第21話「盛況の市場」

 帝都には100万人を超える人が住むと言われている。そして、その中には奴隷は含まれていない。となれば、実質的にはその倍以上の人が、この小さな丘に詰め込まれているということになる。

 ただでさえ大食らいが多い獣人族の国でそれほどの人口を抱えるとなると、必要となる食料も大量だ。運河では昼夜を問わず多くの船が穀物を満載して遡上しており、帝都の周辺にも広大な農地が広がっている。帝国が絶えず外側へ向けて戦争を仕掛けているのは、貪欲な胃袋を満たすためというのも大きな理由のひとつなのだ。

 そんなわけで、帝都にはいくつも大きな市場があり、毎日どこかしらで賑やかな営みがある。俺とウルザが繰り出したところも、広い広場に色とりどりの天幕を並べた店がひしめく大混雑だった。


「ウィリウス、あのリンゴ買っていいか?」

「ウルザの金だろ。好きに使えばいいじゃないか」


 ケナから食材の買い出しを頼まれた俺は、付き添い兼荷物持ちとしてやってきたウルザと共に、うだるような熱気に包まれた人混みの中を歩いていた。昼前まで惰眠を貪っていたウルザは空きっ腹を抱えて、果実を積み上げた露店に目を釘付けにしいる。


「ほら」

「俺も食べていいのか?」


 ウルザの買い物は当然彼女のポケットマネーから支払われるのだが、彼女は俺のぶんも合わせて買ってくれた。真っ赤なりんごは少し小ぶりで、そのまま齧るのにちょうどいい。歯を立てればぱりんと弾けるような新鮮さで、酸味と甘味が口の中に広がる。


「うまいな」

「ふふん」


 ウルザの方を見ると、カゴいっぱいに積み上げたリンゴを抱えて、スナック菓子のようにぽいぽいと口の中に投げ込んでいる。いくら小ぶりとはいえ、一口でいけるサイズではないと思うんだが……。

 しかも、その程度では彼女の胃袋を満たすには到底足りないらしい。あっという間にカゴを空にしてしまった彼女は、調子付いてきた様子でキョロキョロと周囲を見渡す。


「しっかし、さすが帝都の市場だな。なんでも揃ってる」


 競り合うようにして立ち並ぶ店の軒先には、実に様々な商品が並んでいる。大麦、小麦、それを使ったパン。米、粟、稗、豆。穀物だけでも多種多様だ。さらに船で運ばれてきた魚や魚醤、遠い異国の果実なんかもある。肉を吊るした店があれば、鶏だけを専門に扱う店もある。数多くのチーズを並べた店ももちろん。

 これほど広大なエリアに、これほどの品揃えをした市場というのは、帝都以外では見られないだろう。ウルザも興味津々といった様子だ。


「あれは……」


 商品を物色しながら歩いていた俺は、ふと広場の片隅にあるエリアを見た。

 そこにも商品が並んでいる。木の板の値札をかけられて、老練そうな商人が絶えず並びを調整している。


「さあさあ、コイツは南方の出身だ。ちょいと色黒だが丈夫で一日休まずしっかり働く真面目なやつだよ。洗濯でも水汲みでもなんでもできる。こっちは北の島国の珍しい種族だ。見ての通り雪のような美しさ! 力はないが賢くて、人の顔と名前も一度で覚える」


 立板に水を流すような滑らかな宣伝文句。一列に並んでいる商品は、首から値札を下げ、足に枷を付けられた奴隷だ。帝国との戦争で捕えられた奴らが、こうして売りに出されている。

 男も女もほとんど裸に近い格好で、客たちはジロジロとその体付きを見て品定めに集中しているようだった。


「奴隷市か。賑やかなこったな」


 俺が立ち止まったのに気付いたウルザが隣までやって来てこぼす。その声には嫌悪感や抵抗といったものはほとんど感じられない。彼女も帝国人であり、奴隷制度は生まれた時からあった当たり前のものだからだ。

 この帝国の発展も、帝都の運営も、奴隷がいなければ成り立たない。水を汲み、荷物を運び、風呂を沸かす。そういった雑事は全て奴隷が行うからこそ、帝国はここまで大きくなったのだ。

 そもそも奴隷とは生まれながらの運命ではなく状態であるというのが、帝国人の認識だ。だから俺のように金を集めれば奴隷身分からの解放も許されるし、中には官僚として政治の中枢で活躍している者もいると聞く。そのあたりの寛容さも、この国の魅力のひとつだ。


「奴隷に暴力振るう奴っていないのか?」


 ふと気になって疑問を口にする。

 奴隷剣闘士としての暮らしは過酷なものだったが、言ってしまえばそれだけだ。故意に殴られたり食事が出されなかったりといったことはない。むしろ強い剣闘士にするため、割といい食事が出てきた気がする。

 奴隷市の方を見てみても、老商人はちょこちょこと奴隷たちの服装(といってもちょっとした布切れ程度のものだが)を直したり、長所を数え上げたりと熱心だ。


「商品を傷つける奴があるかよ。もしその辺を歩いてる奴隷に怪我させたら、そいつの主人に賠償金払わねぇといけないしな」

「それもそうか」


 奴隷は帝国を支える重要な労働力だ。ある意味欠かせない存在ということで、奴隷なりに大切に扱われているようだ。


「ウィリウスだって、貴族の奴隷になってればもっといい暮らしできたんじゃないのか?」

「それは勘弁。飼い殺しにされるのはどんなに可愛がられてたって嫌だな」


 俺が憮然としてそう言うと、ウルザはくつくつと笑う。普段から幾度となく繰り返してきた、定番のやり取りだった。


「なあ、店主よ。本当にいないのか? もうちょっと身長が高くて、屈強なやつがいいのだが」

「ええい、アンタもしつこいねぇ。男でそんな奴、いるわけないだろ。そこに出してる奴が一番大きくて力もある奴さね」

「しかしこれでは我を投げ飛ばすほどの力はなさそうだ」

「当たり前だろ! 人間族の男がそんなことできるわけないじゃないか!」


 ――奴隷市から離れて買い物に戻ろうとしたその時、喧騒に紛れてそんな会話が聞こえてきた。そのうちの一方に聞き覚えがあるような気がして顔を上げると、同じく妙な顔をしたウルザと目が合った。

 視線で意識を交わし、俺たちは揃って振り返る。

 人混みの中でもよく目立つ大きな背中。燃えるような赤髪に、よく焼けた肌。後ろ姿からでもよく分かる、威風堂々とした偉そうな雰囲気を纏う人物を、俺たちは知っていた。


「むっ」


 突然その女がぴくりと耳を揺らしたかと思うと、機敏な動きで振り返る。


「おお、やはりウィリウスか! こんなところで出会うとは奇遇だな!」

「うわぁ!? なんで分かったんだ!」


 俺たちも人混みに紛れているというのに、その獅子獣人の女――自称そこそこ偉い貴族のトリクスは真っ直ぐに俺たちへと近づいてきて、両腕を広げた。オレンジの瞳を爛々と輝かせて熱い抱擁を交わそうとしてきたその時、彼女の前にウルザが割り込む。


「ウチのウィリウスにちょっかいかけないでくれますかねぇ」

「ぬぅ。ええい、女と抱き合い趣味はない!」


 獅子と熊が指を絡ませギリギリと力で押し合う。お互いに睨みながら、仲の良いことだ。


「なんで貴族がこんなところで奴隷を物色してるんだ……」

「ぐっ。そ、それは……」


 何やら随分と狼狽えるトリクス。その隙にウルザが組み伏せようとした時、トリクスの背後からこれまた見知った狐獣人が現れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る