魔法少女は忘れない

刀柄鞘

第1話

 悲鳴と叫び声が飛び交う白昼の商店街に、真っ黒な毛皮に筋骨隆々な二足歩行の巨大な兎。その紅い瞳に映るのは、地面に躓きうつ伏せになって逃げ遅れてしまった少女。またこの夢だ。だったらあの少女は私。そう認識した瞬間、さっきまでアニメのように流れていた私の視界が少女のものになった。

 体を仰向けにしながら振り向くと、人間と同じ形をした黒く大きな手が私に向かって伸びてくる。怖い。夢の中だと分かっていても、この手に握りつぶされたら本当に死んでしまいそうな、そんな迫力がある。でも、大丈夫だ。だって──。

 今にも私を握りつぶそうとしている手を、一瞬の間に現れた彼女が蹴り飛ばした。


「怖かったね。でももう大丈夫だよ。私があいつをやっつけるから」


 たくさんのフリルに飾られた白と黄色を基調とした服に身を包んだ、金色に煌めく異様に長いツインテールがトレードマーク。そのかわいらしさとは裏腹に、武器を使わず、己の体だけで猛々しく戦う彼女。

 私が生まれる十数年前から突如現れたという怪物、『魔物』と戦う力を持った『魔法少女』の一人。

 彼女の名前は──魔法少女ミルキー・セイナ。



「え、霜笛しもふえさん、セイナに生で会ったことあるんだ」

「そう! 子供の頃に一回だけだけどね。ミルキー・セイナは私の命の恩人でもあり、憧れの人なんだ! だから……」

「だから?」

「ううん、何でもない。それより私のことは愛莉あいりでいいよ。これからよろしくね」


 入学式も終わり、教室では近隣の席の人への自己紹介合戦が始まっていた。かく言う私も昨日の夜に練った戦術で戦場に身を置いている。春特有のざわめきが教室を支配する中、ガラガラと音を立てて開かれた教室の扉へ一斉に私たちの視線が注がれた。

 入ってきたのは入学式で紹介されていた、私たち一年三組の担任の先生。式の時は遠かったからよく見えなかったけど、教室という狭い空間ならよく見える。ツヤのある長い黒髪はふんわりと波打ちながら胸元まで伸びていて、かっちりと着こなされたスーツの上からでもその恵体は遺憾なく力を発揮している。とてもナチュラルに施されたメイクが、元々整っていたであろう美貌をさらに引き立たせ。大きくはっきりと開かれたつり目がちの瞳からは、厳しさよりむしろ優しさを感じ取れる。きっと弧を描くような穏やかな眉毛のおかげだ。

 教壇に立った高校初めての担任の先生の言葉を、私は固唾を飲んで待つ。教室が静かになったということは、他の人も同じなんだろう。


「皆さん、ご入学おめでとうございます。一年三組の担任になりました、星河ほしかわ友七ゆうなです。一年生の現代文を担当します。私も今年から教師になったので、皆さんとは立場こそ違えど、同じ高校一年生です。お互い頑張っていきましょう。よろしくお願いします」


 教室が拍手に包まれる中、私の感想は、すごく優しそうないい先生。と同時に、思ってたよりも低い声だとも感じた。なんだか全体的にセイナに似ている気がしたんだけど、ちょっとだけ違う。声ももう少し高いし、目だってもっと凛々しい。身長は同じくらいだけど、胸も、成長した今のセイナより大きい気がするし、なんだかセイナの双子のお姉ちゃんって感じだ。


「何か質問がある人はいますか? なければ今日はプリント類を配布して解散とします。皆さんの自己紹介は明日行いますので、各自お家で考えてきてください」

「はい! 先生!」

「なんですか、霜笛愛莉さん?」

「星河先生はミルキー・セイナのこと知ってますか⁉」


 ……もしかして入学早々やらかしてしまったか。なんだか少しざわついてる気がするし、先生も驚いて絶句している感じもする。沈黙が気まずい……。


「え、ええ、もちろん知ってますよ? 少し前も学校近くの団地に出た魔物を倒していましたね。今でも変わらず戦い続ける凛々しい姿は、正しくこの町のヒーローです。ね、霜笛さん?」

「そうです! セイナは……あ」

 見える限り半分くらいの生徒がにこやかな笑顔を浮かべて私のことを見ていた。やめて、そんな目で見ないで!


「あ、それと言い忘れていましたが、私、この学校の卒業生なんです。ですので、聞きたいことがあれば何でも言ってくださいね。」


 ……つい中学校までの癖が出てしまった。そうだ、ここには私がミルキー・セイナ好きであることを知っている人はいない。完全に赤っ恥だ。でも、今の感じ、先生ももしかしてセイナ好きだと思う。一瞬だけど、好きなものを語る目をしていた。それが分かっただけでも十分収穫だ。あとで話に行ってみようかな。


「それではプリントを配りますね。えーっと、じゃあ霜笛さん、配るの手伝ってもらえますか?」

「え⁉ あ、分かりました」


 クラスの何人かからクスクスと笑い声がした。くっそ~、こういうキャラにはなりたくなかったのに……。


「それでは皆さん、明日の自己紹介考えてきてくださいね。霜笛さん、号令お願いします」

「起立、気を付け、礼。ありがとうございました」


 私の掛け声に続いてクラスの人たちが挨拶をする。どうしてこんな役目まで任されなければいけないんだ。でも、先生に近づく口実ができたのはほんの少し嬉しい。

 そんな風に考えながらゆっくりと帰り支度を終えクラスを見渡せば、ほとんどの人がそそくさと教室を出て行っていたらしく、元からの知り合いか今日仲良くなったのか、数人の男子たちが教室の後ろの方でお昼ご飯はどこに行こうかと話をしていた。自己紹介は明日だし、今日はこんなもんだろう。それよりも私のお目当ては──


「星河先生、お時間大丈夫ですか?」


 私は、黒板に大きく書かれた座席表と式の大まかな流れを消している先生に声を掛けに行った。もちろん、先生とミルキー・セイナの話がしたかったからだ。


「ええ霜笛さん。大丈夫ですけど、黒板を消しながらでもいいですか?」

「はい。ていうか手伝いますよ」

「そこまではしなくても」

「さっきまで散々私に仕事させたのに今更ですよ」


 冗談交じりにそう言うと、先生も折れたのか「それもそうですね。それじゃあお願いします」と言って私に微笑みかけてきた。

 私は先生の使っていない方の黒板消しを手に取って、先生とは反対側から黒板を掃除していく。一瞬振り返って教室全体を見ると、さっきまでいた男子グループもいつの間にやら帰っていた。


「さっきの話なんですけど、先生って、ミルキー・セイナのファンですよね。私もそうなんですよ。実は私、小さい頃に魔物に襲われそうになったんです。両親に手をつないでもらいながら必死に走っていたんですが躓いちゃって。振り返ると奴の手がすぐそこまで伸びてきていたんです。両親も動けなかったんだと思います。でもそのことに腹を立てるつもりはありません。誰だってあんなの怖いですから。私だって幼いながら生命の危機を感じていました。そんな時、彼女が現れてこう言ったんです。『もう大丈夫だよ。私があいつをやっつけるから』って」

「……やっぱり」

「何か言いました?」

「いえ、何でもないですよ」


 先生は、黒板を消す手が止まっていた私の方を向いて真剣に話を聞いてくれていた。でもこのままのペースじゃ、たかだか黒板を消すだけで三十分はかかってしまう。そう察したのか先生が再び手を動かすのを見て、私も先生に向けていた顔を黒板に戻す。


「どこまで言いましたっけ。え~、あ、そうだ。その後私、セイナにプレゼントを上げたんですよ。そしたら彼女、『ありがとう、一生大切にするね』って言ってくれたんですよ! その日からずっとセイナに憧れているんです。強く、美しい、私の命の恩人に。……って、私ばっかり話しちゃってごめんなさい」

「いえ、いい話ですね。きっとセイナさんも嬉しいと思いますよ。誰かの憧れになれるなんて」


 どうやら私も先生もちょうど同じタイミングで黒板消しが真っ白になったらしく、窓際にある黒板消しクリーナーの方へ向かった。先生がクリーナーの電源を入れると、ウィィィンと、掃除機でも最近は出さないような騒音が鳴り始めた。たった一週間ちょっとの春休みを挟んだだけなのに、この音がなんだか懐かしい。私を知る人がいないこの場所で、私は中学のように楽しく過ごせるのか。……あ。


「そういえば先生、ちょっと気になったんですけど、どうして私の名前を憶えてたんですか? 入学初日なのに」


 クリーナーの音にかき消されないようにさっきよりも声を張り上げた私に、先生は一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐにおっとりとした優しい笑顔を浮かべた。


「皆さんと良好な関係を築くために名簿と顔写真を照らし合わせて覚えてるんです。その中で霜笛さんは……昔会った人にどことなく似ていた気がして覚えやすかったんです」


 私はクリーナーの電源を落としすでに掃除を再開している先生とは反対側へ戻る。


「私からも聞きたいんですけど、どうしてミルキー・セイナの話を私に?」

「あ、特に深い理由は無いんですけど、星河先生って、セイナに似てる気がするんですよ。体型だったり顔立ちだったり。あ! 今度コスプレしてもらえませんか? 絶対似合いますよ!」

「ん~、私じゃ似合わないと思いますよ」

「いえ! セイナの大ファンである私が言うんですから──あ」


 ついテンションが上がってしまい横を見れておらず、私の左肩が先生の右の二の腕にぶつかってしまった。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。ごめんなさい、勝手に盛り上がって周りが見れてなかったです」


 先生と肩がぶつかった時、私の心臓が高鳴るのを感じた。おかしなことではない、と思う。だって憧れの人とよく似た人に触れてしまったのだから。今思うとそんな人と話ができていたなんて。今更ながら緊張してきた。変なことは言ってなかっ……たかは怪しいが、不快には感じていなかったような気がする。黒板消しを握る右手が手汗で氾濫している。きっと顔も真っ赤になっているんだろう。


「ちょうど消し終わりましたし、帰りましょうか。今日は助かりました、霜笛さん。気を付けて帰ってくださいね」

「はい! こちらこそありがとうございました!」


 異変がバレないように私は机に置いていたカバンを持ってすぐに前のドアに向かう。急ぎすぎてよく分からないことを言ってしまった気もするが、先生は気にも留めていなかったようだ。


「霜笛さん、さようなら」


 先生の挨拶に私は立ち止まってお辞儀をする。いくら恥ずかしいからと言って、今日初めて会った、ましてや目上の人への礼儀を蔑ろにはできない。


「はい、さよう……」

「……? どうかしましたか?」

「いえ、何でもないです。さようなら」


 そう言ってそそくさと教室を出て行った私の頭はあるもので埋め尽くされていた。先生のコスプレ姿の妄想でも、明日の自己紹介でもない。ついさっきお辞儀する時に見えた、教壇に置かれた先生の筆箱。そこにつけられていた、少しくたびれた小さなピンクのくまのストラップに。



 見慣れた商店街に悲鳴がこだましている。巨大な黒い二足歩行の兎の魔物と、そいつの前で地面に倒れている少女。いつもの夢で、あの子は私。やはり認識した瞬間、私の視界は少女からのものに切り替わる。

 振り返ると大きいな黒い手のひら。この夢は怖い。けど、嫌いじゃない。だって私が彼女に会える唯一の機会だから。私を助けてくれて、最後には魔物を倒してくれる。


「怖かったね。でももう大丈夫だよ。私があいつをやっつけるから」

 ほら、今日も彼女が来てくれた。このままいつものように倒してくれるだろう、

「え……」


 安堵していた私の前から、彼女が消えた。正確には吹き飛ばされた。そして彼女がいたはずの場所には、右腕のなくなった魔物が立っていた。

 こんな夢見たことがない。彼女は、彼女はどうなったんだ。

 辛うじて見えた、彼女が吹き飛ばされた方向を見てみると、いつもきれいに並べられているはずの八百屋の棚が五列ほどなぎ倒されており、その奥には黒髪を乱れさせた、昨日私が入った高校の制服を着た少女が血を吐いて横たわっていた。こ

 れじゃあ、あの日した約束はどうなるの。私を助けて、いつもみたいに笑ってみせてよ。そう願いながら動かない少女を見つめる私の視界を、真っ黒なものが遮った。


「あ……」



 勢いよく上半身を起こし、私の体を覆っていた布団を引きはがした。自分に意識があることに安堵し、胸をなでおろす。初めて見た夢の流れだった。今までは夢というより、過去の私の記憶だったのに。もしかしてセイナの身に何かが起こる前兆かもしれない。不安に駆られながら時計を見ると、時刻は午前六時半。家を出るまではあと一時間以上ある。けれどなぜか焦燥感に駆られてしまっている。

 いつもより三十分以上早く家を出た。こんなことをしても意味がないのは分かっているけれど、こうでもしないと、焦りと不安に押しつぶされる気がした。

 学校まで徒歩十五分。その2/3辺りにある商店街にさしかかった時、前の方から悲鳴が聞こえた。そんな、まさか。

 サラリーマン、商店街の人、高校生、中にはランドセルを背負った小学生も、たくさんの人が商店街の奥からこちらへ走ってくる。その人混みを描き分けながら少し前進すると、見覚えのある姿が見えた。子供の頃、この商店街を襲った魔物、それよりは一回り小さいが、姿かたちは一緒だ。これならすぐにセイナが倒してくれるだろう。

 あれ、でもなんで私はわざわざこんなとこに来たんだろう。もしかしてセイナを見るためなのか。ダメだ、そんなこと。私みたいな一般人がいればセイナの足手まといになってしまう。私も早く逃げないと──


「うわぁぁぁん、助けてぇぇ」


 踵を返そうとした瞬間、女の子の泣き叫ぶ声が聞こえた。声がした方を見ると、魔物を挟んで反対側に、ランドセルを背負ったまま動けなくなっている女の子、そこへ伸びる魔物の手が見えた。

 助けないと。でも、脚が、体が、言うことを聞いてくれない。いや、大丈夫だ。きっとセイナが守ってくれるはず。そんなことを考えた瞬間、脳裏に今朝見た夢が蘇った。


「おい! こっちだ!」


 声に意味があったかは分からないが、咄嗟に放ったカバンが魔物の後頭部に直撃し、それに腹を立てたのか、魔物はゆっくりとその巨体を翻しこちらを見つめてきた。その視線に刺され、脚が震えて動かせなくなった。どうやら私が動けたのはさっきだけだったらしい。

 魔物がゆっくりと私の下へにじり寄り、握った拳を振りかぶった。最期にもう一度だけ、会いたかったな。

 薄れ行く意識の中で、彼女の声が聞こえた気がした。

──今回もギリギリ間に合ったね。ありがとう──


 目を開くと見たこともない天井があった。それが保健室だということは私が横たわっているベッド、それを外から見えないように囲んでいるカーテン、そして涙目で安堵していた先生と目が合ったことですぐに分かった。


「霜笛さん! 意識が戻ったんですね! ここは学校の保健室で、あなたは魔物から女の子を助けようと自分から囮になって、すんでのところでミルキー・セイナが助けてくれたそうですが、その時に気絶していたらしく、目立った傷も無かったので病院ではなくここに。保健室の先生は病院に召集されていて、今は私しかいません。気を失う直前のことまで思い出せますか?」

「先生……ちょっと待ってください……」

「そ、そうですよね。ごめんなさい。霜笛さん、ゆっくりでいいから思い出してみて。今日はもう休校になったので、どれだけ休んでいても大丈夫だから」


 先生、さっきまで意識不明だった生徒には急すぎてしんどいですよ。でも、本気で私のことを心配してくれてたのは伝わってます。


「先生、ありがとうございます。大体は覚えてますよ。やっぱりセイナが私を助けてくれたんですね。それより、あの女の子はどうなったんですか?」

「脳に異常が無くて本当に良かったです。それで、霜笛さんが助けた女の子は病院の検査も終わって、目立った外傷も擦り傷くらいだそうで、家族でお礼がしたいとおっしゃっていました」

「そうですか。それは良かったです」


 そう言われると少し照れてしまう。なんだか達感が湧いて、胸の内側から熱が込み上がってきている感じがする。


「痛っー!」

「どうしました、霜笛さん⁉」


 違う、本当に胸の奥が痛い。張り裂けそうで、まるで何かが出てきそうで。

 朦朧とする意識の中、私を心配して顔を近づけてきた先生の首に手をまわし、さらに私の方へと先生の顔を寄せる。そして私は、先生と唇を重ねた。


「な、何をするんですか霜笛さん⁉」


 先生は私を押しのけ、口に手を当てながら困惑した表情で叫んだ。当の本人であるはずの私も、あまりの出来事にぼーっとしていた意識がはっきりと戻った。

 体が勝手に動いたのだ。まるで何かに操られているみたいに。


「ミルキー・セイナって、先生でしょ?」

「きゅ、急にどうしたんですか? もしかしてまだ意識が」


 私は何を言っているんだ? こんなこと言うつもりはなかったのに、口が、喉が、勝手に言葉を発した。


「隠さなくていいよ。こんなにセイナに似てるんだし、セイナしか知らないはずの話も知ってたじゃん」

「し、霜笛さん、それは言いがかりですよ。それにセイナしか知らない話って何ですか」

「あの時商店街に居たのは私とあの女の子の二人、それに魔物とセイナ。なんで先生は私が女の子を助けようとしていたのを知ってたの?」


 ダメだ、体が言うことを聞かない。引っかかっていたことが全部口に出る。全部胸から溢れてくる。


「そ、それは救助隊の人の推測です。私もそう聞かされたからてっきり……」

「そう。まあでも確信したのは昨日なんだ」

 やめろ。言うな。


「実は私、変身を解いた直ぐのセイナに会ったことあるんだ。七年前、順当にいけば先生が高校一年生の時に」


 黙れ私。それを言って何になるんだ。


「私の憧れたセイナは、普段の彼女からは想像できないような真っ黒で綺麗な髪の毛で、ここの制服を着てた。だから私も、彼女みたいになりたいと思ってこの学校に来たんだよ」


 そうだ。けど、あの時言われただろう、誰にもこのことは話すなと。今まで守ってきたじゃないか。憧れのセイナとの約束を。


「それだけじゃ本当にただの偶然かもしれない。けど、昨日見たんだ。先生の筆箱についてた、くまのストラップ」


 ……私も信じたくなかった。でも確かに見た。


「だってあれは──」


 そう、あれは──。


「私がセイナにあげたものなんだから!」


 俯いている先生からは何の言葉もない。そんな姿を見て、私の心はぐちゃぐちゃだ。あの日の約束、先生への違和感、何も言い返せない先生。

 自分への失望と歓喜、それに恐怖。言うつもりはなかった。でも、体が動いてしまったんだ。そんな言い訳をする自分も気持ち悪い。そんな想いたちが私の心を渦巻いていると、先生がふと顔を上げた。その目つきはまさしく、魔物と戦っている時のミルキー・セイナだった。


「霜笛さんの言う通り、私がミルキー・セイナ──」

「やっぱりそうだったんだ! 先生がセイナ、私の憧れの人。私の愛しの人ォ! 先生がセイナ。セイナ、セイナ、セイナ、セイナ、セイナセイナセイナセイナセイナセイナ!」


 さっきまで少し引いていたはずの胸の痛みが強烈に私を蝕む。ドクドクと、私の胸から黒いドロッとしたものが溢れてきて、すぐさま私は飲み込まれた。


 ──ナリタイ。セイナミタイニ。ツヨクナリタイ。


 何も見えない闇の中、声が聞こえる。私であって、私じゃない。そうか、きっとこいつがさっきまで私を操っていた魔物なんだろう。


 ──ホシイ。チカラガ。セイナミタイナチカラガ。


 そんなことはない。そう自分に言い聞かせても、今日の女の子が、あの日の私が、二度と忘れることはないと、あの恐怖からは逃げられないと囁いてくる。


 ──ホシイ! セイナガ! セイナノゼンブガホシイ!


 セイナはこの町皆のヒーローだ。だからそんなことは許されない。でも、私だって、私の憧れの人に、いつしか気付いた私の初恋の人に、振り向いて欲しい。あの日の約束を、セイナに守ってほしい。

 その時、真っ暗だった私の視界に一筋の光が注ぎ込んだ。


「霜月さん、あなたはもう私なんかより、ずっとずっと強い人間だよ」


 先生、いや、ミルキー・セイナの声がした。その声は普段の落ち着いたものではなく、荒々しく、絶え絶えで、今にも倒れそうだ。


「もし今日、あなたが動いてくれなかったら、私は間に合わなかった。あの女の子を救うことはできなかった。あの日、誰よりも怖い思いをしたあなたが、勇気を振り絞ってくれたから、私は間に合ったの。それに、あなたはずっと私との約束を守ってくれた。だから今度は、私があなたとの約束を守る番でしょう。さあ、手を伸ばして」


 声のする方、光輝く方へ思い切り手を伸ばす。その手を先生が、セイナがしっかりと握ってくれた。

 凄まじい力で引き抜かれた私を、すでに変身しているセイナが抱きかかえ、大きく後ろにジャンプした。保健室の壁際に着地し、セイナは優しく下ろしてくれた。

 振り返って見ると、ベッドがあったはずの場所には、天井にぶつかるほど大きな頭をした四本足の真っ黒な蛸が、その触手で保健室の至る所を破壊していた。あれが私の中にいた魔物。きっと私の負の感情であそこまで大きくなったんだ。


「大丈夫? 一人で立てる?」

「は、はい。それより先生こそ大丈夫なんですか⁉ 呼吸も早いし、服だってボロボロじゃないですか!」

「今は先生じゃなくて、あなたの大好きなミルキー・セイナだよ。今回は霜笛さんを助けなきゃいけなかったから、少し手間取っただけで、あんなの倒そうと思ったら一瞬で倒せるわよ。何年魔法少女やってると思ってるの? それに、もう大丈夫よ。私があいつをやっつけるから」


 あの日私を救ってくれた言葉。大人になって少し口調は変わったけど、その頼もしさは健在だ。彼女なら必ず倒してくれる。


「いっけぇぇー! ミルキー・セイナぁぁー!」

「はあああーーーーっ!!」


 魔物へと降り注ぐ拳は、その凄まじい速度によって、同時に何発も繰り出されているかに見えた。それはまるで天の川からこぼれ落ちた流星のようだった。



 部屋を見渡すと割れた窓ガラスに傷だらけの壁。ベッドも粉々になっていて、ここが保健室だとはにわかに信じ難い。


「すみません先生。私が弱いばっかりに」


 比較的破損のない壁に寄りかかりながら、私は隣に座る先生に謝罪した。


「不幸中の幸いですね、今日が休校になっていて。ただ、最近減っていた魔物が一日に二体も現れたのは気がかりですが……。それは置いておいて、霜笛さん、私さっき言いましたよね? あなたはもう私なんかより、ずっとずっと強い人間だって」

「でも、実際私が先生みたいに強かったら、保健室だってこんなことにはなりませんでしたよ」

「はぁ。あなたはもっと自分の心配をするべきです。さっき保健室で目覚めた時だって、自分のことより女の子のことを心配してましたね。それじゃああなたを大切だと思う人が悲しんでしまいますよ」

「はい……」

「それと、あなたの憧れである私が直々に、あなたは強い人間だと認めてるんです。もしかして私を信じていないんですか?」

「そんなことは……」

「ならいいです。あなたは本当に、立派に成長したんですから、自信を持ってください」


 先生のその言葉で思い出した。私を暗闇の底から救い出してくれたあの言葉を。


「そういえば先生、もしかして私のこと覚えててくれたんですか? 成長したって言葉もそうですし、ストラップだって、あんなにボロボロになってもつけててくれてるじゃないですか」

「当然ですよ! 初対面でプレゼントをくれたと思ったら、他人の秘密を握ってまであんな約束を取り付ける子供なんて、忘れるわけがないです。『ぜったいにばらさないから、おおきくなったらけっこんしてください』なんて……」


 先生が恨みのこもった視線で私を見つめてくる。確かにやり方は最低だけど、そのおかげで私は今、ここにいられてるんだ。


「あ、あの時は結婚の意味も分かってなくて……あはは。……でも私、今までずっと先生以外誰にも言いませんでしたよ。だから、その、約束は守らなきゃいけないと思うんですけど……?」

「……そうだね、確かに今度は私が約束を守る番。けど、あなたが約束を破らないとは限らないし、その、まずはお付き合いからでもいいかな? あ、先生の時はダメだからね」


 その言葉は紛れもなく私の憧れの、私の初恋の人から発されたものだった。

 そう、彼女の名前は──

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