ガウーウ」


「バイコーンかい。 まぁ、量があるのはこの辺りじゃバイコーンくらいしか居ないから仕方ないけどさ」


 ぶっちゃけ何言ってるのかは分からないが、こんなのは雰囲気だ。


 だがムアの方は俺の言葉が分かるらしく、訓練など無しに指示を聞いてくれるので、これほど心強い相棒はいない。


 特に否定してこない様子を見ると、大体合っているのだろう。


 拠点との距離を一定に保って散策していると、やがて道に出た。


 森を一直線に割いてどこまでも続く、踏み鳴らされた道。


 半年前に俺が最初に踏みしめた地だ。


「ムアも一緒に落ちてきたんだっけ?」


「ガウッ」


 思えば、ムアも不思議な生き物である。


 初めはこの世界の生き物かと思っていたのだが、長命なライゼンも知らないと言っていた。


 だが地球原産かと言えば、そんな訳は無い。


 絶対引きずるだろって長さの尻尾をフワフワ浮かせて歩き、僅か半年で中型犬サイズからヒグマサイズにまで成長しているのだから。


「ムアはどっから来たんだろうねぇ」


「ガウ?」


 そんな疑問も、この青くて美しいつぶらな瞳を見ているとどうでも良くなるのだが。


 しばらくサラサラの毛並みを楽しんでいると、不意にムアが道の先に顔を向けた。


「お肉?」


「ガウーウ?」


 どうやらムアも正体は掴めてないらしい。


 まだ姿は見えないが、道の先に何かいるのだろう。


「見に行ってみようか」


「ガウッ!」


 ムアに跨り疾走する。


 左右の木々が飛ぶように流れてゆく景色の中で、それは姿を現した。


「……馬車?」


 猛スピードでこちらに向かってくるのは、大きな荷車を引いた2頭の馬であった。


 反射的に道から外れ、木の上に身を隠す。


 程なくして、けたたましい車輪の音を響かせる馬車と、バイコーンの群れが目の前を駆け抜けて行った。


 馬に発破をかける御者の男1人、弓を引く男1人、それを追いかけるバイコーン6頭である。


 気取られぬよう、ムアに乗って音もなく後を付ける。


 馬車の戦力は、必死の形相で弓を引く男1人らしい。


「このままだと追いつかれて食われそうだね」


「ガウ?」


「………もうちょい様子を見ていようか」


 この世界に来て半年経つが、実はライゼン以外の人間と関わった事が無い。


 善悪の考え方が似通っているのはライゼンの話を聞いて知っていたが、それでもファーストコンタクトになるのだ。


 多少臆病になっても文句は言われまい。


 しかし、状況はそれを許さなかった。


「ぐっ!」


 バイコーンから放たれた氷の塊が、弓を引いていた男の足に直撃したのだ。


 俺もこの世界に来て初っ端に食らった、バイコーンの氷の魔法だ。


 馬車から落ちることは避けたものの、男はとても戦える状態では無い。


 丸腰の馬車に、バイコーンはグングン距離を詰めてゆく。


 このままでは、彼らが食われるのは時間の問題だろう。


「しゃーなし。 ムア、やろうか」


「ガウッ!」


 ムアの霧が爆発するように膨らみ、辺りを包み込んでゆく………



●●●●



 行商人のポルトは後悔していた。


 遠方の珍しい果実を手に入れたはいいものの、鮮度を保つ為には運搬に時間をかけてはいられない。


 そこで、遥々山を越えてバイコーンの生息域である『ユフォルムの森』を、リスクを犯して通る決断をしたのだ。


 信頼出来る冒険者の友人、アルが同行をしてくれた為、幸先良いと喜んでいたつかの間の事。


 ユフォルムの森に入ってすぐに、バイコーンの群れがケツから追いかけてきた。


 慌てて馬に発破をかけるも振り切れず、遂にアルが倒れてしまう。


「ぐっ!!」


「アル! 大丈夫か!?」


 荷台の向こうから聞こえてきた呻き声に、全身の血の気が引く。


「すまねぇ、ドジっちまった……」


「いいんだ! 私達にはまだ早かったんだ!

 荷物はしょうが無い、金袋だけ持って馬で逃げよう! 前まで来れるか!?」


 ポルトとアルは、お互いが行商と冒険者に成り立ての頃に知り合った。


 誰を信じて良いのか分からない状況の中で2人は運良く意気投合し、殆ど専属のような形で各地を巡って来た。


 一蓮托生で続けてきたからこそ、荷台の品を捨ててでも2人で生き残る決断をしたのだ。


 アルもそれは同じ気持ちだ。


 申し訳なく思いながらも、背に腹はかえられない。


「分かっ、うわっ!?」


 しかし、辺りが突然濃い霧に呑まれる。


 目前に迫っていたバイコーンすら霞む濃い霧に、アルは目を凝らした。


 霧の中で何かが飛び交うたびにバイコーンのいななきが響き渡り、薄ら見えていた黒い巨体が次々と吹き飛ばされてゆく。


「アル大丈夫か!? クソッ、前が見えない…」


 ポルトの声に、アルは返事を返せなかった。


 未知の存在の襲撃に、本能的な恐怖で声が出なかったのだ。


 やがてバイコーンの蹄の音が消え、静寂が訪れる。


「いなくなった……のか?」


「そうだよん」


「ひっ!?」


 背後から突然聞こえた声に飛び上がり、その拍子に荷車から足を踏み外してしまう。


「あ」


 爪先を地面に攫われる直前、グイと引き戻されて尻もちをついた。


 見上げてみれば、荷台の隅に同乗者が増えているではないか。


 1人は、目も髪も黒く、牙が剥き出しの不気味なマスクを着けた男。


 1匹は、真っ白な美しい毛並みの、尾が異様に長い狼のような獣であった。


「ガウッ」


 白い獣が吠えると、辺りを覆っていた霧がみるみるうちに白い体毛に吸い込まれて消えてゆく。


「あ……あんたは?」


「俺は、あー……」


 男は視線を宙に彷徨わせると、自分のマスクに手を当ててこう言った。


「俺は『アギト』だ」


 と。



●●●●



 本名を名乗らなかった事に、深い意味は無い。


 ただ、昔から知らない人に名前を聞かれた時やネットなどで、自分に繋がらないように偽名を使っていた。


 その時の癖で『アギト』と名乗ったのだ。


 牙のマスクだから、顎。


 安直な偽名だが、特に不審がられる事は無かった。


 弓手の男の治療の為に馬車を止めた彼らに話を聞けば、御者の行商人はポルト。


 弓を引いていたのは、冒険者のアルと言うらしい。


 森を突っ切った道の先にある『ギニン』の町に乾燥加工の魔法に長けた人物がおり、そこに向かう途中なのだとか。


 しかし不運にもバイコーンに見つかり、今に至るとの事だった。


「ならバイコーンの内臓を焼いて、匂いを撒き散らしながら走ればいいよ。 そうすればあんまし寄ってこないから」


「それはいい事を聞いたな。 んじゃ……失敬しても?」


 アルの視線の先には、俺とムアに襲われたままの姿を晒した、バイコーンの死体があった。


「うぬ。 好きにせい」


「ありがてぇ」


 ナイフ片手にバイコーンの解体へ向かうアルを見送ると、行商のポルトが話しかけてきた。


「助かりました。 まさかバイコーンの群れに襲われるとは……」


「バイコーンは馬の上位種だし、逃げ切るのも難しかったでしょ。 なんでこんな無謀な真似を?」


 痛いところを突かれたと、ポルトは苦笑いを浮かべる。


「少々欲をかきまして……」


「で、追いかけ回されたと」


 商人とはそのような生き物なのだろうか。


「さて、先程の腕前を見るにかなり腕が立つようですが、あいにくお礼出来る程の蓄えを持ち合わせておらず……」


 なるほど、ポルトが話しかけてきた理由はそれか。


 しかしお礼ねぇ。


 ぶっちゃけこの人達から巻き上げる程鬼でも無いし、恩を着せてやった感じはしない。


 ただ何も受け取らずに去って、今後足元を見られる可能性があると不安なんだよなぁ……。


「あ、これはルレックと言う果物です」


 荷台に積まれた籠を見ていた事に、気がついたのだろう。


 ポルトは1つ取り出してみせる。


 ラグビーボールのような形をした、真っ赤で大きな木の実だ。


「これって美味しい?」


「あ、はい。 みずみずしい甘さが特徴の木の実ですね」


 ほう、それは良い事を聞いた。


「ならこれを……5個貰えたら嬉しいかな」


「5個でよろしいので?」


 おや、この反応は意外だ。


 両手でも包み込めないほど大きな木の実だ。


 籠に山のように盛られているとは言え、5個はしぶられるかと思ったが、ありがたい。


 真っ赤に熟れたやつ2つと、まだ完熟してなさそうな3つを選んで手に取る。


「ルレックって日持ちする?」


「しますよ。 アギトさんが後から選んだ3つなら、1週間後が食べ頃です」


「そりゃいいね。 ありがたく頂くとしよう」


 熟れた2つは俺とムアで食べて、残りの3つは持って帰ってからライゼンと一緒に食べればいい。


 それに、ライゼンの植物を操る能力なら、種から実らせて何度でもこの味を楽しめる。


 ルレックをムアの霧に預けたら、次はバイコーンだ。


「こいつら解体するけど、もし良かったら何ヶ所かいる?」


 そう言いながらバイコーンを魔法で吊り上げてバラバラにしてゆく。


「俺達は2日分の肉が欲しかっただけだから、欲しい分はあげるよ」


 返事が無いなと振り返ると、ポルトとアルが口をポカンと開けてこちらを見ていた。


「なにさ」


「旅の気道僧様でしたか……?」


「違うけど。 気道僧ってなんだい?」


 気道僧とは『気』をとことん鍛える為に旅をしている僧の事を指すらしい。


 その僧らは、大地や命の力を司る『陽神』を直接信仰する者で、その教えはざっくり言うと、『楽しくあれ』『優しくあれ』『逞しくあれ』だそう。


 先程の俺のあり方を見て、気道僧だから優しいのかと思ったらしい。


 「物価も分からん田舎者です」と真実を伝えると、彼らは俺とムアの力に驚きつつも再び礼を言ってくれた。


「で、肉はどうするよ。 次の街までどれくらいかかるかは分からんけど、最近涼しくなって来たし2、3日の食事の足しにはなるんじゃない?」


「『ギニン』までは4日程かかります。 私は冷却の魔法が使えますので、鮮度は維持出来るかと。 本当に、感謝しても仕切れません」


「俺からも礼を言わせてくれ。 あんたのおかげで助かった。 アギトと……」


 俺の横に目を滑らせるアル。


「この子はムアだよ」


「ムアか。 ありがとうな、ムア。

 しっかしべっぴんさんだなぁ。 なんて言うモンスターなんだ?」


 確かにムアは真っ白でフワフワした長い体毛と整った顔立ちに、透き通るような水色の瞳が映える、美しい姿をしている。


「俺も知らないんだよ。 気づいたら一緒にいたんだ」


 この感じでは彼も知らなさそうだし、いつか出かける旅先で知ればいいだろう。


 その後、ポルトとアルに別れを告げて、俺は野営に戻るのであった。

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