第29話「青天の霹靂」

 第一試合を無事に突破し、本戦へ進む五十人の中へ入ることができた。そのことにほっと胸を撫で下ろしつつ、闘技場の控え室に備え付けられた水場で汗と砂を流す。今日みたいな晴天でも、帝都の誇る水道から流れる水は冷たく気持ちいい。さっぱりしたところで服を着ていると、部屋のドアがノックされた。


「よくやったな、ウィリウス!」

「おめでとう!」

「流石は我がクリエンテスといったところか。我も誇らしいぞ!」


 ガヤガヤと賑やかに入ってきたのは観客席から声援を送ってくれていたウルザたちだ。俺が第一試合を勝ち抜けたことを我が事のように喜んでくれている。


「特に最後のフォルティスとの戦いは凄かったな。あの圧倒的に不利な状況でいったいどうやったんだ?」

「うむ。何やら相手がすごく驚いていたような気がするが……」

「あー、うん。ちょっと相手の意表を突いただけだ」


 詳しい戦い方はぼかしつつ、俺は三人にも感謝を伝える。彼女たちの声援がなければ、ここまで力も発揮できなかったはずだ。


「ウルザとフェレスは第二試合に進むんだよな。他の奴らは?」


 頭にタオルを乗せて水気を拭きながら、試合の状況を尋ねる。ウルザとフェレスは少し険しい顔をして唸った。


「やっぱりなかなか厳しいな。カウダはなんとかギリギリ辛勝ってところだが、脱落した奴もそれなりにいるよ」

「そうか……」


 いかに〈ソルオリエンス〉が新進気鋭の粒揃いといえど、この大祭には各地から強者が大挙して押し寄せている。また、いつもは一対一のタイマン勝負が多いところで、第一試合はいきなり二十人の大乱戦だ。普段の実力が発揮できずに終わる闘士も少なくない。

 逆に言えば、俺が今回勝ち抜けたのは他の相手がお互いに牽制し合って無駄に体力を使ってくれたおかげ、という面もあるのだが。


「あいつらの遺志も背負って、アタシらは頑張るしかないよ」

「別にみんな死んだわけじゃないよ」


 ぐっと拳に力を込めるウルザ。ウェレスが呆れ顔で、そんな彼女の尻を叩いた。

 その時、再びドアが開かれる。無遠慮に蹴破るような勢いで、飛び込んできたのは武装した兵士たちだ。


「なんだお前ら!」

「ぬぅっ!?」


 物々しい空気を纏った女たちに、ウルザとフェレスが身構える。トリクスも驚いた様子で、兵士たちを見渡している。


「ウィリウスはお前か?」


 ウルザの声を無視して、女の一人――隊長格らしい兵士がこちらへ向く。


「そうだが……。なんだ、物騒だな」


 彼女たちの装備は帝国軍の正式なものだ。剣闘士たちに勝るとも劣らない屈強な体格に、金属製の防具を身につけ、槍を携えている。こんな武装集団に目を付けられる覚えがない俺は、ひとまず素直に話を聞くことにした。

 兜で頭を覆い、素顔もほとんど見えない隊長が懐から紙を取り出す。円筒に巻いていたそれを広げて、よく響く声で書面を読み上げる。


「剣闘士団〈ソルオリエンス〉所属の男剣闘士ウィリウスは、神聖なる炎龍への武闘奉納に能わず。不浄なる身からして舞台に適さずと大神殿よりも信託を受けたり。よって、当人の炎龍闘祭参加を認めず、即刻の辞退を命ずる」

「……は?」


 滑らかに読み上げられたその内容を理解するのに、数秒がかかった。


「てめぇっ!」

「ウルザ、まずいよ!」


 俺が反応する前に、ウルザが兵士へ飛びかかろうとする。それをフェレスが咄嗟に羽交締めにして抑える。帝国軍に楯突くのは反逆の意と捉えられてもおかしくない。

 しかし……。


「俺に、炎龍闘祭への参加資格がないと?」


 先の通達を一言にまとめる。相違ない、と隊長は頷いた。


「貴様、何を訳のわからぬことを! ウィリウスは事前に正当な手続きを踏んで、この場におるのだぞ!」


 トリクスが激怒する。だが、隊長は涼しい顔だ。


「どうやら、その手続きに些細な勘違いがあったようです。過去、炎龍闘祭に男が参加した事例などありません」

「だからウィリウスに退けというのか!」

「こいつは第一試合を勝ち抜いたんだぞ!」


 愕然としてウルザが吠える。


「そこも疑わしいものです。体格でも力でも頑丈さでも獣人に大きく劣る人間の男が、十九人の屈強な剣闘士に勝つなど。試合を見た者が言うには、ウィリウスはフォルティスと共闘し、最後には彼女の不意を突くようにして勝利したとか」

「……俺が、フォルティスと共謀した上で彼女を裏切ったと?」

「さて、そこまでは」


 わざとらしく肩をすくめる女。今すぐ彼女に殴りかかりたくなるが、理性がそれを押し留める。俺が勝てる相手ではないし、拳を向けて良い相手でもない。

 肩を振るわせる俺を見て、隊長は何を思ったのだろう。口元に笑みを浮かべて馴れ馴れしく肩を叩く。


「男の身で剣闘士になろうというのが、不遜なのだ。ただの奴隷剣闘士としてサーカスに徹していればよかったものを」

「っ!」


 間近に迫る隊長の顔。思わずそれに頭突きを喰らわせそうになって、唇をきつく噛む。

 伝えることは伝えた、と彼女たちがドアの方へと歩き出す。それを呼び止めたのは、トリクスだった。


「おい、この書面は誰の名によるものだ。署名のない文書に公的な効力はないぞ」

「チッ。無駄に頭の回ることで……」


 鋭い指摘を受けて、隊長も止まらざるを得ない。彼女は億劫そうな顔で振り返り、口を開いた。


「帝都フェルズの元老院議員、リーシス・ユリウス・パトレス様だ」


 その名前に俺やウルザは心当たりがない。しかしトリクスは知っているようだった。手に持った書状を握りしめ、牙を剥いて獰猛な表情を浮かべる。

 隊長たちは、鼻を鳴らし、コツコツと足音を響かせながら出ていった。

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