第36話 良きライバル

「うわー、気持ちわりぃ」


 誠也せいやはホームに降り立つなり、身に纏わりつく高温多湿の空気に顔をしかめた。時刻は16時半を回っており、既に暑さのピークは過ぎていたものの、湿度の高さも相まって肌に触れる空気は不快そのものだった。快適だった新幹線の車内とは雲泥の差である。


 今日は8月17日。吹奏楽コンクール県大会本選の翌日から、母親の実家のある秋田で過ごしていた誠也は、短い夏休みをのんびりと満喫し、先ほど新幹線で東京駅のホームに降り立った。夕方の東京駅は、誠也のように帰省先から戻ってきた旅行者に加え、スーツ姿のサラリーマンや、ネズミの耳を付けた家族連れやカップルでごった返していた。

 誠也と両親の3人は、そんな雑踏の中を人々の濁流にもまれながらなんとか在来線に乗り換え、自宅に着いた頃には既に17時半となっていた。


 4日ぶりに帰った自宅も天然のサウナ状態だ。エアコンを付けつつ、一旦すべての部屋の窓を全開にして熱気を外に追い出す。ようやく快適に過ごせるようになった頃には、もう随分と日が傾いていた。


 夜。誠也が夕食を終えて自室に戻ると、えり子からLINEが届いていた。

【無事、帰ってきた?】

 誠也が地元に戻ってきた旨をえり子に返信する。その後も何度かえり子とLINEをやり取りをしていると、陽毬ひまりからグループLINEが届く。

【こんばんわ~! ヤマさんから明日、Galaxyギャラクシー空いてるって連絡来たので、バンドの練習したいと思うんだけど、皆さん来れますか~? 18時からです】

 

 誠也が秋田に行っている間は練習の誘いの連絡が無かったので、10日ぶりくらいだろう。もしかしたらスタジオもお盆休みだったのかもしれない。早速えり子が返信をしていた。誠也も続いて返信を送る。

【こんばんは。明日、参加できます】

 誠也がグループLINEに送信すると、今度はえり子から誠也個人宛にLINEが来る。

【明日、何時集合にする?】


(なんでいつも、一緒に行く前提なんだよ)

 誠也は相変わらずのえり子の言動に呆れながらも電車の時間を調べ、いつものコンビニの前に17時15分集合と約束した。


 この日は旅の疲れもあり、そのまま早めに就寝した。


 ♪  ♪  ♪


 翌朝。誠也は目が覚めて、スマホを開く。6時2分。前日早く寝たせいか、無駄に早起きをしてしまった。今日は夕方まで予定はない。もうひと眠りしようと目を瞑るが、なぜか眠気が訪れない。

 諦めて誠也は一度起きることにした。とりあえずリビングに向かうと、既に母親が朝食の支度を始めるところだった。


「おはよ」

 誠也がリビングに入ると、キッチンにいた母親が驚く。

「あら誠也、早いわね。今日、部活あるの?」

「いや、部活は月曜日から」

 誠也はキッチンの冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、コップに注ぐ。

「じゃぁ、何? ラジオ体操でも行くの?」

 母親の言葉に、誠也はお茶を吹き出しそうになる。

「行かねーよ!」

 

「お、誠也早いな」

 今度は父親がリビングに入ってくる。

「おはよ」

「今日から早速、部活か?」

「もうそのやり取りは済んだよ」

 そう言って、誠也はトイレに向かった。



 朝食を済ませた後、自室に戻った誠也は、夕方まで何をして過ごそうかと考える。思えば高校に入ってから、学校に行かない日はほとんどなかった。部活が休みの日は定期試験前くらいだったので、その時はさすがに遊びに出るわけにもいかず、家でテスト勉強をしていた。


「暇だな~」


 誠也はベッドに転がり、天井を見ながら呟く。

(えり子は夕方まで何をしているのだろうか?)

 当初の予定を早めて、昼からえり子と合流するという考えが頭をよぎったが、誠也はすぐにそれを否定する。

(別にえり子とは付き合ってるわけじゃないしな……)

 

 色々と考えた挙句、誠也はせっかくの休みなので、趣味に没頭することとした。誠也が思い立ったのが、鉄道の乗りつぶし。札幌から引っ越してきてまだ2年目。首都圏にはまだまだ、誠也が乗ったことの無い路線がたくさんある。ちょうど良い機会なので、それらに乗ってみたくなった。

 かくして誠也は、東京の地下鉄乗り放題の旅に出た。


 ♪  ♪  ♪


 夕方。誠也はえり子との約束時間に間に合うよう、地元の駅に戻った。外は今日も暑かったようだが、誠也は昼間のほとんどを冷房の効いた地下鉄車内で過ごしていたため、快適だった。

 相変わらずの蒸し暑さの中、待ち合わせのコンビニの前で待っていると、約束時間の少し前にえり子が現れた。


「お待たせ~♪」

 6日ぶりに見るひまわりの様な笑顔に、誠也は不覚にも目を奪われた。

「どうした、片岡?」

 えり子が怪訝そうに首をかしげる。黒いTシャツに白のデニムのショートパンツ。短いソックスに白いスニーカー。誠也は素直に可愛いと思った。

「なんか、私服のえり子見るのって、久しぶりだなって」

「そう言えばそうだよね! 今日は頑張って髪も巻き巻きしてみたんだよ!」

 そう言ってえり子は首を左右に振って見せる。いつものツインテールが今日はゆるく巻かれていて、えり子の動きに合わせてふわふわと踊る。

「どう? かわいい?」

 そう言って満面の笑顔を振りまくえり子を、誠也は恥ずかしくて直視できなかった。

「はにゃ? 片岡もしかして、照れてる?」

「何言ってんだよ……。ほら、行くぞ」

「うにゃ~、待って~」

 改札口へと歩き出す誠也の後を、えり子が追う。ホームに上がっても誠也は不自然にえり子から目をそらしていた。

(ダメだ、完全にバレてる)

 誠也は動揺を隠し切れなかった。もちろんそんな誠也の胸中をえり子が察しない訳はない。

「ねぇ、片岡。手、繋なぐ?」

「えっ!?」

 思いがけないえり子の一言に、誠也は大げさに驚いてしまった。

「バカ言うなよ、何言ってんだよ、お前」

「ちょっとだけなら……、良いよ」

 そう言って、えり子は右手を誠也の左手にそっと繋いだ。誠也は暑さと緊張で、一気に汗が噴き出すのを感じた。どうしたらいいかわからず、誠也は視線をゆっくりとえり子に向ける。誠也の横でえり子は、いたずらっぽくニヤニヤと笑っていた。これが、えり子も少し頬を赤らめてうつむいていたのなら、あるいは結果は違ったのかもしれない。誠也の中でドキドキと引き換えに怒りがこみあげてくる。

「お前、俺の事からかって遊んでるだろ」

「……バレた?」

 そう言ってえり子はちょろっと舌を出す。誠也はつないだ手を振り切ると、えり子の両頬をつねった。

「おまえ~!」

「ふえ~、ふえ~」

 

 そんなくだらないやり取りをしているうちに電車が来て、二人は乗り込んだ。

「もう、片岡が休み中、私に会えなくて寂しかっただろうと思ったから、ご褒美をあげようと思ったのに」

「完全に俺の反応見て楽しんでただけだろうが!」

 誠也は尚もふくれっ面である。

「秋田では毎日何してたの?」

「あぁ、墓参り行ったり、入院してる叔母さんの病院に見舞いに行ったり……って、毎日LINEしてただろうが」

「野生のナマハゲいた?」

「あのなぁ。そんなもん、いるわけないだろ! えり子の方こそ、この休み中、何してたんだよ」

「あれぇ? 私の私生活に興味あるってことは、片岡ってもしかして私の事……」

「もういいわ。聞かない」

 誠也は相変わらず眉間にしわを寄せつつも、久しぶりのえり子との会話のテンポ感に心地よさを感じていた。



 18時。潮騒駅にほど近い音楽スタジオ「Galaxy」には、来月の文化祭に向けた即席バンド「あ~りお♥お~りお ぺぺろんち~の!!」のメンバー5名が集まった。バンド名の表記については、生徒会に申込みする際、陽毬がノリで決めたらしい。誠也と同じく「雑用係」の奏夏かなはまだ帰省中で、今日は欠席だった。

 

「基礎練終わった後、何からやる?」

 ベースをアンプに繋ぎながら、遥菜はるなが陽毬に問いかける。

「そうね。そろそろ、『アイドル』やってみない? どう? リコ」

「おっけ~!」

 陽毬に振られたえり子は、笑顔でサムズアップする。

「じゃ、各自音出しして、30分後から合奏あわせね」


 時折吹奏楽部の用語が飛び交う不思議なバンドの練習が今日も始まる。キーボード担当の萌瑚もこは、音色の切り替えのチェックに余念がない。電子楽器に疎い誠也には、よくわからない領域の話だ。

 陽毬がいつものように三脚にビデオカメラをセットして準備完了だ。


「ちょっと一回、ヴォーカル抜きでアタマだけ合わせてみない?」

 陽毬が提案し、冒頭部分の確認。ドラムの柚季ゆずきがカウントをとり、曲がスタートする。

 思っていた以上の迫力に誠也は驚く。


「おっけ~」

 冒頭の部分だけで陽毬がストップをかける。

「いいね~!」

「キーボード、かっこいい!」

 皆笑顔が咲く。そんな中、珍しく静かに目を瞑って聞いていたえり子が、おもむろに提案する。

「ねぇ、ひまりん。あたまの柚季ちゃんのカウント、カット出来ないかな?」

「いいけど、どうする? リコが合図する?」

「うん。私が首の振りでアウフタクト入れるから、それでみんな入れるかな?」

「一回やってみようか」

 皆、バンドはほとんど初心者だったが、吹奏楽でそれなりに経験を積んでいるメンバーだったので、このあたりの話は阿吽の呼吸で伝わる。

 えり子がバンドの方を向き、やや大きめに頭を上げ、振り下ろした瞬間に曲が始まる。

 

「行ける、行ける! よし、これで行こう! じゃ、一回通そう」

 陽毬がそう言うと、えり子が正面を向く。えり子の表情はスタジオの前方に座る誠也からしか見えない。

「じゃぁ、いくよ」

 えり子は目をつぶったまま、そう言うとメンバーはすぐに曲に入れるよう楽器を構える。そしてえり子が目を開いた瞬間、その圧倒的な眼力に誠也は反射的に身震いした。


 えり子の首の振りに合わせて、演奏がスタートする。歌い始めたえり子の表情は、誠也が今まで見てきたえり子の表情のどれとも違った。誠也の目の前で歌うえり子は、瞳に光を宿した、完璧なアイドルだった。

 歌詞に合わせて、表情が目まぐるしく変化する。狭いスタジオを左右に行き来し、壁に向かって手を振り、ウインクし、レスを送る。えり子にはスタジオの黒い壁の向こうに、文化祭当日の会場である体育館の客席が見えているようだった。誠也はそんなえり子のパフォーマンスに魅せられ、鳥肌が立った。

 

「すごーい!」

 曲が終わると、陽毬が真っ先に歓声を上げた。皆、笑顔があふれる。

「映像チェックしようか」

 皆がPCを取り囲んで座ると、陽毬がPCを操作して、取り込んだ動画を再生する。曲が始まると、メンバーの目がどんどん見開かれていく。誰もがえり子のステージパフォーマンスに目を奪われた。


「どうかなぁ? ゴールド金賞もらえる?」

 映像が終わると、えり子がいつものひまわりの様な笑顔を陽毬に向ける。

「名古屋行けちゃうレベルだよ!」

 陽毬も満面の笑みを返す。ちなみに陽毬の言う名古屋とは、吹奏楽の甲子園ともいわれる、全日本吹奏楽コンクールの会場である名古屋国際会議場を指す。


 キーボードの萌瑚、ドラムの柚季、ベースの遥菜も、前回より格段に上達していた。特に萌瑚は音色を次々と変える操作をしながらも完璧な演奏だった。相当練習をしたのだろう。しかしその分、前回からの課題として残っていた「魅せ方」については、まだまだ現役のアイドルでもある陽毬との開きが大きく見える。そして、今日のえり子はそんな陽毬をも軽く凌駕してしまう圧倒的なパフォーマンスを披露したのだった。


 それから1時間ほど練習を続け、いったん休憩をとることにした。

「今日のリコ、凄いよ~」

 萌瑚が改めてえり子を褒めたたえる。

「ホント、瞳に星が輝いてた!」

「実は双子の隠し子いる?」

 遥菜と柚季にも称賛され、えり子も笑顔を振りまいていた。そんな彼女たちを会話を聴きながら誠也はいったんスタジオを出て、受付前の自販機に飲み物を買いに行く。

 

 誠也が自販機から飲み物を取り出すと、オーナーのヤマさんから小声で話しかけられる。

「アレ、なんかあったんか?」

「なんですか?」

 誠也が不思議に思って聞き返すと、ヤマさんが顎をしゃくる。誠也が促された方向に視線を向けると、ロビーの椅子に陽毬が座っていた。陽毬は真剣な表情で何かを考えこんでいるようにも見えた。

 誠也がそっと近づくと、気配に気付いて陽毬が顔を上げる。そして、誠也と視線がぶつかると、瞬間的にいつもの笑顔に戻る。

「あ、誠也くん。どうした?」

「いや、ひまりんが何か真剣な表情だったから、どうしたのかなと思って」

 陽毬は誠也の周囲を見渡す。

「リコたちは?」

「スタジオにいる」

「そっか」

 誠也が陽毬の隣に腰を下ろすと、陽毬は笑顔のトーンを若干落したように見えた。


「どうしたの?」

 誠也が心配そうに聞く。

「いや、なんかさ。さっきのリコ、凄かったなって」

「あぁ、確かにね」

 誠也がペットボトルのふたを開け、コーラを一口飲む。

「私さ、いろんなアイドルを間近で見てきてるから、わかるのよ。そのステージがどのくらい努力したものなのかって。あれは、相当努力しているパフォーマンスだったわ。なんか、ショック」

「ショック?」

「私、これでもアイドル4年目なのよ。リコなんて普段、『もげ~』とか『うじ』とかふざけたことばっかり言ってるのに、あっという間に私の事なんか追い抜いちゃって。しかもあれは相当研究して、練習も相当してるはず。あの子、バケモノじゃないの?」

 誠也は思わず失笑した。

「俺もえり子を見ていて、よくそう思うよ」


「さっき、始まる前、リコが最初のドラムのカウント、外そうって言ったじゃない?」

「あぁ、言ってたね」

「あれなんて多分、リコの中で完璧に文化祭の当日のステージがイメージできていて、きっと脳内で再生できる状態なのよ。それで、リコのイメージする風景に当てはめたときに違和感を覚えたんだと思う。きっと一曲目だから、いきなりバンって入って、観客の関心を一気に自分たちに向けたいって言う作戦だと思うのよね」

 誠也は陽毬の冷静な分析にも感心した。

「なるほどね。さっきのパフォーマンス見てたら、完全に壁の向こうにお客さん見えてる感じだったよね。この前のひまりんもそうだったけど」

「はぁ、私も負けてられないわね」

 そう言って陽毬は笑顔を見せる。

「そろそろ戻って、再開しようか」


 ♪  ♪  ♪


 この日は21時まで練習し、解散となった。

「今日のえり子の『アイドル』、ほんと良かったよ」

 帰りの電車の中で、誠也は改めてえり子の今日のパフォーマンスを褒めたたえた。

「うにゃ~。実はね、休み中、ネットでめっちゃ動画見てさ。『本家』とか、他のアーティストさんとか。それから、毎日カラオケ行って練習してたんだ~」

 陽毬の予想していたとおりだ。行きの電車の中で誠也が休み中何をしてたのか聞いたときに、えり子がはぐらかそうとしたのも納得がいった。


「私、もっと頑張ってひまりんに追い付かないと!」

 そう言って意気込むえり子を、誠也は少し心配した。えり子はストイックになりすぎてしまうきらいがある。

「あんまり無理しすぎるなよ」


 誠也は先ほど、スタジオのロビーで陽毬と話したことは、あえてえり子には伝えなかった。二人は良きライバルになればいい。誠也はそう思った。

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