第30話「頼れる保護者」

 第一試合突破の喜びは消え、控え室には暗澹とした空気が滞留している。苛立ちの混ざった足音は、さっきから落ち着きなくドアの前で行ったり来たりを繰り返しているウルザのものだ。


「やっぱり納得できない! ウィリウスが男でも、試合は正々堂々と真剣にやってたでしょ!」


 フェレスの怒りが噴出する。目を吊り上げてグルグルと唸る彼女は、今にも誰かを食い殺しそうな気迫に満ちていた。いつも飄々としている彼女も血の気の多い剣闘士なのだと改めて認識した。


「まあまて」


 そんな彼女を押し留めたのは、意外にもトリクスだった。普段なら先陣を切ってドアを蹴破り、あの隊長たちをぶん殴りに行きそうな彼女だが、驚くほど冷静に腰を落ち着けて泰然としている。


「トリクスは悔しくないの!?」

「我もはらわたが煮えくりかえっているに決まっているだろう。しかし、ここで荒事を起こしては、余計に立場が悪くなるだけだ」


 先ほどウルザを羽交締めにしていたフェレスが言っていたことを、トリクスが繰り返す。それに、と彼女は続ける。


「あやつらは末端の雑魚に過ぎん。そんなものを糾弾したところで、なんになる」

「じゃあ、どうするつもりなんだよ」


 ウルザが低い声を響かせた。俺よりもよほど腹に据えかねた様子の彼女は、もはや煮え立つ怒りを抑えることに必死になっているようだった。


「無論、方策は考えておる。……というか」

「うぉらああああああっ!」

「ウチのウィリウスを虐めてるふてぇ野郎ってのは何処だ!?」

「その尻尾ちょん切って鼻の穴に突っ込んでやる!」


 トリクスの言葉を遮るようにドアが開いた。入ってきたのは、怒り心頭といった様子の〈ソルオリエンス〉の剣闘士たち。他の闘技場で試合をしていたり、宿舎で休んでいたりした奴らが全員集まってきていた。

 物騒なことを言って上腕二頭筋を盛り上げるカウダたちの背後から現れたのは、あいも変わらず艶然と紫炎をゆくらせる我らが団長、ドミナだ。


「はあ。やっぱりこういうことになったわね」

「やっぱり?」


 開口一番、まるで今回のことを予測していたかのようなことを言うドミナに周囲がどよめく。


「ウィリウスを炎龍闘祭に出すと決めた時から、危惧してたことよ。炎龍闘祭に男剣闘士が出場するなんて前代未聞のことだから。きっと口うるさいババアどもが何か言ってくるだろうと思ってたの」

「口うるさいババアって……」


 思い出すのは隊長の去り際、トリクスが投げた問いだ。この書状をしたためた当人、たしか名前は。


「リーシス・ユリウス・パトレス」


 ドミナがその名を口にする。


「元老院議員って言ってたか」

「ええ。帝都の政治の中枢ね。リーシスはそこの元老院議長よ」


 ずいぶんな大物であることが判明し、息巻いていた剣闘士たちも少し勢いを落とす。元老院議長といえば、政治に疎い俺でも分かる。帝国は一応帝政を取っているものの、元老院の声を無視できるほどの強権が許されているわけではない。元老院議長ともなれば、皇帝に次ぐ権力者と言ってもいい。


「そんなお偉いさんがわざわざウィリウスを? 元老院も暇なんだな」


 黙って聞いていたウルザが吐き捨てるようにいう。


「炎龍闘祭は元老院にしても絶対に成功させねばならぬ祭事だからな。前回の炎龍闘祭が終わった直後から、準備は始まっているのだ。少しでも失敗の原因になりそうな因子は取り除かねば、気が済まないのだ」

「ウィリウスがいたら失敗するってのか?」

「前例がない。だから認められない」


 トリクスは元老院側の事情についてもある程度把握しているらしい。彼女自身とうてい納得している様子ではなかったものの、リーシスたち元老院側の主張を代弁する。


「炎龍闘祭をはじめ、帝国各地で行われる五龍祭はどれもただの娯楽というわけではない。神殿が正式に執り行い、祈祷師たちが力を発揮する、純然たる神事祭礼の儀式なのだ」

「神事祭礼の儀式。剣闘試合が儀式だったのは昔のことなんじゃないのか?」

「たしかに普段のものは娯楽の色が強くなって、祖霊の慰安や葬礼といった意味は希薄になっている。しかし炎龍闘祭は違う。あれは確かに炎龍に奉じられ、その見返りに後の五年の繁栄が約束されるのだ」


 トリクスの言葉は荒唐無稽に思えた。しかし、彼女の表情は真剣そのもの。この状況で嘘を並べる必要もない。


「トリクスから、前もってこの展開は聞いていたのよ」


 ドミナはトリクスが宿舎へやって来て、一緒にチーズフォンデュをした夜に何やら密談をしていた。それが、今回のようなことへの対処だったらしい。


「俺はどうしたらいいんだ?」

「試合に出続けるのだ。おそらく、多くの妨害が仕掛けられるはず。しかし、向こうも正式に参加を認めた者を今更不当に排除することはできん。この後のトーナメントを勝ち抜くのだ」


 トリクスはそう言って、周囲に集まった〈ソルオリエンス〉の剣闘士たちを見る。


「この中には第一試合で敗退した者もいるだろう。お前たちはウィリウスを守れ。昼夜を問わず、寝食の合間を問わず。常に目を光らせるのだ。影に日向に敵は潜んでいる」

「任せてくれ! 火の中水の中、風呂ん中でも見張っててやる!」

「てめぇはスケベなだけだろ!」


 仲間たちの力強い声。冗談めかして笑っているが、そこには大きな危険がある。それを承知の上で、彼女たちは臆することなく声をあげているのだ。


「ウルザたちトーナメントに進出したものは、真剣に闘うことを考えろ。ウィリウスがいるせいで祭りが失敗したと、敵に口実を与えるわけにはいかん」

「当たり前だ。例え親が相手でも容赦なく戦うさ」


 トリクスの忠告に、ウルザも即座に頷く。


「ウィリウスが出場し、その上で大祭を成功裏に収める。そうなれば元老院ももはや何も言えぬ。むしろ、今後の前例ができる」


 心底おもしろそうに、獅子が笑う。彼女は元老院を相手どって、帝都どころか帝国全土を巻き込むような試合を繰り広げようとしているのだ。

 下手をすれば、祭りが失敗に終われば、帝国の地盤が傾く事態すら危惧される。それでも、彼女は胸を張り、山のように泰然と構えている。


「トリクス、お前っていったい何者なんだ」

「ふふん。自称、それなりに偉い貴族だ。そしてウィリウス、お前の保護者パトロヌスだ」


 彼女はすっかりアクセサリーにしてしまった太い鎖をじゃらりと鳴らす。この程度で自分を縛ることなどできないと、周囲に誇示しているようだ。その威風堂々とした佇まいには、凡百な貴族や騎士など歯牙にも掛けない圧倒的な気迫があった。


「なに、小難しいことは我とドミナに任せておけばいい。お主らは試合に勝ち続けることだけを考えるのだ」


 トリクスの言葉は心臓を強く叩く。それだけで、力がみなぎり勇気が溢れるようだ。

 波乱万丈が約束された、炎龍闘祭の本戦がついに始まる。

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