第11話 届かない思い

 6月1日、木曜日。今日から制服が夏服に衣替えとなる。ただし、1週間は移行期間として、冬服でも良いこととなっていた。誠也せいやは初日は様子を見たいと思ったことと、実際、今朝は肌寒かったので、冬服で登校することにした。

 自宅の最寄り駅のコンビニで、いつものようにえり子を待っていると、えり子もまた、冬服で現れた。


「おはよ~! 片岡も冬服なんだね」

「おはよ。今朝はまだ寒いもんな」


 誠也とえり子は混雑する電車に揺られ、学校に向かう。途中の駅で乗り換えると、ここからは朝のラッシュとは逆方向なので、余裕で座れる。

 電車が出発すると、えり子がおもむろに話し始めた。


「ねぇ、片岡。最近のさかなの様子、どう思う?」

「うーん、彼女が元気なくなってから、もう1週間以上経つよね? 未だに彼女からは何も言ってこないし」


 『さかな』こと、奏夏かなの表情が乏しくなってから、誠也たちは気にかけていたものの、これまでは基本的には本人から何か言ってくるのを待とうというスタンスでいた。しかし、さすがにその状況が長く続き、心配になってきた。


「私さ、そろそろ、さかなに直接聞いてみようと思うんだけど、片岡はどう思う?」

「そうだな。俺も賛成かな。夏鈴かりんのことだったら、俺たちも相談に乗れるしな」


 奏夏が元気がないのは、ホルンパート内の人間関係であることは察しがついていた。コンクールメンバーの選出方法に不満を持っている夏鈴が恐らく何らかの形でパート内の輪を乱すようなことをしているのだろう。

 誠也とえり子は、今日の帰り、奏夏に尋ねてみることにした。


 

 ♪  ♪  ♪


 その日の部活が終わり、誠也とえり子はいつも通り奏夏を誘って帰路に就いた。


 バスの中でえり子から、例の話を切り出す。


「ねぇ、さかな。最近ずっと元気ないの、実は私も片岡も心配しててさ。もし、私たちで良かったら、話してもらえないかな?」


 誠也も心配そうに奏夏を見つめる。

 奏夏は、暫し考えるしぐさをしたが、すぐに顔を上げて言った。


「そうだね。せっかくだから、二人に聞いてもらおうかしら」


 えり子の顔がパッと明るくなる。

「もちろん、さかなの悩み事なら喜んで聞くよ!」


「でも、ここじゃちょっと話しにくいから、どこかでゆっくり話そうか」

「じゃ、バス降りたら、どっかお店入ろう!」

 えり子の提案に、奏夏は少し笑った。


 3人はバスを降りて、ファミレスに入った。

 部活終わりで3人とも腹ペコである。まずはそれぞれ食事のオーダーをしてから、本題に入る。


「実はね、リコと誠也にはせっかくこうして付き合ってもらって申し訳ないんだけど、たぶん二人の考えていることとは違うと思うのよ」

 奏夏は伏し目がちにそう切り出した。

 

「と、言うことは、さかなが元気ない原因は、夏鈴じゃないってことか?」

 誠也がそう問うと、奏夏が答える。

「そうね。夏鈴の件は良くも悪くも、進展ないわ」


「ほげ~。じゃぁ、さかなちゃん、恋の悩みかしら?」

「おい、やめろって」

 えり子がおどけて言うのを誠也がたしなめる。


 しかし、奏夏は少し苦笑しながら答えた。

「そう、リコの言う通りよ」

 

「え? そうなの?」

 誠也は驚いた。「恋の悩み」と言い出したえり子でさえも、目を白黒させている。


「そんなに驚かなくても。私に好きな人がいたらおかしい?」

 そういう奏夏に誠也は全力で否定する。

「いや、そういうんじゃなくて! 俺らはてっきり夏鈴のことで悩んでいるんだとばかり思いこんでいたもんだからさ。そういう意味で驚いただけで……」


 慌てる誠也の横で、えり子はすでに態勢を立て直していた。


「お嬢さん、その話、詳しく」

 俄然目を輝かせているえり子に対し、誠也はまたしてもブレーキをかける。

「えり子! デリカシーが無さ過ぎるだろ!」


「いいのよ、誠也。私もこの際、全部話してすっきりするつもりだから」

 奏夏は笑ってそう言った。


 ちょうどこのタイミングで、3人がオーダーしていた料理が運ばれてきた。いったん話題は小休止。店員さんが去ったタイミングで、再び奏夏が話し始める。


「時間無いし、引っ張ってもしょうがないから、食べながらサラっと話すね」


 奏夏はアイスティーを一口飲むと、話し始めた。


「私ね、中学校の時からトランペットの直樹なおき先輩が好きなの」


「ほへ?」

 一口サイズに切り分けたハンバーグを口に運ぼうとしていたえり子の手が、思わず止まる。


 奏夏は宣言通り、サラっと話を進める。


「私は直樹先輩のことが大好きで、半ば彼を追いかけるようにこの高校を受験して、そしてこの吹奏楽部に入ったのよ」


「素敵!」

 えり子が目を輝かせている。


「それでね。先月の19日。直樹先輩の誕生日に告白しようと思ったの。でもどうしても勇気が出なくて……」

 

「それで、どうしたの?」

 今度は誠也が先を促す。


「まず、咲良さくら先輩に相談したのよ。咲良先輩はとっても親身になって話を聞いてくれてね」


 誠也とえり子は、普段の咲良先輩の様子から、奏夏の話を本当に真剣に聞いてくれたことは容易に想像がついた。


「私の気持ちが本物だって、咲良先輩にも伝わったんだと思う。だからね、咲良先輩は、本当のことを私に教えてくれたんだ」


「本当のこと?」

 えり子が聞き返す。


「うん。直樹先輩ね、彩夏さいか先輩と付き合ってるんだって」


 

「はにゃ~!」

 えり子はただでさえ大きな眼が落っこちそうなくらい、目を見開いた。誠也もさすがに驚きを隠せなかった。


 まさか直樹先輩が彩夏先輩と付き合っていたなんて。同じパートの誠也やえり子も全く気付かなかった。誠也はむしろ、直樹先輩と咲良先輩の関係を疑っているくらいだったのに。


「そうだったんだ……」

 誠也はそれ以上、何を言ったらいいかわからなかった。


「ちなみに、直樹先輩と彩夏先輩が付き合っているのを知っているのは、咲良先輩以外、他にいないらしいから、他言無用ね」


「うん。大丈夫、私たちは他に話したりはしないわ」

 えり子がいつになく真剣な表情で答える。


「私もリコと誠也なら、信じられるって思ったから。でもなんか、ごめんね。せっかく心配してくれてたのに、こんなくだらない内容で」

 奏夏が申し訳なさそうに言う。


「くだらないなんて思ってないよ、さかな。私たちもさかなが悩んでいる原因がてっきり夏鈴ちゃんのことだと思い込んでたから、立ち入ったこと聞いちゃってごめんね」

 えり子がそう言うと、誠也も横でうなずいた。


「ううん。私も他に誰にも話す人がいなくて辛かったから。咲良先輩にこれ以上迷惑かけるわけにいかないし、話すならリコと誠也しかいないから。ちょうど聞いてくれて良かった」

 そう言って、奏夏が力なく笑った。


 誠也はこういう時、なんと声をかけてよいかわからず、歯がゆかった。


 奏夏は始めに比べて、心なしか少し表情が緩んで、話を続けた。


「最近、部内でもちらほらカップルが誕生してるじゃない? 颯真そうまくんと夏葵なつきちゃんとか。だから、私も幸せになりたいって思ったけど、ダメだった」


「さかな、辛かったね。泣いてもいいよ」

 えり子自身が泣きそうな顔でそういうと、奏夏は笑って言った。

「ありがとう。もうたくさん泣いたから、今はもう平気!」


「どこまで力になれるかわからないけど、俺たちで良かったらいつでも話聞くからさ」

 誠也が優しい笑顔で言うと、えり子も同調する。

「うん。私も、片岡も、どんなことでもちゃんと話聞くから、安心して」


「ありがとう。本当は、もっと早くリコたちに話をしたかったんだけどね……」

 奏夏はその後、少し間を空けて続けた。


「二人のこと、信じてないわけじゃないんだけど。ごめん、正直に話すと、やっぱり二人の関係を疑ってて……」

 奏夏はそう言って、視線を下に落とした。


 えり子は誠也の方をちらっと見た。それだけでえり子の意図を理解した誠也は、ほほ笑みながらうなずく。


 えり子はゆっくりと話し始めた。


「私にとって、さかなは大切な親友だし、今日、さかなが勇気を出して話してくれたから、私も本当のことを話すね。私、去年の夏まで片岡と付き合ってたんだ」


 奏夏は顔を上げて、目を見開いた。


「中2のクリスマスに付き合い始めて、去年の夏、コンクールの翌日、私、片岡に振られちゃった」


 奏夏は表情を変えずに、えり子の話の続きを待った。


「別れた理由は、ごめん。今はまだ、言いたくないの。それに、今でも私は片岡のことが好き。たぶん片岡も、私のこと好きでいてくれていると思う」


 誠也は隣で黙って、肩をすくめほほ笑む。


「でも、今はまだ、私、片岡と付き合えないんだ。まだ、当時の傷が癒えてないんだ……」


 えり子は目に涙を浮かべながら、ほほ笑む。


「そっか。話してくれて、ありがとう」

 奏夏も涙目になっている。


「あ、でもね。片岡に傷つけられたわけじゃないよ。全部、私が悪いんだ」

「えり子、それは……」

 誠也が話そうとすると、えり子が誠也の唇に人差し指を当てて遮った。


「ごめん、片岡。今日はここまで」


 誠也は黙ってうなづいて、言葉を飲み込んだ。


 

 ♪  ♪  ♪


 食事を終えた3人は、いつもの通り、電車で帰路についた。3人が電車に乗り込むころには、いつも通りの笑顔であふれていた。そして、いつも通り、途中の駅で奏夏が降りて行った。


「ねぇ、片岡。今更だけど、さかなに話してよかったよね?」

「あぁ、もちろん。1月に話したときに、えり子に任せるって言っただろ?」

「うん」


「あー、私って、なんか最低」

 急にえり子が頭を抱える。

「なんで?」

「なんか、片岡のことキープしてるみたいでさ」

「まぁ、それを言っちゃ、お互い様だよな」

 誠也もバツが悪そうに笑う。


「なんか、時折衝動的に、片岡に『好き』って言いたいし、片岡に『好き?』って聞きたくなるんだよね」

「お前、それ、本人の前で口に出したらダメだろ」

 誠也はあきれて失笑する。


「正直言って、最近不安」

「何が?」

 えり子は急に小声になる。

「……多希ちゃんとか」


 誠也は思いがけない名前が出てきて、一瞬驚いた。


「それは……」

 誠也が言いかけたところで、またしてもえり子に止められる。


「その先は、聞きたいけどやっぱり聞いちゃダメな気がする」


 そんなに話をややこしくする必要もないと誠也は思ったが、同時にえり子にとってそれが必要な作業なのかもしれないと、理解することにした。


 

「いつかまた、片岡と付き合える日が来るかなぁ……」

 えり子がぼんやりと夜の車窓に移る景色を眺めながら、そうつぶやく。

 

「さぁ、それはどうでしょうね?」

 誠也はあえて、明るく言うと、えり子にも笑顔が戻った。


「私、絶対負けない!」

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