第33話「暴れ馬の御し方」
“神速”のエクィア。剣闘士団〈アダマス〉のエースであり、これまでも多くの実力者を槍一本で打ち倒してきた実力者だ。大柄な馬体による絶大な破壊力を孕んだ突進を得意とし、分厚い金属製の甲冑によって防御にも何ら不安を持たない。ある意味でもっとも獣人らしい剣闘士と言えるだろう。
〈アダマス〉は帝都近郊を主な活動域としている団体で、経済的にも〈ソルオリエンス〉をはるかに凌駕する。それは、エクィアが重厚な甲冑を揃えられていることからもよく分かる。
専用の宿舎を各地に持ち、それぞれに専属の医師や教官がいて、さらに団員のひとりひとりに身の回りの世話をする奴隷が与えられる。剣闘士は戦うことだけに集中できる、そんな夢のような環境が整えられている。
そこから、〈アダマス〉は剣闘騎士団という異名でも知られているようだ。
「たしかに、エクィアは騎士っぽい感じだったな」
「見た目に騙されるなよ。アイツだって頭ん中じゃどんなことを考えてるか」
「分かってるよ。そこで油断するほど、俺も弛んでない」
両手の指を一本ずつ曲げ、また一本ずつ開いていく。
試合前の精神統一。慣れ親しんだルーティン。
炎龍闘祭第四試合の直前。俺は控室で気持ちを整えていた。
「この部屋だって、誰がやったか分からないんだぞ」
ウルザが苛立ちのまま丸い耳を揺らす。獣人族である彼女のほうが、よほどキツいだろう。
今日、この控室にやって来た俺たちを迎えたのは、大量の生ゴミが散乱した室内だった。まだ暑い季節の風通しも悪い室内に、これでもかと言わんばかりに魚や生肉、腐った果実なんかのゴミが撒き散らされている。
ウルザたちが頑張って掃除をしてくれたが、それでも臭いは強くこびり付いている。今も気を抜けば吐き気でえづきそうなほどだ。
「クソ、元老院議員のくせに陰湿なことをしやがる」
生ゴミまみれのカウダが悪態をつく。彼女はぬるりとした何かに足を滑らせて、生ゴミの山に頭から突っ込んだのだ。体を洗おうにも水瓶にもしっかりとゴミが浮かんでいたため、フェレスが新しい水を汲みに行ってくれている。
「やっぱり、一回試合を中断してもらった方がいいんじゃないか?」
ウルザの言葉に、俺は首を振る。
「そんなことをしたら敵に口実を与えるだけだ。それに、別に怪我をしたわけじゃない。戦うには問題ない」
「しかしなぁ」
強い臭気は全身に染み付いている。なかなかうまく集中できないのは、このせいだ。
しかし、剣闘士たるものコンディションの良し悪しで試合に参加するかを決めるわけにはいかない。なにしろ、敵はそれを望んでいるのだ。
「ウィリウス、時間だ」
ドアの向こうから声がする。闘技場側の職員だ。彼女も部屋の惨状は知っているが、当然対応はしてくれない。それでも、余計な口出しをしてこないだけいいだろう。
剣と盾を手にして立ち上がる。
「行ってくる。まあ、見ててくれよ」
「ああ。気をつけろよ」
長い石の廊下を進み、闘技場の舞台へと上がる。すでに客席は満員。通路や階段にも立ち見の客が押し寄せている。後ろの方には、貴夫人とでも言うべきか、身なりの良さそうな若い男の姿も多い。彼らの目当ては、当然俺ではない。
「良かった、来てくれたね」
俺の前に凛と立つ人馬の騎士。長い金髪を、今日はひとまとめにしてうなじを見せている。長い槍は総金属製でかなりの重さがありそうだが、彼女はそれを軽々と片手で持っている。
“神速”のエクィア。騎士のように堂々と、そこに立っている。
彼女が周囲に向かって微笑みかけると、男たちが喜びの声を上げる。粗野で乱暴と言われる剣闘士のなか、騎士のように美しく格好いい彼女は、彼らから強い人気を得ているのだ。
はるかに高い位置から俺を見下ろし、エクィアはすんと鼻を鳴らす。
「もしかして、何かされたのかい?」
「……いいや、別に」
俺が纏う臭いに、彼女も気付いたはずだ。しかし、それ以上は追及しない。妨害があろうとなかろうと、そんなことは関係ないのだ。今、この場において重要なのは、俺とエクィアの二人だけ。この舞台に立つ、二人だけ。
「両者、構え」
審判が声を上げる。
それに応じて、俺たちは武器を構えた。
片や銀に輝く甲冑を着込み、フルフェイスの兜を被った人馬。その手には長い槍を持ち、四の脚はすでに汗ばむほどに用意が整っている。
片や腰巻きと胸当てだけを身にまとい、はしたなくも肌を露出した男。丸く小さな盾を持ち、直剣を握る。
勝敗は誰の目にも明らかなようだった。もはや、賭博として成立しているかすら怪しい。それでも――。
「始めっ!」
両者、一気呵成に走り出す。
エクィアの大槍が神速の勢いで突き出された。
「せぁあああああっ!」
「ふんっ!」
まともに受ければ、盾であっても易々と突破されることは自明。木の板に革張っただけの脆い盾だ。しかも、それ以上に俺の腕の骨が耐え切れないだろう。だから、俺は盾を斜めに構え、槍の穂先を滑らせるようにして受け流す。
「なるほど、よく見ている!」
「この程度で褒めてもらえるなんてな」
兜の下、艶のある唇が曲がる。侮られていたのなら心外だ。俺もまた、炎龍闘祭でここまで勝ち残って来たのだから。俺の背中には、打ち倒した剣闘士たちがいる。
「ふんっ!」
「速いっ!?」
馬獣人の長所はその力強い脚力。ならば、早々に潰すべきだ。狙うは前脚の内側、太い筋の入っているところ。もはや相手の負傷を気にする余裕などない。
しっかりと狙って繰り出した斬撃は、素早く割り入ってきた槍の柄に阻まれる。
ガキン、と鋭い音と共に電流が流れたかのような痺れが手に伝わる。
「硬ぇな、まったく!」
「いいだろう。特注の槍なんだ」
総金属製、長さ3メートルの槍。その重量は人ひとりに匹敵する。それを彼女は軽々と片手で振り回している。
そんな姿を見ていると、種族としての土台の違いに打ちのめされそうになる。
「さあ、戦いはここからだ!」
エクィアが前脚を高く上げる。後ろ脚の二本で立った彼女の威圧感は凄まじい。俺が一瞬怯んだのを見て、彼女は軽やかに蹄を鳴らして駆け出した。数歩でトップスピードに至った彼女は、円形闘技場の中をグルグルと駆け巡る。
中央に立ち、油断なく剣を構えながらその勇姿を捉える。
これは彼女の得意戦法だ。圧倒的な俊足で舞台内を駆け巡り、相手が追いきれなくなった瞬間に突き刺す。これが、彼女が“神速”と称される由縁だ。
「はぁっ!」
騎士の鮮烈な声が響く。
まさに人馬一体。騎士の理想型とされる至高の姿だ。意のままに馬体を操り、滑らかに武器を振るう。その武力は、単に乗馬した武人をはるかに凌駕することだろう。
「はぁああああああっ!」
エクィアが攻勢をかける。かなり広い舞台のはずが、彼女にとっては手狭ですらあるようだ。あっという間に、その巨体が視界を埋め尽くす。槍が、風を切る。
「っらああああああっ」
この時を待っていた。
彼女ならば、きっとこの戦法を繰り出してくると信じていた。
「なにっ!?」
兜の下からくぐもった驚きの声。
俺は槍を駆け上り、エクィアの肩に手をかける。
「なるほど、君もそうするか」
騎士は不敵に笑った。俺が何をするか、察したようだ。
突進力に秀でる騎士についていけないのであれば、その背中に乗ればいい。馬の背に乗ると言う行為は、さほど不自然なことではない。だからこれも、きっと彼女が幾度となく挑まれてきたことなのだろう。
「だが、私も簡単には乗せてやらないぞ」
「うおおおっ!?」
大きくうねる。俺が跨ろうとした馬の背が、上下左右へ激しく暴れ出したのだ。人馬族のしきたりに、背に乗せるのは生涯の伴侶だけ、などというものはないはずだ。それでも、無遠慮に背中に跨ろうとされるのは不愉快なものだろう。
エクィアは屈強な馬体を大きく揺らし、俺を振り落とそうとしてくる。
慣れた動きだ。彼女もうんざりしているのだろう。背中に跨る不埒者を振り落とすのに効果的な動きというものが、洗練されている。
だが。
「悪いが、俺も必死なんでな」
「な、きゃぁっ!?」
俺は馬の背には跨らない。さらに上へと駆け上る。
下半身はいくら柔軟に動かせても、重要な感覚器が密集し、何よりも繊細な脳を有する頭部はそう激しく揺らせない。だから俺は、彼女の首にしがみついた。
「ウィ、ウィリウス!? 何を――!?」
「何って、戦いだよ。このままあんたを地面に倒す!」
「うわぁっ!?」
当然、そのままでは槍で突かれたり手で引き剥がされるだろう。だから、そうなる前に仕掛ける。体重をかけて振り回すのだ。彼女の首にしがみついたまま。硬い甲冑はゴツゴツとしていて掴みやすい。小柄な俺でも、遠心力を味方につければ、かなりの力を生み出せる。
「う、こ、このっ!」
「悪いがこれくらいしか戦い方が浮かばなかったもんでな」
凛々しい騎士の上体に張り付くという暴挙。客席からは非難轟々だろう。だが、俺が彼女を倒すにはこれしかない。
分厚く頑丈な甲冑が、今回ばかりは彼女の敵となる。いかに屈強な体でも、左右に大きく揺さぶられれば足元がおろそかになるだろう。いかに安定した四脚であったとしても。
「せええいっ!」
「きゃああっ!」
ついに、巨馬が倒れる。甲冑が大きな音を立て、槍が転がる。それでもなお彼女は闘志を燃やし、反撃へと転じる。だが、それよりも早く俺は彼女の兜を剥ぎ取り、その端正な顔に剣を突きつけた。
「勝者、ウィリウス!」
頂点に至るまで、あと二戦。
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