第04話「檻の外」

 ドミナ率いる〈ソルオリエンス〉は、13名の屈強な女たちを抱える巡業剣闘士団だ。町から町へと帝国領内を移動して、行く先々で剣闘を披露する。立ち上げて間もない新興の団体とはいえ、ドミナの慧眼に適う闘士たちは揃って勇猛果敢を体現したような女たちばかり。特に若きエースと名高い熊獣人のウルザは、すでに噂が先回りして評判を上げるほどの人気ぶりだ。


「納得できねぇ! なんで男が加入するんだ!」


 剣闘士団に与えられた狭い控室。男臭い――いや、女臭い汗と獣臭が充満する部屋で、〈ソルオリエンス〉のホープが吠えた。彼女の指し示すのは当然、この俺である。


「ちゃんと説明したじゃない。貴女が負けたからよ」

「それは……!」

「それとも? 貴女はウィリウスを解放奴隷にするためにわざと負けたとか?」

「そんなわけがないだろ!」


 煽るような、というか実際にウルザの神経を逆撫でるドミナの言葉。剣闘士なんてものは女の中でも特に野生味が強い、気性の荒い者が辿り着くような職業だ。ウルザもそんな例に漏れず、カッカと烈火の如く怒っている。

 まあ、彼女がそこまで憤る理由も分からなくはないが……。


「ぷっぷー。ウルザってば格好悪いねぇ。どうせ、『お前はアタシに勝ったんだ、誇りを持って自由に生きろ』とか言ってたんでしょ?」

「フェレス!」


 顔を赤くさせるウルザの側でニヤニヤと笑いが抑えきれない様子なのは、猫獣人の剣闘士だ。フェレスと呼ばれた彼女は長い尻尾をくねらせて身軽に飛び退いた。

 フェレスの言葉は大体合っている。俺の頭突きで倒れ、試合に敗れたウルザは、舞台の真ん中で俺にそんな言葉を囁いた。もちろん、その声は客席まで伝わっていないだろうが。


「アタシは……! そもそもなんでせっかく自由民になれたのに、剣闘士になるんだよ!」


 納得がいかぬ、とウルザは再び吠える。


「なぜと言われても。俺は剣闘士の生き方が性に合ってるんだ。奴隷として使われるのは嫌だし、慰み者になるつもりもない」

「なな、慰み者って、お前……男がそんなこと言うんじゃねぇよ!」


 はっきりと理由を伝えると、ウルザはまるで生娘のように狼狽える。帝国の女たちは年中世代を問わず男子中学生みたいなテンションでいるから、この反応は少し意外だった。

 力量の差で圧倒的に女が上位に立つこの世界、社会の主役となるのは常に女だ。男は女の三歩後ろに付き従うのが良しとされ、高貴な家であれば詩歌や刺繍に興じることをの嗜みと認められている。

 かつて別の世界で男がそうであったように、女は男を所有物と見なすのだ。カゴの中の鳥とばかりに可愛がられるか、あらゆる能力で劣る存在と侮られるか。そのどちらでも、今の俺には耐え難い。

 それならばいっそ、互いに性別の垣根さえ越えて命のやり取りをする、この殺伐とした過激な世界に身を投じた方がいくらかマシだろう。


「男が自分で立てた約束守ったのよ。女がそれを受け入れないでどうするの」


 結局、ウルザを黙らせたのはドミナの言葉だった。それでも彼女は不満げだったが、流石に雇い主には逆らえない。そもそも、俺が彼女を実力で打ち倒したという事実は変わらないのだ。


「とにかく、今日は顔合わせだけ。貴女たちは臭いから汗を流してから宿舎に戻るように。特に明日試合がある人は早めに帰ってしっかり休むのよ」

「へーい」


 ぱんぱんと三対の手を叩き、強引に場を納めるドミナ。〈ソルオリエンス〉の面々も慣れた様子で、気の抜けた返事をして各々動き出す。ウルザも足元に落ちていた一枚布――トーガを掴むと乱雑に肩に掛けた。


「宿舎があるのか?」

「当然でしょ。檻の中で寝てるとでも思ったの?」


 纏めるような荷物も持っていない俺は、ドミナと共に一足先に剣闘士団の宿舎へ向かうこととなった。

 闘技場の長い通路を抜けると、久しぶりに見るカニスの街並みが鮮やかに飛び込んでくる。トーガを身に纏った獣人の女たちが陽光の下を闊歩して、時折荒々しい蜥蜴車が大路を駆けていく。木造の建物はどれも二階三階と高く積み上がり、どこもかしこも賑わいに満ちていた。


「外に出るのは久しぶり? 結構街並みも変わってるんじゃない?」

「そうだな……。前に見た時は、しっかりと眺める余裕もなかった」


 奴隷商人からこの町の興業主に売り渡された俺は、足枷を付けたままこの闘技場に運び込まれた。その時には不安と恐怖しか感じられず、町の様子など記憶にほとんどない。

 まるで懲役を終えて塀の中から出てきたような俺を見て、ドミナは肩を揺らして笑った。


「さ、落ち着いてる暇はないわね。貴方も〈ソルオリエンス〉の一員になったら、連戦連勝の男剣闘士から新入りに変わるのよ。今日からは戦うこと以外も考えなさい」

「善処しよう」


 ドミナに連れられ向かったのは、石造りの円形闘技場のすぐ側にある建物だった。年季の入った木造で、随所に補修を重ねた跡も見える。聞けば巡業剣闘士団や旅芸人、遍歴職人といった流浪の民が一時的に雨風を凌ぐために使われる施設だという。

 数十人が寝泊まりできるだけの部屋と、炊事場、上下水道もしっかりと整備されている。さらに裏手には広い庭もあり、そこで鍛錬に励むこともあるようだ。少し覗くと、年季の入った木の丸太が、人の代わりのようにいくつか並んで立てられていた。あれを相手に剣を打ち込んだり組み手を掛けたりするのだろう。


「とりあえず、この部屋で寝泊まりしなさい」


 団長自ら施設を案内してくれたうえ、最後に通されたのはベッドと小さなテーブルが置かれた質素な部屋だった。質素とは言ったのは物が少ない程度の意味でしかなく、年中ジメジメとしていた暗い牢と比べれば雲泥の差だ。まさかと思って振り返ると、ドミナはにこりと笑う。


「一人部屋なのか?」

「流石に、あの野獣どもと雑魚寝するわけにはいかないでしょ」


 そう言われてなるほどと思う。むさ苦しい女どもの中に若い男を一人投げ込むような者もいないだろう。自分で言っていて少し寒気がしてくるが、この世界の常識に当てはめればそれとそう違わない。

 ドミナは団長らしく、新入りの俺に対しても気を遣ってくれているのだ。ありがたく一人部屋を拝領することとする。


「〈ソルオリエンス〉はあなたを除いて13人の剣闘士以外だと、団長の私と、あとは料理人と医師がいるわ。医者とは夕食の時にでも顔を合わせるとして、とりあえず厨房に行きましょう」


 部屋に相棒たる剣と盾、わずかな替えの服を置いて、更に場所を移動する。

 向かった先は竈が並ぶ厨房だ。そこに入ると、すでに薪が燃える音がしていた。


「ケナ、ちょっといいかしら?」


 ドミナの声が響くと、すぐに朗らかな声が返ってくる。追って戸口から現れたのは、これまた図体の逞しい牛獣人の女だった。エプロンの上からでもはっきりと分かる巨乳を揺らし、垂れ目がちな目をこちらに向けた彼女は、あらあらと口を手で覆う。


「もしかして、この子が?」

「そうよ。新入りのウィリウス」

「ということは、ウルザは負けちゃったのねぇ」


 残念だわ、と恰幅のいい料理人は大仰に体を動かしてみせる。どうやら彼女はドミナから今日の試合のことを前もって聞いていたらしい。

 男の剣闘士が入団するという話も、さほど驚かずに受け入れた。


「彼女はケナ。〈ソルオリエンス〉の専属料理人よ」

「初めまして。ウルザちゃんに勝てるなんてどんな荒っぽい子かと思ったら、可愛い男の子じゃない」

「ウィリウスだ。よろしく」


 上から差し向けられた手は使い込まれた分厚い皮をしていた。彼女から見れば、俺だって可愛い男の子なのか。専属料理人と言われるよりも、バリバリ現役の剣闘士と言われた方が納得できる。


「男だけど今日からはウチの新入りよ。ケナも遠慮なく使ってちょうだい」

「そうねぇ。じゃあ、早速で悪いけど」


 牛獣人はふふんと鼻を鳴らす。ふと視線を下げて、彼女が手に鋭利な刃物を握っていることに気が付いた。数年剣闘士として揉まれた体が瞬間的に力を込める。

 身構える俺の警戒に気付いているのかいないのか。ケナはのんびりとした調子を崩さないまま、俺を厨房へと迎え入れた。

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