第34話「秘密の会議とそれを聞く者」

 白く輝く大理石の宮殿に、元老院議員が集結していた。円卓にずらりと並ぶのは海千山千の手練れたちだ。だが、人に老獪と言わしめるほどの彼女たちは口を閉じ、重苦しい空気に押しつぶされたように項垂れている。

 圧迫感の原因となっているものは、円卓の奥に座る虎獣人の老人――リーシス・ユリウス・パトレスにあった。荒ぶる虎はその憤怒を内に渦巻かせ、尻尾をゆらゆらと揺らしている。何か一言でも不用意に発せば、その瞬間に喉笛を掻き切られそうな殺気を帯びている。

 彼女がなぜそれほど苛立っているのか。


「ウィ、ウィリウスはエクィアを撃破。準決勝に進出しました……」


 奴隷の震える声で報告が上げられる。


「――ッ!」


 凄まじい音が、議会に響き渡った。リーシスが円卓に拳を振り下ろしたのだ。

 彼女が怒っている理由、それは神聖なる炎龍闘祭の舞台に男が上がっているということ、ただ一つだった。


「まさか、あの“神速”のエクィアまで……」

「“怪力”のフォルティスも下したというし……」


 奴隷の読み上げた報告に円卓がざわつく。エクィアもフォルティスも、これまでウィリウスが対峙し、打ち破ってきた剣闘士たちはどれも広く帝国中に名を轟かせる雌傑たちだ。それが人間族の男に敗れるとは、にわかには信じ難い。


「調査員は何をやっているのです。不正の証拠はまだ見つからないのですか」


 リーシスがガリガリと手首を掻きながら急かす。しかし、担当する元老院議員の表情は浮かないものだ。


「それが、ウィリウスが対戦者を買収しているような話もありません。それどころか試合前には対戦する可能性のある相手とは徹底的に距離を置いているようでして……」

「それならなぜあの男があの錚々たる面々に打ち勝てるというのです」

「は、はぁ……。それは……」


 リーシスはウィリウスがなんらかの不正を行っていると睨んでいた。そうでなければ、辻褄が合わないのだ。獣人族は強く、人間族は弱い。女は強く、男は弱い。これは否定することすらできない、この世の摂理と言っても良いほどの絶対的な法則だ。

 鋭い爪や牙も、バランスを取るための尻尾も、優れた視力も持たない人間。そのうえ男は筋肉が付きにくく、骨も脆い。痛みに弱く、すぐに泣く。血を見れば気を失う者すらいる。肉体的にも、精神的にも、女より圧倒的に劣っている存在なのだ。

 なのに、なぜ。あの男は弛まぬ鍛錬を続けてきた剣闘士の雌たちに勝っているのか。


「〈アダマス〉は、なぜ負けたのです?」


 リーシスのほの暗い声が議場に響く。ごくりと唾を飲み込んだのは、誰だろうか。


「それは、その……。〈アダマス〉はずいぶんと、余裕があるようでして」


 濁しに濁した迂遠な言い回し。だがリーシスもそれが何を言わんとしているのかは理解していた。彼女たち――剣闘騎士団と称される清廉潔白の女たちは、元老院の取引に抗ったのだ。

 ぎり、とリーシスは歯を軋ませる。


「奴が妖術を使っているのでは?」


 誰かがそんな、根拠のないことを言った。

 女のみが使用できる祈祷術と対をなす存在として、妖術というものが信じられている。男のみが用いる、邪悪な術である。そのものを見たという者はそういないが、たびたび不都合な事が起きると、そのような噂がまことしやかに囁かれるのだ。


「馬鹿なことを言うな!」

「妖術などと、非現実的だぞ」


 だが、妖術はあくまで噂程度のもの。すぐに反論が噴出する。


「闘技場は炎龍の加護を受ける場所。神殿も間近にある清浄な土地に、妖術など」

「そうだそうだ!」


 ――とはいえ、妖術そのものの存在を否定しているわけではないのが、元老院議員たちであった。


「これは、私の下の者が偶然聞いたことなのですが……」


 騒がしくなった円卓を裂くように、一人が声を上げた。リーシスにも近い、経験豊富な元老院議員である。彼女は一拍呼吸を置いてから話し始める。


「かの者と戦った剣闘士たちは、そのほとんどが彼との再戦を強く望んでいるようなのです。その様子はまるで、熱病に犯されたかのようだとか」

「な、なにっ」

「まあ、分からんでもないな。私だって男とくんずほぐれつ……」

「正直羨ましいよねぇ」

「魔性の男」


 再びざわつく議場に喝が飛ぶ。吠えたのはもちろん、リーシスである。


「長き歴史のある元老院も、ずいぶんと根が腐れているようですね」

「そ、そう言うわけでは……」


 ギラリと輝く刃物のような眼光に、議員たちは肩を縮める。


「あの、リーシス殿」


 若い議員が、おずおずと手を挙げる。円卓とは本来、上下関係がないことを意味するものだが、この場には明らかな序列があった。リーシスは未だ苛立ちが収まっていないものの、彼女の発言を許す。


「ウィリウスが実際に、ただ単純に、強いという話ではないのですか? 人間族であること、男であること、それらを跳ね除けるほどの強さがあるのでは」

「ほう?」


 続けろ、とリーシスが促す。

 若い議員は、実際に彼の試合を見ていた。だからこそ、力説する。

 怪しげな術など、使っている様子はなかった。むしろ男にも関わらず惜しげもなく肌を晒す女と同じ服装を取り、剣と盾を構えていた。自分よりもはるかに強大な相手に対しても、臆することなく真正面に立っていた。

 彼の戦いは、まさしく力と力の衝突だった。彼の剣技も、盾捌きも、体術も、一朝一夕に身につくようなものではない。彼もまた、弛まぬ鍛錬を続けてきた剣闘士なのではないか、と。


「彼の活躍を不当に貶めようとしている我々こそ、炎龍の不興を――」

「本当に、そう思っているのですか?」

「っ!?」


 若い議員の言葉を遮る、老練な声。たったの一言だけで、彼女は喉を締められたかのように何も発せなくなる。


「連綿と受け継がれてきた神聖な儀式の場を穢しているのは、あの男です。炎龍の不興を買うと言うのならば、あの男を舞台に上げてしまった時点でもう遅いんですよ。あの不純を排除し、厳正な判断の上で儀式を進めねばなりません」


 なぜなら、と老女は続ける。


「あの男は、元々はカニスの奴隷剣闘士だった。その前は、大陸の果てにある小国に暮らしていた。その国は、我らが帝国軍によって滅んだのですよ」


 議員たちが息を呑む。彼の来歴はある程度把握していても、出身までは調べが足りていなかった。

 帝国の熾烈な侵略によって故郷が燃やされ、親族を殺され、自身は奴隷として連れてこられた。その胸の内はいかほどか。生まれながらにして豊かな国の豊かな地位にあった彼女たちにとっては、想像するだに恐ろしい。


「あれは悪魔なのですよ。滅さねばならないものなのです」


 リーシスは断言する。先ほどまで声を上げ訴えていた若い議員は唇をきつく噛んで拳を握りしめていた。


「もはや内々に済ませられるものではなくなりました。どのような力を使ってでも、あの男は排除せねばなりません」


――


「――と、いうことが」

「うむ。なるほど……。元老院の婆共も頭の硬いことだな」


 徹底的に人を払ったとある小部屋にて。巨躯の獣人は自身の従者が届けた報告を聞き、深く椅子に身を沈めた。その表情は物憂げで、呆れているようにも見える。


「しかし、今後は彼女たちもなりふり構わず妨害を仕掛けてくるでしょう」

「ウィリウスの周囲、警備を倍に増やせ。無論、本人に気付かれるなよ」

「かしこまりました」


 獣人は何度目とも分からない深いため息を吐き出す。

 帝国が興り、数百年。長きにわたって拡大と繁栄を続けてきたこの国は、その内側に歪さを孕んでいる。既得権益と政治に熱中する者共など、その典型だろう。敷かれた道の上を歩き、その通りに道を伸ばすことしか考えていない。


「次の試合はいつだ?」

「明日に、“橋落とし”との戦いが」

「アヤツもなかなかやる剣闘士ではあるが……。まあ、ウィリウスの勝ちだろうな」


 多くの試合を見届けた彼女は、すでに炎龍闘祭に参加する剣闘士たちも熟知している。ウィリウスであれば、勝敗など疑うべくもない。だからこそ、心配は尽きない。


「仕掛けてくるとしたら、明日だろう。流石に、決勝を妨害するほどの胆力はあるまい」

「では……」

「うむ。我も当然観戦する」


 小さな蝋燭の火だけが灯る部屋で、彼女は決意を新たにする。

 帝国が次の五年を栄光の下に迎えられるか否かは、彼の一身に懸かっているのだ。

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