第14話「出立の日」

 〈ソルオリエンス〉は巡業剣闘士団という集団だ。巡業というだけあって、一つの町に留まることはなく、広大な帝国の領土を絶えず転々としている。一団がカニスを発つことになったのは、俺が入団して一ヶ月ほど経った頃のことだった。


「さあ、みんなキリキリ働きなさい。全部積み終わるまで休憩はないわよ」


 早朝、日が昇ると共に起き出した俺たちはドミナの号令で宿舎の前に並べられた荷車の前に集められていた。これから始まるのは壮大な引越し作業だ。剣闘士十四人、医師、料理人、そして団長。総勢十七名もの集団が生活するだけの荷物をまとめていかなければならないのだ。前日にある程度まとめているとはいえ、荷車に積み込んでいくだけでもかなりの時間を要するだろう。

 昼前には出発したいと声を張り上げるドミナに尻を叩かれて、まだ眠たげに瞼を擦りながら剣闘士がのそのそと動き始めた。


「はー、めんどくさ」

「何回やってもこれは慣れねぇなぁ」


 いかに屈強な剣闘士といえど、水やワインの入ったアンフォラやら鉄の鍋やら陶器やら、嵩張る上に重量も相当な荷物を運ぶのは面倒くさいらしい。それでも荷造りが遅れるとそれだけ飯の時間も遠ざかるとなれば動かざるを得ない。


「よし、やるか……」


 俺も背の高い獣人たちに混じってアンフォラを持ち上げる。リニカが命と医療器具の次に大事と公言している酒の入ったアンフォラだ。陶器製の大きな壺で、これ一つに数百リットルもの液体が封入されている。


「んっ、ぐ……うぎぎっ」


 冷静に考えれば、当たり前である。人間が数百キロの荷物を持ち上げられるはずがない。人間でも女性なら案外いけるのかもしれないが、人間の男だけは以前の世界とそう変わらないのだから理不尽なものである。

 大きな壺を抱えて赤い顔で唸っていると、微動だにしなかったそれがふわりと浮き上がる。驚いて見てみれば、ウルザが軽々と抱えていた。


「おわっ、ウルザ」

「何をエロい声だしてんだ、まったく」


 妙に視線を泳がせながら、彼女はそんなことを言う。エロい声を出したつもりは毛頭ないのだが、周囲の先輩方に視線を向けると、ふっと顔を背けられる。まじかよ。


「こういうのはアタシらに任せたらいい。ウィリウスは軽いのを運んでくれ」


 ウルザは俺が両手でも持ち上げられなかったアンフォラを両脇に抱えてのっそのっそと歩き出す。他の獣人女たちも似たようなものだし、剣闘士ではないはずのケナは四つ纏めて運んでいる。あいかわらず、理不尽なフィジカル格差だ。

 俺は少ししょんぼりしつつ、毛布やら食器やらの細々としたものを運ぶことにする。


「ごめんなさいね、男手まで借りちゃって」

「別に構わないさ。むしろ一人だけ何もしない方が落ち着かないだろう」


 いつもは優雅に紫煙を吹かしているドミナも、今回ばかりは自ら動いている。とはいえ蜘蛛虫人は獣人ほど怪力というわけでもないようで、俺と同じく小物を運んでいた。それでも六本も腕があるぶん、俺よりよほど効率的に運んでいるようだが。

 荷物を積み込むのは、立派な幌付きの馬車だ。いや、より正確には蜥蜴車というべきか。ながえに繋がれつつのんびりと地に伏せているのは、大柄なモスグリーンの蜥蜴だった。このあたりでは一般的な家畜であり、カニスの通りを歩けばいくらでも目に入る。


「そういえば次の町はどこなんだ?」


 カニスを発つという話を聞いたのは数日前のこと。ちょうどウルザが試合で華々しく勝利を収め、祝杯をあげた直後のことだった。そんなわけで、俺も他の面々も、詳しい話を全て酩酊で吹き飛ばしていた。

 ドミナは呆れた顔をしながらも、もう一度改めて次の目的地を教えてくれる。


「次はラピス、その次はフォッシリス。どんどん西に向かって、最終的には帝都よ」

「帝都までいくのか」


 この世界で最大の国力を誇る大帝国。その中枢が帝都だ。皇帝の座す壮麗な宮殿が、立派な城壁が、そして何より帝国最大の大闘技場が存在する、世界の中心だ。

 目的地を聞いて、俺も話を理解する。


「炎龍闘祭か」

「そういうこと。帝国中の剣闘士が一堂に介して、その中から最強の一人を決める。そこに参加しない手はないでしょう?」


 以前ウルザが言っていた、最強の剣闘士を決める五年に一度の大剣闘祭だ。帝国の守護神たる炎龍に至高の剣闘を奉納し、安寧と豊穣を祈るのだ。

 この大祭で月桂冠を授けられた剣闘士は名実ともに帝国最強、ひいては世界最強の称号を獲得する。富と栄誉、そしてただ唯一一人だけに許されたその称号を求めて、各地から剣闘士たちが集結するというわけだ。


「炎龍闘祭って俺でも参加できるのか?」

「あら、興味あるの?」


 ないと言えば嘘になる。とはいえ、それが現実味の薄い話であることはよく分かっていた。

 男の剣闘士自体は俺以外にもいる。だが、歴史上、男剣闘士が目立った戦績を挙げた例は存在しない。フィジカルからして圧倒的な差があるのだ。当然だろう。


「どこかしらの剣闘士団に所属してるプロなら参加権はあるはずよ。もし出場するなら、帝都までの道中でしっかり鍛えなさい」


 ドミナは俺が炎龍闘祭に参加することを止めなかった。それどころか、期待の目すら向けてくる。彼女の紫紺の瞳を見ていると、不思議と勇気が湧いてきた。


「ウィリウス、ちょっと手伝ってくれ!」


 宿舎の方からウルザの焦った声がする。見れば、誰かが大量のオレンジを地面にぶち撒けている。


「何やってるのよ。食べ物を乱暴に扱うなんて!」


 それを見たドミナが眉間に皺を寄せる。


「ち、違うんスよ! こいつが後ろから脇腹つついてきて……」

「はあ!? お前がバカなこと言うからだろ!」

「口よりも手を動かしなさいな。いつまで経っても出発できないじゃない!」

「す、すいませーん!」


 数人が慌ててオレンジを拾い集めているが、方々に転がったそれを全て回収するのは大変そうだ。俺はついつい眉尻を下げながら、加勢すべくそちらへと小走りで向かった。

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