修学旅行と友情未満

篠海好

第1話

「先に言っておくけど」

 ぼんやり窓の外を眺めていたくるみは、不意に顔をあげ隣席にそう声をかけた。くるみが横を見ると、隣に座っている花蓮が右手で本のページを抑えながら顔をあげている。彼女は続きを促すようにゆるやかに首を傾けていた。

「あたし、蒼井のこと好きじゃないから」

 くるみが一言言えば、感情の籠っていない瞳がじっと見つめ返してくる。通路を挟んだ席で一回も喋ったことのない男子生徒がお菓子の袋を開けているのが目に入った。

「……そう」

 一瞬の後まばたきと共に、花蓮はそれだけ言うとまた視線を手元の小説に戻した。逸れた視線に安堵して、自身の安堵に気づいた指先がほんの少し動揺に揺れ、動揺したことにイラついて奥歯を噛み締める。万が一にも、また視線がぶつかる事がないように顔を前に向けた。落ち着きのない仕草で膝の上を払いつつ、くるみは言葉を続ける。

「そう。だから別に蒼井も無理に話しかけたりしなくていいからね。仲良く楽しい修学旅行にしよう!なんて思ってないからさ」

 衣擦れの音。花蓮がただ身じろいだだけなのか、それともまさかこちらを向いたのか、とまたしても忙しなく膝の上を両手が彷徨う。落ち着かない気分でくるみは長い前髪に指を通しながら横目に様子を窺ったが、花蓮は相変わらず小説に目線を向けていた。いや、もとはと言えばあっちがわるいのだ。朝は一応は気遣って挨拶したというのにろくに返事もしなかったのは花蓮の方なのだ。だと言うのになんでこっちがこんなにソワソワしなきゃいけないんだ!そりゃさっきのは友好的な発言とは言い難いけどさ、とくるみは頭の中で捲し立てると、だいたいアイツはなどと不満を並べたて始めた。

 三日間同じ部屋、同じ班で過ごさねばならない以上くるみだってやたらめったら揉め事を起こそうだなんて考えない。ましてや三人班で一人が欠席している状態だ。だがいくらくるみが気を使っても肝心の花蓮が素っ気ない反応しか返してこない。くるみはお世辞にも心が広いとは言い難い人となりをしており、先ほどの言葉は当然ながら当てつけである。腹立たしげに毛先を弄りながら、なんで風邪なんか引くんだよ市川!と欠席しているもう一人のクラスメイトを内心責め立て始めた。

 市川、ユイだかマイだかくるみと花蓮の三人で構成されたこの班は余り物班である。「修学旅行の班決めだけど、三人以上五人以下で好きに組んで!」などと担任が言い放った時くるみは下唇を噛んだ。別に友達がいないわけではない。ただ"同じクラスには"友達がいないだけだ、と誰にともなく言い訳を浮かべるも、結局誰一人としてくるみを誘わず、また同じようにポツンと座ったままでいた市川某と欠席だった花蓮とを担任はまとめて一班に拵えた。

 くるみも市川もクラスメイトから苗字はともかく下の名前は知らない、と言われがちな立場の生徒であり余り物になるものやむなしと言ったところだが花蓮は微妙に立場が違う。嘘みたいに整った顔立ちをしているし、今どき順位を廊下に張り出したりはしないから、実際どうなのかは確かめようがないけれどどうやら頭もいいらしく、微妙に間違えた苗字で呼ばれることはない。しかし彼女はひどく口数が少ない。何を聞いてもうんかううんしか帰ってこないし、もちろん相槌も打たない。そして何より目が合わない。会ってもすぐ俯いたり他所を眺め出す。入学当初は入れ替わり立ち替わり話しかけられていたものだが結果として今は遠巻きにされている。花蓮が何を考えてそんな風にしているかは知らないが、くるみにとってそれらの仕草はお高くとまりやがってという反感を生み出すものだった。そんなわけで一応三人の中を取り持とうと試みていた市川が病欠してしまうと、極端に無口な花蓮とお世辞にも愛想がいいとは言えないくるみの空気が冷えに冷えきった最悪のサシ班が生まれてしまっている。

 くるみが苛立ちのままにトントンと何度かつま先で床を叩いていると、何か蹴ったような感覚があって下を見た。足元にピンク色の飴玉が転がってきている。前の席の誰かが落としたらしい。そのことに気づいていないのか、楽しげな歓声が聞こえてくる。くるみは舌打ちと共に軽く後方に蹴り飛ばしていた飴をかかとで止め、力一杯踏み締めた。




 「鹿って、近くで見ると意外と可愛くないな」

 むしろなんか怖……とひとり呟き人も鹿も少ない方へと移動するくるみをよそに、花蓮は鹿せんべいを片手に少しばかり楽しげに口元を緩めた。ぞろぞろとクラスごとに東大寺を周った後訪れた奈良公園で、相変わらずくるみはわざとらしいほど退屈そうな表情を作っている。三人組の女子がきゃあきゃあ声をあげながらはしゃいでいるのを横目で睨む。

 早く移動したい、と大袈裟にため息を吐くと花蓮が胡乱げな目でこちらを見ていることに気が付いた。

「……なに?」

「いや……別になんでも」

 スッと視線は逸らされた。含みのある行動をしつつも結局何も言ってはこないその態度にまたしても苛立ち、問い詰めようと詰め寄ったくるみの腰に軽い衝撃が走った。

「わあっ」

 よろけたくるみの足元で小さな叫声と共に幼い少女が転ぶ。バランスを崩し危うく少女を蹴り飛ばしそうになった瞬間、花蓮がくるみの腕を取った。そのままぐいっと両手で掴まれた右腕を引かれ体制を立て直される。彼女の意外にも素早い動作には、これまた意外なことに案外しっかりとした力がこもっていた。

 思わずタタラを踏んだくるみを花蓮は大きな目をより一層見開いて頭の上から足の先までまじまじと眺めた。視線がぶつかったものの互いに口を開いては閉じ、何か言うことを探してはしばらくの間見つめ合うような状態となり、どことなく気まずくなった雰囲気にくるみが無言で目を逸らした。花蓮はゆっくりした瞬きの後でハッとしたように尻もちをついたままの少女に顔を向ける。そしてそのままほとんど押し飛ばすように掴んだままだったくるみの腕を離ししゃがみこんだ。

「……大丈夫?」

 少女と何度か言葉を交わし抱き起こしてやっている花蓮の後頭部をぼんやり眺めていると、三十過ぎくらいの女性が駆け寄ってきた。女性は少女の母親らしくしきりに娘の様子を気にしながら頭を下げてきた。

「……江戸川」

 密やかに声をかけて、花蓮がすぐ後ろに近寄ってきた。控えめに触れてくる手のひらを背に感じた。

「あ、ああいや、別にそんな謝らなくても……あたしも足元見てなかったですし。むしろこっちが悪かったて言うか」

 そのまま花蓮に背中を緩く叩かれて促されるままにしばらくやり取りをし、やがてその親子は去っていった。女の子は母親と手を繋ぎすっかり泣き止んで花蓮に手を振っていた。

「ちゃんと謝るんだ」

「あたしのこと何だと思ってんの?」

 別に、とまた素っ気ない返事をして花蓮は離れていく。くるみがふと目線を下すとギュッと握られていた制服の袖にはぐるりと一周分、皺が寄っていた。




 どさりと壁際のベットに座り込む。それなりに固いマットレスの上で胡座を組みながらドライヤーを使ったおかげで髪はもうだいぶ乾いていたが、もう一度大雑把に頭をタオルで拭いた。三人班として振り分けられた部屋だから、窓際のベットが一つ余っている。シャワーを浴びる順番はじゃんけんで決めた。他愛のない手遊び。チョキの形に伸ばしたスラリとした細い指、緩く握り込まれた整った形の爪。花蓮の指先は、よく見れば薄らと淡いピンク色で彩られていた。なんだか意外だ、とぼんやりと思いながら、手持ち無沙汰気味に肩口の辺りの髪をやたらと指で梳く。廊下で甲高い笑い声が響いたような気がした。

「江戸川」

「うわぁぁぁ!」

 突然背後からかけられた声にくるみは全身を飛び上がらせた。間抜けな叫声をあげ大きく開いた口のまま錆びついたような動作でゆっくり振り向くと、くるみの反応に驚いたのか花蓮が目を大きく見開いていた。肩でも叩こうとしたのかやり場をなくした右手は宙に浮かしている。

「っあ〜ビビった。早すぎでしょ、カラスかよ」

 ちらりと壁にかかった時計を見たが花蓮が風呂場に消えてから、ほんの十五分ほどしか経っていない。花蓮の髪のそれなりの長さを考えると本当に全身を洗っただけでさっさと出てきたらしい。タオルをかけた肩の上で湿ったままの髪がぽとぽとと水滴を滴らせている。

「あっ、えっと……ごめん」

 また目を逸らしながら花蓮が自分のベットに近づく。

「いや、まあ別にいいけど」

 おもむろに倒れ込むのを、くるみは眺めていたが花蓮がスマホを引っ張り出してメッセージのやり取りを始めたことに気が付き、生来の無遠慮さを発揮して覗き込んだ。

「誰それ」

 何見てんの、とでも言いたげに不満げな目線を向けたものの花蓮は少し口籠んだあとで気だるげで小さなため息を吐いた。

「……お姉ちゃん」

「へぇ蒼井って兄妹いたんだ」

「楽しんでる?って来てた、から……」

 花蓮は何か居心地の悪そうな顔でもにょもにょと口を動かしたが、結局言葉は音にならず、ムスッとして口を噤む。ゆるく力を込めた手指に目が止まりくるみは先ほどの弛緩した物思いを思い出した。そしてまたしても無遠慮で無愛想な感性のままに思い出したことを尋ねる。

「そういえばさあ蒼井、爪なんか塗ってる? 」

 ずいっと身を乗り出して花蓮の膝の間に割り込むくらいに近づいて、右手を取った。花蓮の肩がびくりと跳ねる。手をスッと引き抜こうとしたのが何となく気に食わなくて、掴んだ指に力を入れて握りしめた。

「えっと、これはお姉ちゃんが……あの」

 引きこもりがちなくるみの手の甲よりもさらに色の白い花蓮の手を見ながらぼんやりした意識のまま適当に会話を続ける。花蓮はスマホを握ったままの右手を、恐々した仕草で胸元に引き寄せた。

「ふーん。仲良いの?」

「まあ普通。ねえ、あの、手……」

 姉。似ているのだろうか。花蓮のような暗い奴だったら、いやなんか違うっぽいな、なんて考えた。親指の爪の形を矯め眇めつ、見やる。

「あたしは兄妹とか居ないからなぁ 」

「……へぇ」

 一向に手を離さないくるみにとうとう諦めたらしく、花蓮はガクリと力を抜いて右手も頭も下げる。ジトっと胡散臭がるような目で眺めたが、しばらくの間くるみは気づきもしなかった。




「蒼井ー?おい蒼井?」

「……うん」

 ダメそうだな、と朝食の席でほとんど二度寝しかけている花蓮を起こす試みを断念した。くるみの右隣に座った花蓮は朝は弱いのか目覚ましに叩き起こされては二度寝し、髪を解かしながら寝かけ、今も小鉢に片手を添えつつ下がる瞼に抗えないでいる。朝飯を食べながら眠りこけるなんて、幼児かと言いたくなるほどの間抜けさだ。でも、とくるみは水を飲みながら馬鹿みたいに長い花蓮のまつ毛に目をやって本日何度目かの同じ感想を抱いた。嘘みたいに綺麗な顔しやがって、と。にしてもこの調子で大丈夫なんだろうかと心配になってくる。別に会話がゼロなのはいいが午後からの班行動で寝ぼけた同級生を介護しながら周るなんて嫌だ、と眉を顰めた。

 そのあとも半ば眠りかけたままの花蓮を引きずってバスに乗り込んだが、目的地である北野天満宮に着く頃には流石に目も覚めたようだった。軽やかな足取りでトントントンと降車していく姿を見て、ふと気がつく。

「蒼井」

「……なに」

「リボンつけ忘れてない? 」

 花蓮は慌てて自分の首元に目線を下げ、制服のポケットをまさぐった。勢い余ったのかせっかく見つけ出したリボンは取り落とし足元に落ちて砂に塗れた。

「……あー」




 くるみの半ば冗談の懸念をよそにさすがに午後になると花蓮の足取りもしっかり目覚めたものになっていたが、逆にくるみの足元が弱っていた。

「うぉぇ……人混みエグ……」

 人混みに流されるがままに追いやられた花蓮が少し遠い位置から控えめに手を振って上の方を指した。

「お守り買うから先行ってて……」

 何だあいつ、単独行動しかできないのか、と八つ当たり気味に舌打ちすると流れに逆らうのもダルいとぼやぼや進む。見覚えのある布地が目に入って、顔を上げると同じクラスの何人かが楽しげに声を上げながら目の前を歩いていた。恋愛運がどうとか、彼氏がどうだとか言いながらずいぶん賑やかな様子だ。

「……何してんだろ」

 対して興味もない観光地で親しくもない奴と人混みのなかやたらめったら移動している。おまけにあいつは事あるごとに単独行動を始めるし、疲れた、エトセトラエトセトラ。こんなことならサボって家でゲームでもしてたらよかった、等とどんどん不平不満が湧き出てくる。

「あー」

 帰りたい。

「江戸川」

 背後から花蓮の声が聞こえたが、振り返るのも気怠くて無言のまま片手を適当に振った。何の腹いせなのかもわからないが、しばらく振り向かないでいてやろとくるみは考える。花蓮は、走りでもしたのかすこし息が上がっている。横でもなく後ろでもない位置に移動してきた花蓮に対して、なんかコイツってまるで気遣いというものがないな、なんてイマイチ出所のわからない怒りを抱きながらゾンビのように無意識で歩き続ける。しかし口の方からは思わず不満が溢れた。

「つかさ、縁結びとか馬鹿馬鹿しくね? わざわざこんな混んでる中行く意味ある?」

「えっ」

 驚いたことを端的に示す声音が予想外で、くるみまで驚いてしまって先ほどの突発的な考えを草々に棄却して振り返ってしまった。

「蒼井が興味あって来たんじゃないの?」

 くるみの言葉を否定するようにやけに幼い仕草で首を振った花蓮の瞳は丸く、わかりやすく驚いた様子だった。立ち止まった二人を煩がるように睨みながら、ガイド付きの一行がゾロゾロと避けて石段を上がって行った。

「二日目の予定に入ってた、から、江戸川たちが興味あるのかと思って……」

「いや別に縁結びなんて興味とかないし」

「そう、だったんだ……」

 中年の夫婦にぶつかったことでヨロヨロと端に寄ったくるみに、花蓮は呆気に取られた顔のまま後に続いた。二人して対して興味もない場所に寄ってどちらも人混みにうんざりしていたなんて馬鹿みたいだ、と舌打ちする。

 ちょっと困った顔でくるみの様子を伺うように花蓮が小首を傾げた。階段の下方に立っているから、自然と上目遣いになっていて、やけに不安げに見えた。

「無駄足?」

「まあそうかも」

 ふらふらと二、三段下がれば目線はだいたい同じくらいに戻った。そうすると不遜な、面倒くさそうな態度に見えるのだから不思議だ。

「あー八ツ橋見にいこうぜ」

 花蓮も行きたいわけじゃないならいいだろとさっさと身を翻せば間の抜けた返事が背後から続いた。

「……あ、うん。待って江戸川」

 遅れ気味の花蓮にもしかして口ではああ言いつつも興味があったのだろうか、とくるみは少しばかり思ったがまあどうでもいいかと無意味に気遣ってしまったなんていう風な思考を頭から追い出した。




「八ツ橋とかわざわざ買うの?」

「お姉ちゃんが買ってこいって……」

「シスコンかよ」

「うるさい……」

 普通のものの横に並べられた苺やソーダ、桃から何ならと変わり種まで試食用に切られた八ツ橋をいくつか食べては吟味するように考え込み始めてしまった花蓮を見てはため息をついた。神社で並ぼうが並ぶまいがどっちにしろ人混みの中なのは変わらない。それに花蓮はお土産屋に引っかかってしまいもう十五分程同じ店にとどまっていた。

「早くしろ〜!」

 今度は口に出さなかったものの、花蓮はうるさいなと言うように目を眇めて振り向いた。ジトっとくるみを見つめていたが、しばらくしてフンと鼻を鳴らし小馬鹿にした笑いを小さく頬に浮かべた。

「江戸川は……お土産渡す相手もいないの?」

「身内はカウントしないだろ!普通そういうのは」

 その態度がやけにムカついて、やっぱりコイツ嫌いだ!とくるみは地団駄を踏む。

「つかあたしは友達いるから、あんたと違って。同学年だから買ってかないたけだし」

 ビシ!っと芝居掛かった馬鹿馬鹿しい動作で花蓮を指すも、またしても鼻で笑われ、そのまま彼女はレジの方へと去って行った。言い訳だとか負け惜しみだとでも思ったのだろうか。馬鹿にするがいいさ!真に友達がいないクソぼっちはお前だ!などと頭の中で子供っぽく馬鹿馬鹿しい喚き方をしていると、何を感じ取ったのやら近くにいた小さな子供が胡乱げな目を向けて親の方へと走って行った。




「いや、ほんとお前さ。風邪引くよ?」

 日が暮れて、部屋に戻ってシャワーを浴びた後、やはり花蓮は濡れたままの頭で座り込んではザッピングしていた。肩にかけられたタオルがそれなりの水分を吸い込んで色を変えている。思わずため息をつけば不思議そうな瞳が向けられた。

「いつもそんなんなの?」

「家、だと、お姉ちゃんが……」

 妙に気になるのでもう諦めるかとまたため息をつきバンバンと自分のベットを叩くと、今度は柳眉が不審げに顰められる。ドライヤーのコンセントを指してからベットの上に這って戻る。

「ま〜たお姉ちゃんかよ!ガキじゃないんだからさあ!あ〜もうほらこっち来い」

くるみの言葉にムッと頬を膨らませたものの、特に何も言わず、自分で髪を乾かす煩わしさとくるみに乾かしてもらう不本意さを天秤にかけるように視線を動かした。ウム、と一つ頷き、ひょいとベッドの上を通ってくるみの前に腰を下ろす。

 丸い後頭部にドライヤーを向けながら、なんでこんな事してんだっけ?と思いもよらぬ状態に至るまでを振り返ったものの、状況の変化はくるみにもよくわからないうちに起きたようだった。ドライヤーの発てる騒音が部屋を満たす。花蓮は足先をゆらゆら暢気に揺らしている。ぼーっとし始めた辺りで密やかな声で名前を呼ばれる。

「ね、江戸川」

 あのね、と話しかけてくる子供みたいにあどけない口ぶりだったから、くるみは何となくドライヤーを止め、ちゃんと聞き取ろうとするような姿勢を取ってしまった。

「私、ね、あのね。……私も江戸川のことあんまり好きじゃない」

 くるみの方に振り向いて、昨日の朝に比べるとずいぶん穏やかな雰囲気を叩き割るような一言を、花蓮は緩やかな口ぶりで発した。何で今言った⁈喧嘩売ってんのか!と食ってかかろうとしてドライヤーを置いて、そして驚愕する。花蓮は本当に美しく、花が綻ぶように柔らかく微笑んでいた。それでようやく気がついた。目が合っている。花蓮はいつもスルリと視線を逸らし、ろくに返答もして来ない。それが今日はどうだ。

 花蓮はほんとに仲のいい相手にするみたいにくすくす軽やかな笑い声をあげている。

「んふ、ふ……嫌いだ」

 馬鹿にしているわけでもなく、むしろ気恥ずかしそうに笑うのだから訳がわからない。けれど息を呑むほど美しい笑みを浮かべるものだからくるみはどうしたら良いのかわからなくなってしまった。いつもの調子で無責任に文句を垂れるか、あるいは罵倒すればいいのか、まさかくるみがあたしも嫌い!お揃いだね!なんてにこやかに言うはずがない。

「いや、や、でも普通このタイミングで言わないでしょ!」

 絞り出せた言葉はそんなパッとしない主張だけだ。

「でも、先にそう言うこといったのは江戸川だよ」

「うるせ〜!あたしは好きじゃないって言ったの!嫌いとまでは言ってないし!」

「どっちにしろ普通はそんなこと、言わないし!……非常識なのは江戸川だし、この場合、そっちに非があるんだから」

 それはそう、と思わず頷きそうになった。いやでも、とまた口籠ったもののやはりくるみは特に良い言い訳を出せたわけでもなかった。

「だってあんたのこと苦手なんだもん!」

「意味わかんないし……」

 頬を膨らませ体全体をくるみと向かいあう形に動かして、ほんの少し下から花蓮は覗き込んでくる。この状態ではほんとに、どうしたら良いのかわからない。なんだか変な雰囲気だけれど、妙に柔らかい生温さにくるみはほとほと困り果て、そして戸惑っていた。

「だっ、あっー!もう!寝る!」

 だから思考を放棄し、試合放棄の手振りで花蓮を押しやってかけ布団の中に潜り込んだ。

「あっ、江戸川!ちょっと!」

 ズルい!なんて花蓮があげた声に何がだ!と言い返そうとしたが、とにかく会話を切り上げたくて口を紡ぐ。むず痒くい。とにかく居心地が悪いような良いような、そんな混乱から逃れたかった。



 しばらく喚いていたものの、さすがに諦めることにしたらしく花蓮は電気を消し、自分のベットに潜り込んだようだ。暗闇の中で小さく動く気配がした。

「……ねえ、江戸川」

 小さな声が背の向こう側から投げかけられた。身じろぎ、布団を引っ張る音。

「おやすみ。明日、……いや、ううん。何でもない」

「……おやすみ」

 なんだかむず痒くどうしたらいいのかわからなかった。これじゃあ、これじゃあまるで仲良しこよしの二人組みたいだ!なんて。なんだこれ気持ち悪い!なんて、叫び出したいような気がしたけれど、妙に柔らかい気分なのも事実で、明日どんな顔をすればいいんだろうと頭を抱えたかった。勝手に心を開いて勝手に満足したのか、勝手なことを言った花蓮はもうすでに寝息を立て始めている。仲良く、なったと言えるんだろうか、これは。

 悶々としている内に、結局くるみも穏やかな眠りに落ちて行った。

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