第32話「激戦と忠告」

 高く打ち上がった剣が陽光を反射させながらくるくると回転し、落ちてくる。それが闘技場の砂地に深く突き刺さると同時に、審判が試合の決着を宣言した。


「勝者、ウィリウス!」


 歓声が鳴り響く。拍手が雷鳴のように轟き、俺の勝利を祝福する。

 炎龍闘祭、第三試合。トーナメントの二戦目を勝ち抜いた。この頃になると俺の実力も観客たちの間に浸透し、応援してくれるお姉様方も増えてきた。おかげで疎外感を感じることもなく戦うことができている。


「とはいえ……」


 肩で息をしながら砂の上に落ちた盾を拾う。第三試合に進出したのは千人を超える剣闘士のうちわずか三十人程度。相手になるのはどれも炎龍王の称号を手にしてもおかしくはない実力者ばかり。


「流石に、厳しい戦いになってきたな」


 肩に深々と傷がついている。最後に俺が弾いた相手の剣には、べっとりと血がついていることだろう。

 ここまではできるだけ無傷で切り抜けることを考えていたが、もはやそんな甘いことを言っている余裕はなくなった。元老院の何某とやらの妨害がなくとも、俺がこのトーナメントを勝ち抜いていくのはなかなかに厳しい戦いを余儀なくされる。


「ウィリウス、大丈夫か!?」

「すぐにリニカに見てもらえ!」


 観客席の下にある控室に戻ると、血相を変えた〈ソルオリエンス〉の仲間たちに迎えられる。彼女らはあっという間に俺の体から防具を剥ぐと、軽々と抱えて医務室まで運んでいった。


「お疲れ様。あらー、ずいぶんざっくりいったわねぇ」


 医務室で待ち構えていたのは、ピンク色の鱗の蛇獣人リニカ。〈ソルオリエンス〉の専属医師はチロリと細長い舌を覗かせながら、傷口の様子を診てくれた。


「ちょっと消毒するわよ」

「ぐぅっ」


 何かしらの殺菌効果があるという葉っぱを、彼女は素手で握り潰す。そうして絞り出した汁を傷口で受けると、肉を焼くような痛みが走った。


「うふふっ。男の子なのに泣かないのね」

「この程度、ただのかすり傷だろ」

「女の子みたいなこと言っちゃって」


 ニコニコと笑いながら、リニカは手早く処置をしていく。普段から生傷の絶えない剣闘士たちを相手にしているだけあって、その手捌きはなめらかだ。

 普段は酒を飲んで日光浴をしているだらしない姿が目立つ彼女だが、一人で剣闘士団の身体と精神を支える、まごう事なき名医なのだ。


「はい、終わり」

「ありがとう、リニカ」


 包帯を巻き、処置が終わる。リニカのおかげで、傷が膿むこともないだろう。俺が獣人族なら、この程度唾をつけて寝ていれば一晩で治るのだが。


「ウィリウス、大丈夫か!?」


 一息ついたその時、荒々しくドアが蹴破られる。勢いよく飛び込んできたのは、全身血まみれのウルザだった。


「うわぁっ!? ウルザの方が重症じゃないか!」

「アタシのはほとんど返り血だよ。あと、頭がちょっと割れてるだけだ」

「間違ってないじゃないか! リニカ、手当してやってくれ」

「はいはーい。言われなくても」


 確か彼女はすぐ近くの闘技場で試合をしていたはずだ。とりあえず、彼女も勝ったらしい。それにしても随分な激闘が、その見た目だけでもよくわかる。


「アタシは大丈夫だよ。こんなのツバでも付けとけば――うわああああっ!?」

「はいはい。大人しくそこに座りなさい」


 嫌がるウルザもリニカの長い蛇体に巻き取られ、強引に椅子に固定される。そのまま大量の葉っぱを頭上で絞られ、消毒を受けていた。流石にあの傷に直接消毒液を注がれると激痛が走るのか、ウルザも悲鳴をあげている。


「はぁ、全く。もうちょっと平和的に戦えないのかしら」

「いででででっ」


 多少の傷ならものともしない屈強な熊獣人のウルザだが、対戦相手もかなりの実力者だったのだろう。やはり、炎龍闘祭の戦いは生半可なものではない。


「アタシよりウィリウスの処置をだな」

「あっちはもう終わってるわよ。ちょっと切っただけ。あなたの方がよっぽど重症なんだから」

「うぎぎぎぎっ」


 心配してくれるのはありがたいが、ウルザは少し過保護気味だ。俺が肩に巻かれた包帯を見せると、彼女は心配そうな顔をする。


「大丈夫なのか? 次の試合、順当にいけば多分、“神速”のエクィアだろう」


 頭にぐるぐると包帯を巻かれながら、ウルザは早くも次の試合相手について口にする。

 “神速”のエクィア。馬獣人の剣闘士だ。いわゆるケンタウロスのような半人半馬の獣人で、広い闘技場を存分に活かす駆け足を得意と、そこから生まれる華麗な槍捌きを得意とする。


「まあ、なるようになるだろ」


 エクィアは実力者揃いの炎龍闘祭において優勝候補として有力視されている一人だ。軽装が多い剣闘士には珍しく重い甲冑を着込み、それを物ともしない膂力を備えている。大槍は薙ぎ払い、叩きつけ、突きと多彩な技を見せ、相手を翻弄する。

 しかも、俺も名が売れたことでかなり研究されていることだろう。油断できる相手ではない。


「――おや、さっそく私の噂をしてくれているのかな?」

「っ!?」


 ウルザの処置が終わりかけたその時、蹴破られて無惨に床に倒れた扉の前に何者かが現れる。立派な足は人のそれではない。蹄に蹄鉄、床を打つ重い音。闘技場内部の廊下から窮屈そうに顔を覗かせたのは、流れるような金髪の美しい、騎士のような甲冑姿の女性だ。

 その姿を見た途端、ウルザとリニカが表情を険しくする。


「そんなに殺気立って構えなくてもいい。私はただ、挨拶をしにきただけだから」


 歓迎されていないのは、火を見るよりも明らか。にも関わらず、馬獣人の騎士は悠然と医務室へと入ってきた。

 大きい。上半身はそれなりに鍛えられているものの、女性らしい曲線を残している。しかし、下半身――馬体はまるで千年生きた大樹のような厳かさがあった。艶やかな黒い毛並みの下から分厚い岩のような筋肉が浮き上がっている。その下半身だけで、俺の背丈ほどある。彼女の腹が、ちょうど俺の目線にくるのだ。


「まさかそっちから来てくれるとはな、エクィア」

「ふふふっ。男性に名前を呼んでもらえるとは嬉しいね」


 四面楚歌の状況で、俺の次なる対戦相手である“神速”のエクィアは穏やかに笑った。彼女の差し伸べた手に応じると、強く引き寄せられる。彼女の下腹に密着するように押さえつけられ、人間よりも少し高い馬獣人の体温を直に感じる。


「ああ、残念だよ。君はぜひ私の剣闘士団に入れたかった」

「てめぇ、さっきからゴチャゴチャと!」


 あまりに身勝手な行動にウルザが吠える。しかし金髪の美女は涼しい顔でそれを聞き流す。


「――挨拶に来たのは、いくつか言っておきたいことがあるからだ」


 一変、真剣な表情となったエクィアが、俺の顔を覗き込みながら言う。切れ長な深い緑の瞳が俺を見ていた。


「言っておきたいこと?」

「さるお方から、試合について注文を付けられてね。簡単に言えば、君に金を支払えと」


 それだけで、俺たちは理解した。エクィアの所属する剣闘士団にリーシスが接触したのだ。試合の前に買収し、八百長を行え、と。


「その割には手ぶらのようだが」


 だが、エクィアは甲冑こそ着込んでいるものの槍も持っていない。他に連れもおらず、単独だ。


「私がそのような言葉に応じるとでも? 相手が誰であろうと、剣闘を愚弄するようなことは許されないよ」


 きっぱりと騎士は言い切った。いっそ清々しいほどにあっさりと。その目には怒りさえ孕んでいるようだった。

 当然だろう。炎龍闘祭は神聖なる儀式だ。剣闘士であれば、その意味も理解している。


「とはいえ、君が順調に勝ち進んでいることで、相手は何か焦っているみたいだ。次にどんなことをしでかすか分かったもんじゃないからね」

「わざわざ忠告に来てくれたのか……」

「私も君の活躍はよく聞いている。正々堂々と手合わせ願いたいからね」


 彼女もまた剣闘士なのだ。いかに正義や秩序を重んじる騎士のように見えても、その皮膚の下には熱い血が脈打っている。


「ありがとう、エクィア。次の戦いで会おう」

「楽しみにしているよ」


 エクィアは軽やかに身を翻し、去っていく。その凛々しい背中を、ウルザたちが困惑気味に見送っていた。

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