第05話「酒盛りと揚げ鳥」

 剣闘士というものは――自由も金もない奴隷はともかくとして、剣闘士団に属する者はとにかく酒を飲む。勝てば祝杯と称してその日の賞金を粗方溶かし、負ければ慰めという建前でなけなしの貯金を溶かす。

 獣人よりも遥かに劣る人間、更にか弱い男に負けた熊獣人の若き剣闘士ウルザもまた、気遣いという言葉を知らぬ仲間たちと共に街へと繰り出し、昼間から浴びるように酒を飲んでいた。


「ういぃ」

「ウルザがここまで羽目を外すなんて珍しいねぇ」

「ウルセェ。こんなの呑まなきゃやってられるか!」


 夕暮れ時に差し掛かり、流石に宿舎へ戻らねばドミナがうるさいと気付いた彼女たちは、伸びる影に追われるようにして帰路に就く。顔を真っ赤にさせて酒精の匂いをプンプンと漂わせたウルザは、ウィリウスの一撃を受けた時と同じかそれ以上に覚束ない足取りだ。そんな彼女を支える猫獣人のフェレスは体格差もあり、どちらがどちらに寄りかかっているのかも分からないような格好である。


「ほらほら、しっかり立ちなよ。寝たらわたしは置いて帰るからね」

「うるへー!」


 明らかに悪い酔い方をしてしまっている同僚に、フェレスは耳をぺたりと倒す。

 ともあれ、これが良い薬になるだろうと期待もしていた。

 ウルザは今年で22になる若い女だ。その身の上はフェレスも詳しくは知らないが、元々は北の方の出身だと聞いている。だが、どこでドミナと出会い、どういうやり取りの末にこの業界に入ってきたのかは分からない。

 とにかく、彼女はここ数年の間に破竹の勢いで勝ち星を重ね、その勇猛な戦いぶりと共に名声を上げてきた。新興に過ぎない〈ソルオリエンス〉が巡業先で立派な宿舎を借りられるほどの稼ぎを得ているのも、その大部分はウルザの働きだというのが、仲間内での認識だ。

 とはいえ、彼女は少々強過ぎた。あまりにも負けを知らぬが故に増長し、若さがそれに拍車を掛けた。最近は鍛錬にも身が入っておらず、それが一部の団員の顰蹙を買っているのも事実だった。

 頑丈すぎるその鼻っ柱は誰にも折ることができず、団内にも徐々に不穏な空気が蔓延しようとしていた矢先のことだ。新進気鋭の勇者と謳われたウルザが、まさか人間の男に負けるとは。


「はぁ、全く。酔っ払いは面倒臭いね」

「うぅ……。うっぷ」

「ぎゃーーー!? わたしに向かって吐かないでよ!」


 真っ赤を通り越して青くなるウルザに悲鳴をあげる。

 とにかく彼女もほとんど一方的な勝敗が付いてしまって、完全に勢いが落ちてしまったことに間違いはない。これでまた鍛錬を真面目にしてくれたら、言うことはない。


「ほら、着いたよ」

「うぃぃ」


 ほとんど這々の体で、フェレスとウルザは闘技場近くの宿舎まで戻ってきた。すでにほとんどの仲間は帰って、ケナの作る夕食をかき込んでいることだろう。延々とウルザの取り止めもない話を聞かされていたフェレスも、そろそろ腹が減り過ぎて倒れそうだった。

 彼女が玄関の扉の前に立った時、ちょうど良く内側から開かれる。珍しく気の利く仲間に驚くフェレスは、扉の向こうから現れた人影を見て尻尾を膨らませた。


「うわっ!?」

「うっ、酒臭いな……」


 彼女が驚いたのと同時に、扉を開けて出迎えたウィリウスも顔を顰める。その原因は十中八九、ほとんど潰れかかった熊のせいだろう。


「もう夕食の時間だぞ。どこに行ってたんだ」

「すぐ近くの酒場タベルナだよ。こいつが延々呑んだくれてただけ」


 呆れるウィリウスの服装は、闘技場で見た露出の多いものから変わっている。腰紐を結んだ前掛け姿は、古き良き家庭的な男そのままだ。


 ――なるほど。ちょっとムキムキすぎるかと思ってたけど、服装を整えれば意外と……。


 まじまじと見つめるフェレスにウィリウスは首を傾げ、宿舎の中へと二人を促す。屋内にはすでに美味そうな肉の焼ける匂いが立ち込めていた。薄い水割りのワインしか入っていないフェレスの腹が急激に悲痛な叫びを上げ始める。

 ドロドロに溶けかけた熊を引きずるようにして食堂へ向かったフェレスは、長机を囲んで大量の料理をがっつく仲間たちに迎えられた。


「おお、帰ってきたか!」

「遅かったな、フェレス!」


 面倒臭い奴ウルザを置いて早々に退散した裏切り者たちの白々しい声も、フェレスの耳にはほとんど届かない。彼女の敏感な嗅覚と丸い瞳は、彼女たちが囲むテーブルの上の皿に向けられていた。

 そこには、これまでの人生で見たことのないような手の込んだ料理が山のように盛られている。――より正確には、盛られていた。すでに半分以上が食欲旺盛な女どもの胃袋に収められており、今なお猛烈な勢いで消えていっている。


「なにこれ!? なんなの、このご馳走は!」


 そんなものが目に飛び込めば、もはや眠りこけた熊など意識の外に弾き出される。ウルザを放り投げたフェレスは、口いっぱいに肉を詰め込んでいる仲間たちを押しのけてテーブルに体を捩じ込む。

 そこへウィリウスが新しい皿と食器を持ってやって来た。


「俺の入団祝いということで、ドミナが肉を奮発してくれたらしい」

「へぇえ。珍しいこともあるんだね」


 適当に相槌を打ちつつも、フェレスの目は食卓に釘付けだ。早速鶏肉の足を確保する。

 体が資本の剣闘士なので、ケナも屈強な肉体のための食事を工夫して用意してくれる。しかし〈ソルオリエンス〉も無限に金があるわけではなく、むしろ節約しなければならないほうだ。大抵の食卓に並ぶのは芋か麦粥、そして魚醤である。

 たまにこうして肉が出てくることもあるが、これほど工夫を凝らした料理は初めてだ。


「美味いか? ちゃんと野菜も食べろ」

「うみゃぁ」


 口いっぱいに鳥の脚を頬張りながら、フェレスは思わず涙ぐむ。なんという奥深き味わいか。とても量と栄養だけを考えたケナの大鍋料理とは思えない。そこいらの有名な酒場や料理屋でも出てこないような、珍しい料理ばかりだ。

 表面はバリバリとした食感なのに、中はじゅわっと熱い肉汁がこれでもかと溢れ出てくる。こんがりとしていて香ばしい。鳥の肉に何かを纏わせて油で揚げたのだろうか。揚げ鳥は食べたことがあるし好物だが、これはさらに奥深い味がして驚きに満ちている。


「すげぇだろ。これ、ウィリウスが作ったらしいぞ」

「えええっ!?」


 隣で満足げに腹をさすっていた仲間のひとりがとっておきの秘密かのように囁く。

 フェレスが耳を立てて驚くと、彼女はニヤリと笑って卓上に目を向けた。


「こいつを掛けるともっと美味い」


 そう言って指し示したのは、黄色い果実。レモンだ。その酸味を想像し、今の口の中に掛け合わせたところを思い浮かべるだけでも、唾液が溢れ出す。

 辛抱堪らなくなったフェレスはレモンの実を奪い取り、力任せに握りつぶす。


「せいっ」

「ぎゃあああああっ!? おま、目に入っただろうが!」


 仲間の悲鳴も遠ざかり、彼女の意識は皿の上で輝く鳥にだけ注がれる。


「はむっ」


 サクッ、ジュワァ。

 溢れ出す肉汁。くどくなりがちな脂を、すかさず爽やかな酸味が押し流す。臭みが隠しきれていなかった魚醤の気配も、程よいアクセントに変わっている。

 飲み込むことすら惜しいほどの旨味の爆発に、フェレスは思わず尻尾を揺らした。


「ウィリウスって料理人だったの? 普通にそっちの道に進めたでしょ」


 止まらない、止められない。大皿に山と盛られた揚げ鳥があっという間に無くなっていく。

 大喰らいの剣闘士たちを満足させる絶品料理に、名残惜しく口の周りを舐めながらフェレスはしみじみと言葉を漏らす。これほどの料理が作れるのならば、わざわざ剣闘士などにならずとも料理人として大成できるはずだ。なぜこんな過酷な道を、男の身で選んでしまったのか。

 美味いだけに疑問が尽きない。不思議そうに耳を倒すフェレスに答えたのは、背後からやってきたウィリウス本人だった。


「料理人は性に合ってない。それだけだよ」

「えええ……?」


 なんとも理解し難い回答だ。

 全く不思議な男が入ってきたものだ、とフェレスは骨にこびり付いた肉を舐め取りながら思う。ともあれ、おかげでこんなに美味しいものが食べられたのだから、彼女としては役得であった。


「ところで、あいつはどうすればいいんだ?」


 思わぬ絶品料理の確かな満足感に舌鼓を打っていると、ウィリウスの困ったような声がした。フェレスたちが振り向くと、そこには床に転がって眠る大熊がいた。


「ほっといていいよ。そのうち誰かに踏まれて起きるでしょ」

「丈夫さだけは一級品だからね」

「ウィリウスに踏まれたら喜ぶんじゃねぇか? あっはっはっ」


 慈悲も容赦もない辛辣な仲間たちの言葉は、共同生活を送る剣闘士たちだからこその遠慮のなさなのだろう。浴びるほど酒を飲んだ上に前後不覚になるほど酔い潰れたせいで、高い金を立て替える羽目になった女の私怨も多少は含まれているが。


「おい、ウルザ。寝るなら部屋に戻ったほうがいいんじゃないか」


 腹も落ち着き、テーブルの各所では酒盛りも始まった。

 そんななか、ウィリウスは見かねて床に転がっているウルザに声をかけている。男のくせに荒っぽい奴だと思っていたら、存外気の回るところもあるようだ。彼がチョンチョンとウルザにちょっかいをかけているのを見て、フェレスは少し認識を改めた。

 泥酔しきったウルザは不機嫌そうに目を開く。騒がしい食堂では安眠も望めないだろう。彼女はウィリウスを杖のようにして寄りかかり、よたよたと寝室へと歩いて行く。


「…………うん?」


 フェレスたちが、ウィリウスがなかなか戻ってこないことに気が付いたのは、それからしばらく後のこと。宴もたけなわになり酒のペースも落ち着いてきた頃のことだった。


「あれ、もしかして悪酔いした女と男を部屋で二人にするのはまずいんじゃねぇの?」

「ダメに決まってるだろ!?」

「入団初日に男が食われる!」

「私のウィリウスが!」


 気がつくと同時に騒然となる一同。蜂の巣をつついたような大騒ぎをして、彼女たちは床板を踏み鳴らして寝室へと走り出した。

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