第37話 文化祭までに

「起立! 礼!」

「よろしくお願いいたします!」


 8月21日、月曜日。村上光陽高校の音楽室では、9日ぶりに吹奏楽部員の元気な声が響いた。12日の吹奏楽コンクール県大会本選で、惜しくも支部大会進出を逃した村上光陽高校吹奏楽部は、8日間のお盆休みを経て今日から練習再開となった。次なる目標は、9月9日・10日の文化祭のステージである。


「まず初めに、文化祭までのスケジュールを伝えます」

 部長である友梨ゆり先輩の凛とした声が、久々に響く。

「詳細はクラウドのカレンダーを見てもらいたいんですが、文化祭当日を除き、土曜日は午前中のみ、日曜日の練習はありません。それから、次期部長選挙は9月1日、始業式の日の午後に決まりました」

 音楽室内が俄かにざわつく。いよいよ、世代交代の時が近づいてきた。

「新部長は2年生の中から選出します。立候補者1名だった場合は、信任投票です。立候補者が2名以上、もしくは誰もいなかった場合は、選挙により選出します。部長職は大変ですが、とてもやりがいのある役職です。是非、立候補者が出ることを願ってます」


 部長からのアナウンスが終わると、解散してパート練習になった。誠也せいやたちは楽器を持ってパート練習会場に移動する。


「まりん先輩、部長選、立候補しないんですか?」

 えり子が前を歩くまりん先輩に話しかけると、まりん先輩は振り向きもせず、鼻で笑う。

「は? やるわけないじゃん。私が部長になったら多分、恐怖政治でみんな退部するよ?」

「それって、言うこと聞かない部員を、片っ端からくすぐり攻撃して失禁させるとかですか?」

 誠也が笑いながら言うと、まりん先輩は急に振り返る。

「もう勘弁してよ~! 今でもホント悪いと思ってるから」

「そう言えば、報酬のパンツも未だ見せてもらってないですよね~」

 誠也が尚も意地悪を言う。

「あれは、ほら、事前予約制だって言ったでしょ? 私も色々と準備があるんだから……」

「じゃ、『明日、お願いしま~す』ってLINEすればいいんですか?」

 誠也のいたずらっぽい笑顔に、まりん先輩はあからさまに顔をしかめながらも、律儀に答える。

「お、おう……。約束は絶対に守るよ」

 それを見て苦笑する誠也の横で、えり子が更に茶々を入れる。

「お~! 男同士の硬い約束ですな」

「誰が男だ! 胸で人を判断するな!」

 まりんが声を荒げると、えり子は怯えたフリをする。

「あ~、くすぐりだけは絶対に止めて~」

「二人とも懲りないなぁ」

 誠也は呆れて大げさにため息をつく。

「ね。私が部長になったらどうなるかわかったでしょ?」

 そう言ってドヤ顔をするまりん先輩に、誠也は苦笑していった。

「……そうですね」


 個人の音出しが終わると、パートリーダーの直樹先輩の指示の下、全員で基礎練習から始めた。久々の11人でのパート練習。このメンバーで練習を行うのもあと3週間ほどだ。文化祭が終われば、3年生は引退する。部長は恐らく、赤坂先輩になるのだろうか。そして、このトランペットパートのパートリーダーも、まりん先輩、拓也たくや先輩、陽菜ひな先輩のいずれかになる。

 いよいよ世代交代の時期が迫る中、どこか落ち着かない誠也だった。


 ♪  ♪  ♪


 23日水曜日。今日も一日中、パート練習だった。誠也たちトランペットパートでは、午前中は個人練習、午後からパートで楽曲を合わせる予定だ。


「あ、雨降ってきた」

 練習に集中していた誠也は、隣に座るえり子の声につられて窓の外を見る。朝は晴れていたはずなのに、いつも間にか雨模様だった。時計を見ると10時過ぎ。小一時間ほど集中して吹いていたようだ。

「ひまりんからLINE来てるよ~」

「あ、ありがと」

 えり子に言われてスマホを開くと、バンドメンバーのグループLINEに陽毬ひまりからメッセージが届いていた。

【ちょっと打ち合わせしたいことがあるんだけど、昼休みの終わりに集まれますか~?】

 誠也は大道具係の仕事で確認することがあったため、少し遅れて参加すると伝えた。


 

 12時45分。誠也を除くバンドメンバーは音楽室に集まった。

「ここで話すのは……ちょっと気が引けるよね?」

 えり子が周囲を見渡して言う。

「そだね。移動するか。フルートのパー練の教室行こう」

「りょーかい! あ、ついでに楽器持って行こ」


 陽毬たちは音楽室の下のフロアへ移動した。この時間ならまだ誰もパート練習の教室には移動していないはずである。


 しかし、教室に着くと問題が発生した。一人の男子生徒が席に着いて、何やらタブレットを操作していた。

「あれ、誰かいる」

 先頭を歩いていた陽毬が、教室の前で立ち止まる。

「上履きのライン、青だから2年生の先輩だね。どうする?」

 遥菜はるなが不安そうにのぞき込む。

「ちょっと声かけてみるか」

 陽毬が教室に入ろうとすると、萌瑚もこが止める。

「大丈夫? フルートの先輩、呼んだ方が良いんじゃない?」

「大丈夫よ、教室の使用許可とってるんだし。ひまりんに任せて!」

 そう言って、陽毬は教室のドアを開けて、入っていく。他のメンバーも恐る恐る後に続く。


「あのぉ~、お勉強中すみません」

 陽毬が声をかけると、男子生徒は操作していたタブレットから視線を上げ、驚いたような顔をしている。

「2年生の先輩ですね? お勉強中にお邪魔しちゃってすみません」

 陽毬が営業スマイルで声をかけると、男子生徒は少し動揺したようだ。

「あ、いや。えっと、何か?」

 陽毬はお得意の「アイドルモード」全開で続けた。

「私は~、吹奏楽部1年生の、浅野陽毬ひまりと申します。突然、話しかけちゃってすみませ~ん」

 突然現役アイドルに話かけられた男子生徒は、目を白黒させている。

「あ、いや、それは良いんだが……」

「実は陽毬、先輩にお願いがあるんですけど、聞いてもらえます~?」

「え? お、お願い?」

「はい。実は、私たち吹奏楽部で、ここの教室の使用許可をとっているんです。あっ、もちろん、先輩のお勉強の邪魔をするつもりはないんですよ! でも、もし、可能でしたら、譲って頂けないかなぁ~と思いまして」


(なるほど、そう言う風に持っていくのね)

 えり子は陽毬の話し方に感心しながら、先の展開に期待した。


「あ、そうだったんだね。俺の方こそ、てっきり空き教室だと思って、使ってたから、悪かったよ」

 男子生徒はそう言って、急いでカバンにタブレットをしまって立ち上がった。陽毬を前に明らかに動揺している男子生徒の様子を見て、えり子は笑いをこらえるので必至だった。


「先輩、譲っていただけるんですか?」

 陽毬がわざとらしく、笑顔をパッと咲かせる

「もちろんだよ!」

「ありがとうございます!」

 陽毬はいつだかの自己紹介の時と同じように、深々と頭を下げた。


「いやいや、そんな気にしないで」

 その男子生徒は、逃げるように教室の出口に向かった。

「あ、先輩! 待ってください」

「え? 何か?」

 男子生徒は、驚いて振り返る。

「よろしければ、先輩のお名前、教えてもらえませんか?」

「え? 俺の名前?」

「はい!」

 これにはえり子も驚いた。名前を聞く意図が分からない。


「えっと、早坂冬真とうまだけど……」

 男子生徒が名前を名乗ると、陽毬はまた笑顔を咲かせる。

「とーま先輩! ありがとうございます。陽毬、覚えておきますね」

「あ、どうも」

 冬真先輩は明らかに緊張している様子で、目が泳いでいる。

「とーま先輩!」

 陽毬はそんな先輩の緊張を弄ぶかのように、笑顔で名前を呼ぶ。

「あ、はい!」

「とーま先輩、とってもお優しいですね! 私たちがいない時は、全然この教室使って構いませんので」

 そう言って、ダメ押しとばかりに営業スマイルを振りまく。

「そ、そうですか」

「はい! 陽毬また、とーま先輩にお会いしたいですから」

 先輩が顔を赤らめていくのをえり子は見逃さなかった。

「じゃ、また!」

 そう言って、先輩は教室を出て行った。


「とーま先輩、ありがとうございました!」

 陽毬は駆け足で去っていく先輩に聞こえるように、大きな声で礼を言った。


「ふん、堕ちたね。ちょろいな~」

 先輩の足音が去っていくと、陽毬は先ほどまでの営業スマイルとは全く違う、不敵な笑みを見せた。

 その瞬間、皆一斉に笑い出す。

「さすが、アイドル!」

「あの先輩、完全にひまりん推し、確定だね!」

 陽毬が誇らしげにVサインをする。

 

「ねぇねぇ、なんで名前聞いたの?」

 えり子が素朴な疑問を口にすると、陽毬は手の内を明かしてくれた。

「あぁ、あれね。理由は二つあってね。一つは『先輩』って呼ばれるより、名前、しかも下の名前で呼ばれた方がドキドキするじゃない?」

「うん、うん、なるほど! もう一つは?」

 えり子が興味津々で続きを促す。

「もう一つはね、しっかり名前と顔を覚えておくの。それで、この次にどこかでまた会ったときに、『あの時のとーま先輩ですよね?』って声かけると、めっちゃ喜ばれるよ」

「ふぉ~! すごい!」

 ひょんなところで陽毬のアイドルテクを目の当たりにした一同は、大いに感心した。

「ひまりんはそのテクで何人の男を堕としてきたの?」

 柚季ゆずきが意地悪そうな笑顔で聞くと、陽毬はアイドルモードで答える。

「堕とすとか、私、わかんな~い」

 それを聞いて、また皆で爆笑した。


「遅れてごめん」

 誠也が大道具係の作業を終えて教室に入って来た。

「ちょうど良かった。これから本題に入るところよ」

 陽毬はそう言いながら手元のタブレットを開いた。

「生徒会からメールが届いたんだけどさ、文化祭のスケジュールが送られてきたのよ」

 陽毬が開くファイルを皆で覗き込む。

「私たちのバンドのステージが11時半から12時。その後12時から軽音部で、13時からが吹部」

「ふむふむ」

 陽毬の説明にえり子が頷く。

「それでね、ドラムとかアンプを軽音部から借りられないかな~って。そしたらお互い、ステージの転換の手間と時間も省けていいでしょ?」

「確かにね~。それに、吹部うちのドラムセット使うのもなんか気が引けるな~と思ってたんだよね」

 ドラムの柚季が同意する。

「だよね。それでね、だれか軽音に知り合いいないかな~と思って」

 陽毬がそう問いかけると、遥菜が勢い良く手を挙げた。

「はい! 私、軽音に友達いるよ~」

「よかった~! じゃぁ、交渉しに行かない?」

 陽毬の表情が明るくなる。

「いいけど、ひまりんも一緒に行ってくれる?」

 遥菜が不安そうな顔をする。

「もちろん! 営業スマイルで頑張るよ!」

 先ほどの先輩とのやり取りを見ていた誠也以外の面々は、安心して陽毬に交渉を任せることとした。


「さて、もう一つの相談なんだけど」

 陽毬がそう切り出すと、メンバーの視線が再び陽毬に集まる。

「本番直前にスタジオを予約したいなと思って」

 

 現在、音楽スタジオ「Galaxyギャラクシー」のオーナ、ヤマさんのご厚意で、前日までに予約が埋まっていないときは無料でスタジオを使わせてもらっている。それは大変ありがたいことだが、スタジオが使えるかどうかは前日の夜までわからない。また、使える頻度も週に1回程度と低く、金曜日や土曜日は使える可能性がまず無い。


「本番が日曜日だからさ。やっぱ前の日辺りに練習しておきたいけど、土曜日は予約しないと、スタジオ使うのムリだと思うんだよね。それで、直前くらいは予約したいと思うんだけど、どうかな?」

 陽毬の提案に萌瑚が問う。

「もちろん賛成だけど、ちなみに正規で予約するといくらかかるの?」

「部屋にもよるけど、1時間当たり3千円から4千円くらいかな」

 陽毬がそう答えると柚季が驚く。

「ってこと、いつも通り3時間使うと1万2千円くらいかぁ。私たち、随分贅沢させてもらってたのね!」

「そうね。私は賛成よ!」

 萌瑚が答えると、他のメンバーも陽毬の提案に賛成した。

「ありがと! 5人で割ると一人当たり……」

 陽毬がスマホで計算を始めると、奏夏かなが口を開く。

「なんで5人で割るの? 私も入れて」

「あぁ、もちろん、俺も」

 誠也もそれに続く。

「誠也くん、さかなちゃん、ありがとう! じゃ、7人で割ると……一人当たり1700円くらいね」

「おっけー。で、いつ予約する?」

 柚季が問うと、陽毬が答える。

「確実に抑えたいのは、前日の夜よね。土曜日だから空きがあるとは思えないし」

「さんせーい」

 一同が賛成し、前日夜のバンド練習が決まった。

 


 夕方。誠也とえり子は地元の駅の改札口を抜けて、階段を降りる。家路を急ぐ通勤客をよそに、誠也たちはのんびりと歩いていた。

「もう団地祭りの時期なんだね~」

 えり子が駅前の掲示板に貼られているポスターを見て呟く。誠也たちの住む若葉町の団地祭りは、毎年8月最後の週末に行われる恒例イベントだ。屋台の数も多く近隣の住民も集まり、大いに賑わう。

「祭りかぁ。良いな! 行くか?」

 誠也が何気なく誘うと、いつもなら満面の笑みで喜びそうなえり子が、微妙な表情になる。そのえり子の表情を見て、誠也はハッとした。

 地元の祭りなので当然、中学校時代の同級生と会う可能性が非常に高い。中学校時代の同級生ということは、当時の誠也とえり子の間に起こった様々な出来事を知っているということだ。恐らくえり子は誠也と祭りを楽しんでいるところを、同級生には見られたくないのだろう。

 

「あ、ごめん。俺……」

 誠也が無神経に誘ってしまったことを詫びようとすると、えり子のひまわりのような笑顔に遮られた。

「みかんとゆいも誘っていい?」

 みかんは二人にとっての良き理解者であり、唯も中学校時代、同じトランペットパートで楽器を吹いた仲間だ。誠也にとってもちろん断る理由はない。

「え? あ、あぁ。もちろん良いけど……、俺、いない方が良いよな?」

「そんなことないよ! でも、まだちょっと……ね!」

 そう言って、えり子はウインクする。

「ごめん」

「片岡は謝らなくていいの。これは、私の問題!」

 誠也は何と言っていいかわからず、黙ってえり子の少し後ろを歩く。

 

「団地祭りってことはさ、もう8月も終わっちゃうんだね~」

 えり子が感慨深げに呟く。

「夏休みが終わっちゃうと思うと、寂しいよな」

 誠也が同調すると、えり子は笑顔で俯いている誠也の顔を覗き込む。

「でも、もうすぐ9月9日。私の誕生日だよ!」

 えり子の百面相に誠也も思わずつられて笑う。

 

「えり子の誕生日、バンドの練習になっちゃったな」

 誠也がそう言うと、えり子はいつものいたずらっぽい笑顔を見せる。

「あれ? もしかして片岡、私の為にホテルのディナーとか予約してた?」

「あ、いや、ディナーまでは……」

 誠也は気まずそうに目を逸らす。

「え? ってことはホテルだけ? いや~ん、片岡のえっち!」

「あのなぁ~!」

 からかわれて声を荒げる誠也に、えり子は急に真面目な雰囲気で話し出す。

「ねぇ、片岡」

 突然の変化に誠也は若干うろたえる。

「な、何?」

「片岡に2つ、リクエストしていい?」

 えり子が微笑みながら誠也に問いかける。

「……俺に叶えられることなら」

 誠也は少し緊張して答える。

「どうかな~」

 えり子はそう言って笑いながら続ける。

 

「一つ目は、9月9日になった瞬間に、私に『おめでと~』ってLINEして欲しいの」

 何をリクエストされるのかわからず身構えていた誠也は、拍子抜けした。

「もちろんいいけど……、リクエストってそんなんでいいのか?」

「うん。まずはそれで。あと、もう一つ」

 そう言って、えり子は立ち止まって誠也の方を向く。誠也は再び緊張し、立ち止まる。

 

「……もう一つは?」

 誠也が恐る恐る聞く。

「これは、前にもお願いしてるんだけど……」

 誠也が唾を飲み込み、えり子の続きを待つ。

 

「10日の文化祭のステージ、成功したら、ご褒美ちょうだい」

 

 そう言って、えり子はいつもの笑顔に戻る。しかし、誠也の表情は緊張したままだった。

「あれ~? ダメなの?」

 えり子がわざとらしく首をかしげる。

「いや、ダメじゃないけど。ご褒美って……」

 誠也が言葉を詰まらせていると、えり子は再び歩き始める。

 

「それは、片岡に任せるわ~」



※このお話は、著者の拙作「開け! 異世界への扉 第11話 8月23日(水) 扉の鍵」とリンクしております。そちらも合わせてご笑覧賜れば幸いです。

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