第38話 あふれる笑顔

 8月26日、土曜日。夕方、誠也せいやは商店街近くの広場に向かっていた。今日はえり子たち中学校時代の同級生と地元の祭りを楽しむ約束になっている。

 待ち合わせ場所として指定されていた商店街のスーパー前に着くと、他の皆はまだ到着していない様子だった。時計を見ると、集合時間10分前。皆地元だから集合時間に合わせて家を出ればよいので、恐らくギリギリに来るのだろう。

 子どもたちが引く山車だしがメイン会場に戻ってきたようだ。「報酬」のお菓子をもらおうとする子どもたちが、本部テントの前に列を作る。いつもの広場からは想像もできないほど、今日は活気づいている。そんな様子を眺めていると、誠也自身も気分が高揚してくる。


「あ、片岡! 久しぶり~」

 不意に声をかけられ振り向くと、中学校時代の同級生で、当時トランペットパートのパートリーダーを務めていた白井 ゆいだった。

「おぉ、唯! 久しぶり!」

「元気だった~? 同じ団地に住んでても全然会わないよね~」

 中学3年の時、誠也は唯と同じクラスだったため、夏に部活を引退した後も唯とは毎日顔を合わせていた。それが中学を卒業してからは今日まで一度も会わなかった。たった半年程度だが、お互い懐かしさを感じ、暫し思い出話に花が咲いた。


「気まずくならないように先に聞いておくけど、えり子とはりを戻したの?」

 それまで明るく話をしていた唯が、急に声を潜める。

「あぁ、いや……」

「ごめん、聞いちゃいけなかった?」

 気まずそうな顔をする唯に、誠也は笑顔で答える。

「いや、全然。そう言う気まずい感じじゃないから大丈夫だよ」

「そっかぁ~。それにしても片岡とえり子が一緒の高校行くって聞いたときは、びっくりしたよ~」

「そりゃ本人たちが一番驚いてたけどね」

 そんなやり取りをしていると、唯が更に声を潜めて誠也の耳元で呟く。

「もしかして片岡って、今、結奈ゆいなと付き合ってる?」

 結奈とは誠也たちの一つ下の後輩で、同じトランペットパートの松岡結奈のことである。誠也はしかめっ面で唯に言う。

「いや、それはないって。唯までそんなこと言って……。もしそうだとしたら、今日このメンバーで祭りに来ないだろ」

「それもそうね。めんごめんご~」

 そう言ってお道化る唯に、誠也は渋い顔のまま一瞥をくれる。


「お待たせ~! あっ、唯、久しぶり~」

 ちょうどそこに、えり子と「みかん」こと美香みかが現れた。二人とも浴衣姿でのお出ましだ。

「あ、えり子、みかん! 久しぶり~! 私も浴衣にすればよかった~」

「はにゃ~! 唯、髪伸びたね~」

「そう言うえり子だって!」


 久々の再開の挨拶を交わした後、早速4人は出店の広がるメイン会場に入っていった。まだ明るい夕方の広場。中央には大きなやぐらが立てられ、櫓から会場の四方に伸びる提灯には、早くも明かりが灯っていた。その提灯の下を4人は、久々の再会による高揚感も相まって足取り軽く進んでいく。


「そー言えば、唯の高校って、今年のコンクールは?」

 えり子が唐突に唯に質問する。

「おかげさまで、本選まで行ったよ。B編だけどね~」

 唯の高校は、「B編成」と呼ばれる30名以下の小編成の部門で出場したらしい。

「はぎゃ! 焼きそば! 食べた~い」

 えり子は既に、ちょうど通りかかった焼きそばのブースに目を奪われていた。

「人の話を聴け! 自分から聞いてきたくせに~」

 そう言って大げさにため息をつく唯に、みかんが肩を叩きながら慰める。

「もう忘れたの? えり子だからしょうがないよ」

 みかんのフォローになってないフォローに、誠也もため息をつく。


 午後5時を過ぎ、ちょうど小腹も減ってきたタイミングであったため、結局4人は焼きそばを購入。広場の片隅のベンチに座って食べることにした。

「今年、若葉中もA編で本選行ったんでしょ~? すごいよね~」

 みかんが笑顔で話を振る。この4人が集まれば、必然的にそのほとんどを吹奏楽の話題が占める。

(相変わらずだな)

 誠也は当時と変わらない3人のやり取りを聴きながら、懐かしさからくるその心地良い安心感に、暫し心を委ねていた。


「何か、飲み物も買って来ればよかったね~」

 そう言いながら、えり子は満面の笑みで焼きそばを頬張る。食べ物を食べているときのえり子は、いつも一番幸せそうな顔をする。

「あ、入口の方にラムネ売ってたよ」

「じゃ、次、ラムネ行こう!」


 

「……どう考えても、そんなに食えないだろ」

 ラムネを目指して再び出店を巡っていた一行であったが、お店を半分ほど巡ったところで、えり子の手にはお好み焼き、焼き鳥、冷やしきゅうり、タコ焼きが乗っており、その他に誠也は、えり子の買ったじゃがバターとキャラクター袋に入った綿あめを持たされていた。

「とりあえず、一旦座ろうか」

 唯が提案するが、会場に集まる街の住民は時間を追うごとに増え、既にベンチは満席だった。

「しかたない、一旦、こっち行こうか」

 みかんを先頭に歩き、一度近くの建物のエレベーターホールに身を寄せた。考えることは皆一緒で、この場所も混雑はしていたが、とりあえず壁際に立ち止まることが出来た。


「タコ焼き、どうぞ~」

 えり子が皆にトレーを差し出す。

「あ、ありがと~」

 誠也もありがたく頂く。

「それにしてもすごい人出ね。なんだか年々増えてる気がする」

 エレベーターホールは建物の両サイドから通り抜けられる構造になっている。その間を次々と広場へと抜けていく人たちを目で追いながら、みかんが呟く。都心から電車で30分程度のこの街は、近年マンションの建設が相次ぎ、人口がどんどんと増えているようだ。

 誠也たちの目の前を、ヨーヨー風船を持った子どもたちが走り抜けていく。

「少子化とは無縁の街よね」

 先ほどのみかんの話に相槌を打つように唯が言う。

「ふわぁ~、私もヨーヨーほひぃ~」

 お好み焼きを頬張っていたえり子が、子どもたちを見て目を輝かせる。

「おいえり子、人に指を差すな。それと口に物が入ってるときにしゃべるな」

 誠也がたしなめると、横で唯が笑う。

「何か、片岡ってお母さんみたいね」

「……せめてお父さんにしてくれ」


 結局えり子は、綿あめ以外の全てを幸せそうな笑顔で平らげた。

「良く食えるなぁ~」

 えり子の大食いは承知の誠也も、改めて感心する食欲だ。

「見て~、胃が出た」

 そういってえり子は浴衣の上からお腹をさすって見せてくるえり子に、誠也はため息をつくと、唯がいじわるそうな笑みを浮かべる。

「えり子、胸よりお腹の方が出てるんじゃない?」

「うぎゃ~! 唯~!」

 からかう唯を、えり子は野犬の様に唸って睨む。

「はいはい、ケンカしない。さて、そろそろ広場に戻りますか」

 みかんの声をきっかけに、4人はエレベーターホールから広場側の出口に向かった。


「はにゃ~!」

 建物から広場に出た瞬間、えり子は感嘆の声を上げて立ち止まる。辺りは日が落ちてすっかり暗くなっていた。広場に響く盆踊りの曲と太鼓の音。中央のやぐらの最上段には威勢よく太鼓を叩く男性。やぐらの中段と周囲では盆踊りを踊る人々の輪が広がる。煌々と輝く提灯の明かりの下、子どもたちが持つ光るヨーヨーの鮮やかなLEDが瞬く。そして広場全体が沢山の住民たちの笑顔であふれている。この街が一年で一番活気づく瞬間だ。

「すごい盛り上がりだな~」

 誠也も思わずその光景に目を見張る。

「よし、私たちも楽しまなきゃ! 今度はさっきと反対側から廻ろうか!」

 みかんを先頭に4人は再び出店に沿って歩き始めた。


「ねぇ、片岡~。綿あめちょーだい」

 誠也の隣をカランコロンと下駄の音を響かせながら歩くえり子が、そう言って誠也に持たせていた綿あめに手を伸ばす。

「え? まだ食うのか?」

 驚く誠也を横目に、えり子は満面の笑みで綿あめの袋を開け、食べだす。

「うに~、綿あめは別腹~」

「あぁ、そーかい。食べるの夢中になって、はぐれるなよ」

 誠也は口では冷たくあしらいながらも、久々にこんなに楽しそうにしているえり子を見て、誠也自身も自然と笑みがこぼれた。

 

「うにゃ~! みんな待って、あれ!」

 えり子が声を上げ、前を歩くみかんと唯が立ち止まって振り返る。

「まだ何か食べたいの?」

 目を丸くする唯に、えり子はひまわりのような笑顔で答える。

「金魚すくい~! はい、片岡、これ持ってて」

 そういってえり子は食べかけの綿あめの袋を誠也に預け、早速金魚たちの泳ぐビニールプールに駆け寄る。

「誰よ、今日、幼稚園児連れてきたの!」

「大丈夫よ唯、今日はお母さん来てるから……」

「……だから、せめてお父さんにしろって」

 

「にゃ~! 逃げないで~」

 3人がえり子の後を追って出店の前まで来ると、えり子は既にポイを片手に真剣な表情で金魚を追っていた。

「もげ~! 破れた~。おじちゃん、もう1回!」

「あいよ、二百円ね」

 えり子は首から下げているポーチから二百円を払い、新たなポイを受け取る。

「ほどほどにしておけよ」

 誠也があきれ顔で言う。

「うじ! 今度は頑張る!」

 早速、えり子は狙いを定めて金魚を追いかける。

「こっちの子、ねらい目かも」

「あー、もっとゆっくり! 乱暴にすると破けちゃうよ」

「おい、えり子。袖が水に着きそうだぞ。気を付けろ」

 初めは見守っていた3人も徐々にえり子へアドバイスをしながら一緒にエキサイトしていく。

「よし、行ける!」

 真っ黒い金魚がするりとポイからお椀に入る。

「やった~!」

 えり子は大喜びするが、まだポイは破れていない。

「まだいけるよ!」

 いつの間にか唯の方が真剣な眼差しだ。

「こっちこっち、この赤い子!」

 みかんが水槽の壁際にいる金魚を指差して誘導する。

「ほえ~、待って~ 金魚ちゃん!」

「よし、今だよ!」

 果たして赤い金魚もするりとお椀に入り、えり子が2匹の金魚をゲットしたところで、ポイが破れた。

 金魚の入ったお椀を店のおじさんに渡すと、持ち帰り用の袋に移し替えてくれた。

 

「あ~、えり子、浴衣の袖びしょびしょ~!」

 みかんが指をさして笑う。

「うじ~。でも、すぐ乾くよね」

 えり子はご満悦の表情で、戦利品である金魚を目の前にかざす。小さな袋の中で、赤と黒、2匹の小さな金魚が泳いでいる。

「えり子、その金魚、どうするんだ?」

 金魚の行く末を案じて誠也が問うと、えり子は笑顔のまま答える。

「え? うちで飼うよ~。まさか食べると思った?」

「まぁ、えり子なら食べかねないと……」

「ひど~い!」

 ふくれっ面をするえり子に、3人とも笑った。


 再び4人は歩き始めた。出店を覗きながらのんびり歩いていると、不意にえり子が立ち止まる。

「あれ? どうした?」

 唯が怪訝そうにえり子を見る。

「あ、ごめん、唯。片岡と先に行ってて~」

 そういってえり子は突然、みかんの手を引いて行ってしまった。

「え? どうしたんだろ、急に」

 唖然とする唯に、誠也も怪訝そうにえり子たちの消えて言った方向を目で追う。

「なんだろ、トイレかな?」

 先に行ってろと言われても、この人混みでむやみに動いてもはぐれてしまう。どうしたものかと考えていると、不意に前方から声をかけられる。

「あれ? 唯ちゃんと誠也くんじゃない?」

 誠也がその声に反応して顔を向けると、中学校時代の吹奏楽部員、山口ひかりと川崎璃子りこだった。

「あぁ、ひかりちゃん、りこちゃん! 久しぶり~」

 先に反応したのは唯の方だった。誠也も久々の再開に笑顔を作る。

「元気、元気~! 懐かしいね~。あれ~? 今日は二人でデート?」

 璃子が屈託のないような笑顔で二人を交互に見る。

「いや、さっきまでみかんとえり子がいたんだけど、はぐれちゃって」

 誠也が答えると、ひかりが意味深な笑顔になる。

「あれ? じゃぁ、誠也くんとえりちゃんはまた縒りを戻したのかしら~」

 ここに来て誠也は、えり子が直前にはぐれて行った意味を理解した。ひかりは当時から時折嫌味な言動をとることがあり、えり子は彼女を快く思っていなかったのだ。

「まぁ、その辺はご想像にお任せします」

 誠也も感情の無い営業スマイルで適当に受け答えする。

「そんじゃ、またね~」

 ひかりと璃子は、手を振りながら去って行った。律儀に手を振り返す誠也の横で、唯は顔に笑顔を張り付けたまま呟く。

「相変わらず嫌味な子ね。えり子がいなくなった意味が分かったわ」

「ホントにな」

 ひかり達が見えなくなると、誠也はえり子とみかんにLINEをして、出発点のスーパー前に再集合することにした。

 

「突然いなくなるからびっくりしたよ~」

 えり子と再開するなり、唯はしかめっ面をする。

「ごめ~ん。どうも私、ひかりちゃん苦手で……」

「まぁ、気持ちは分かるけどね」

 それから4人は暫らく広場を一巡し、たまたま空いたベンチで暫し思い出話に花を咲かせたのち、解散となった。

 唯とは広場で別れ、その後途中でえり子とも別れる。最後は誠也とみかんの二人になった。


 

「どう? そろそろ気持ちの整理はついたのかしら?」

 二人になるといつもみかんは誠也のことを心配してくれる。

「来月、えり子の誕生日だからね。その時には結論を出そうと思ってる」

 狭い歩道を二人は肩を並べてゆっくりと歩いた。

「きっかけとしては、ちょうどいい機会よね」

 みかんは微笑みながら誠也の考えを支持してくれる。

「えり子にさ、2つリクエストされていることがあるんだ」

「リクエスト?」

 みかんが首をかしげる。

「一つはさ、まぁ、大したことじゃないんだけど。9月9日になった瞬間に、えり子に『誕生日おめでとう』ってLINEするだけ。もう一つが……」

「ちょっとまって、片岡」

 みかんが不意に誠也の話を遮る。

「ん? どうした?」

 誠也が怪訝そうにみかんの顔を見ると、みかんは少し考えこむ様子をしながら話す。

「それは、大したことじゃなくないかもよ」

「……って言うと……」

 誠也に促され、みかんは続きを話し始める。

「去年の夏、えり子は片岡と別れてからも、片岡から連絡が来るの待ってたんだよ。誕生日の日も、もしかしたら『おめでとう』って来るんじゃないかって」

 誠也はそれを聞いてハッとした。みかんが続ける。

「でも、結局片岡からはメッセージが来なくて、えり子はひどく落ち込んでね……」

「そうだったのか」

 誠也は深くため息をついた。

「あ、でもね。当時の誠也はそれでよかったんだと思う。でも、だから今年は、『おめでとう』って送ってあげたら、えり子も喜ぶと思って」

「そういうことか。ありがとう。聞いといてよかった」

 誠也はそうでなくとも約束通りメッセージは送るつもりでいたが、その意味合いが思いのほか大きいことを知っておいて良かったと思った。

「もう一つのリクエストは?」

 みかんが続きを促す。

「もうひとつは……、文化祭でえり子がバンドやるのは聞いてるだろ?」

「うん」

「それがさ、10日なんだけど、そのステージが成功したら『ご褒美』を欲しいって」

「ご褒美……。あぁ、なるほどね」

 みかんはその一言でえり子の要望を理解したようだ。

「じゃ、結論は誕生日は過ぎちゃうけど、翌日の10日だね」

 みかんは安心したような笑顔で言う。

「そうだな」


 最近、みかんと会うと長く話し込むことの多かった誠也だったが、この日は家が近づくとそのまま解散となった。

 遠くに響く祭りの太鼓の音をかすかに聞きながら、誠也は自宅へと戻って行った。

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