第22話「詭弁の保護者」

 奴隷市場で商品を物色していたのは、いつぞやのテルマエで覗きをしていた自称貴族の獅子獣人、トリクスだった。彼女とウルザが剣呑な雰囲気になったその時、背後からキュオラがやってきた。


「何やってんだこの色ボケーーーっ!」

「ぐわーーっ!?」


 先日会った時は片眼鏡も相まって理知的な雰囲気のあった狐獣人の従者は、主人に向かって一切の躊躇いなく飛び蹴りをかました。小柄なフェネックに似た狐獣人の彼女と屈強な獅子獣人のトリクスではあまりに体格差がありすぎてほとんど効果はないように思えたが、不意打ちの一撃に獅子が悲鳴をあげた。


「屋敷抜け出してどこに行ったかと思えば、何を奴隷物色してるんですか! 頭まで腐り果てましたか!」

「お、おま、一応我は主人だぞ!?」

「だからこうしてわざわざ追いかけて来てんでしょうが!」


 どっちが主従か分からないような言い合いに、俺とウルザの方が逆に冷静さを取り戻す。

 こちらの存在に気が付いたキュオラははっと眼鏡の位置を直してトリクスの胸ぐらを掴んでいた手を離した。


「こほん。これはお見苦しいところを……。と、あなた方はたしか――」

「テルマエ以来だな。相変わらず元気そうでなによりだ」

「元気すぎるので鎖で縛り付けていたんですけどね」


 じろりとキュオラの睨む視線の先、トリクスの胸に太い鎖が垂れ下がっている。てっきりそういうアクセサリーなのかと思っていたが、どうやらシンプルに拘束具だったらしい。

 獅子獣人は屈強だ。あの程度の鎖は強引に捩じ切って脱走してきたのだろう。


「あんたも大変そうだな」

「まったくです」


 主人の目の前だと言うのに臆する事なく即答するキュオラ。トリクスはそんな従者を憮然とした顔で見ていた。


「屋敷で勉強するようにとお母上から言いつけられていたでしょうに。脱走がバレたらまた折檻ですよ」

「ぐぬぅ。しかし、どうにも椅子に座っていると尻が痒くなって堪らんのだ」


 トリクスはぱたぱたと尻尾を振って不満を呈する。典型的な集中力がないタイプのように見えるが、そもそも勉強する余裕があるということは実際に貴族ではあるらしい。


「なんだ、その目は」

「いや、本当に貴族だったんだなって」

「最初から言っておろうが!」


 不満げなトリクスだが、見たところ貴族の威風というものは感じられない。立て髪のような赤毛は確かに雄々しい、いや雌々しいのだが、口を開いた瞬間にそれを相殺してしまうのだ。


「それにしても、お勉強から逃げ出して奴隷を物色するって、何をしてるんだよ」

「別に本気で奴隷が欲しいわけではない。ただ、その……」


 呆れるウルザの言葉を受けて、トリクスは急にもじもじとしだす。なぜか俺の方へチラチラと視線を向けて、キュオラとウルザが半目になった。


「まさか……」

「トリクス様、もしかして……」

「べ、別にウィリウス似の男奴隷を探そうとしていたわけではないぞ!」

「よし、ウィリウス。さっさと帰るか。帝都には不審者もいるみたいだからな」


 ウルザが俺の肩に腕を回し、そのまま踵を返す。


「ま、待ってくれ! 違うんだ、そうじゃないんだ!」


 往来のど真ん中にも関わらず、トリクスは情けない大声をあげる。あまりにもあんまりな貴族様に、つい立ち止まって振り返ってしまった。

 見上げるほどの獅子獣人が、今は雨の日に置いて行かれた子猫のようだ。


「何が違うんだ?」

「そ、そうだな……。ええとだな……」


 違うことはなかったらしい。こんなやつが貴族で、本当に帝国は大丈夫なのだろうか。

 俺が眉を顰めたのに気付いたトリクスは、慌てて別の話題を投げ込んで自体をうやむやにしようとし始める。


「そうだウィリウス。ここで会ったのも何かの縁というものだろう。どうだ、一緒に戦車競走でも観に行かないか?」

「戦車競走?」


 つい反応してしまって、すぐに後悔する。トリクスの大きなオレンジ色の瞳がきらりと輝いたのだ。


「そうだ。ちょうど今からすぐ近くの競技場で開催されるのだ。我は赤組を応援しているのだが、今日は実力のある騎士が出るとのことでな。これは一見の価値がある!」

「トリクス様、競技場への立ち入りは禁止されていますよ」


 そういえばテルマエでそんなことも言っていた。トリクスは剣闘や戦車競走といった競技観戦が好きすぎるあまり、そちらに傾倒し、親に怒られているとかなんとか。その影響で帝都中の闘技場や競技場で立ち入りが禁止されていると。

 キュオラの鋭い声に、トリクスはたじろぐ。しかし、すぐに俺の手を取り、にやりと不敵な笑みを浮かべた。


「ふふん、問題ない。これは我の正当なる責務故な!」

「責務……?」


 今度は何をほざいているのだ、と言いたげなキュオラ。しかしトリクスは堂々と胸を張って続ける。


「ウィリウス、ウルザ。お前達はもはや我の庇護の下にあると言ってもよいだろう」

「はぁ?」


 今度はウルザが頓狂な声を上げる。

 庇護、というのは帝都にある特殊な人間関係のことだ。貴族と平民などの間で結ばれる主従関係のようなもので、庇護者をパトロヌス、被庇護者をクリエンテスという。クリエンテスは毎朝パトロヌスに挨拶に行って、食糧などを貰い受けたり、縁談を組んでもらったりする。代わりにパトロヌスが選挙戦に出馬する際には、投票を約束する。

 持ちつ持たれつの関係ではあるが、俺やウルザがトリクスの庇護下に入った覚えはない。そもそも、俺たちは流浪の剣闘士団なのだ。


「トリクス様!」


 キュオラもその馬鹿げた放言は流石に看過できないと噛みつくが、獅子は泰然としている。


「クリエンテスに恵みを与えるのもパトロヌス、ひいては貴族の務め。我はこの二人のために、教養深き文化的活動たる戦車競走の観覧へ招待するのだ」

「き、詭弁です!」

「我も家庭教師から弁論術を習っておるのでな!」


 ぬはははは、と勝ちを確信して笑うトリクス。弁論というにはあまりにも拙いものだったが、彼女は反論が来ないうちにと俺とウルザの背中を押す。向かう先はもちろん、立派な石造りの競技場だった。

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