第10話 爽やかな季節

 5月22日、月曜日。先週で中間テストも終わり、今日からは通常授業に戻った。そして放課後、誠也せいやたちはもちろん今日も部活である。音楽室に入ると、すでに授業隊形の机は満席だった。

 時間になると部長である友梨ゆり先輩が前に出る。

 

「起立!」

 副部長である香苗かなえ先輩の号令で、約90名の部員が一斉に立ち上がる。

「礼」

「よろしくお願いします!」

「着席」


 全員が席につくと、友梨先輩が話し始める。


「事前に周知されたスケジュール通り、今日からの練習は19時までとなります。合奏あわせでやる曲の日程は、各自、共有カレンダーで確認してください。合奏に入らないメンバーは、パーリーの指示で『パー練』もしくは『セク練』してください」

「はい!」

「係活動は原則として週末の空いた時間に行ってもらいますが、どうしても平日に行わなければならない作業がある係は、事前に私または副部長に申し出てください」

「はい!」

「では、今日も頑張りましょう! よろしくお願いします」

「よろしくお願いします!」

 

 部長の話が終わると、部員たちが一斉に動き出す。今日はこの後合奏なので、音楽室のレイアウトを変えなければならない。席についていた生徒は、自分が使っていた机を廊下に出す。その他の生徒は椅子を合奏隊形に並べる。更に手の空いた生徒から、楽器庫に入り楽器を出すという流れだ。1年生も入部して1か月以上が経ち、勝手もわかってきた為、全体がスムーズに効率よく動いていく。

 

 誠也、えり子、穂乃果ほのかの三人組は、椅子並べを担当した。


「私、だいぶ友梨先輩の言ってること、分かるようになってきたかも」

 穂乃果が椅子を運びながらそう言って笑う。

「え? どういうこと?」

 誠也が疑問に思って問うと、穂乃果が答える。

「業界用語。『アワセ』とか『パーリー』、『パーレン』、『セクレン』。はじめ全然わかんなかった!」

「そうだよね。私たちもつい違和感なく使っちゃうけど、言われてみれば確かに業界用語だよね」

 えり子も同調する。

 

 合奏のことを「アワセ」というのは別として、パートリーダー、パート練習、セクション練習など、どうしても日常的に使う用語は略しがちである。

 

「他にどんな略語ある?」

 穂乃果は興味津々である。

「うーん。リコ、リナ、まりん……」

「ちょっと片岡! それ業界用語じゃないから~!」

 相変わらず3人はくだらない話で笑いながら、椅子並べを終え、楽器庫へ向かった。

 

 部長が話していた通り、今日から練習は19時までとなった。この時刻は学校全体の最終下校時刻と同じであり、即ちこの時間が練習時間としてもMAXである。いよいよ6月24日の定期演奏会に向けて臨戦態勢となった。

 初心者である穂乃果を除くトランペットパート1年生の4人は、今回の定期演奏会では第2部のポップスステージに数曲ずつ参加することに決まっていた。そのため、コンクール曲を含めた第1部の楽曲など、自分の出ない楽曲の合奏の日は、パート練習が主となる。この日、トランペットパートの1年生は、えり子と颯真そうまが合奏に入り、誠也、穂乃果、恵梨奈えりながパート練習となった。


 

 部活が終わった帰り道。

 誠也はえり子、奏夏の3人で電車に揺られていた。トンネルを抜けても、車窓はすっかり真っ暗だ。初めて19時までの練習を経験した誠也は、疲労感を覚えながらも、定演に向けていよいよ本格的になってきた練習に高揚感を隠し切れずにいた。

 

 一方、誠也は気がかりな点もあった。奏夏だ。こうして一緒に帰っている間も、一見するといつも通りに見えるが、時折浮かない表情をしていたり、話が上の空だったりすることも散見された。


 

「じゃ、また明日ね~」

「お疲れ~」


 途中の乗換駅で奏夏が降りていく。


「さかな、大丈夫かなぁ」

 えり子が心配そうにつぶやく。

「明らかにテスト明けから元気ないよな。やっぱ、パート内でうまくいってないのかな」

 

 奏夏の所属するホルンパートには、先日の1年生同士の「ディベート」で遺恨を残した夏鈴かりんがいる。


「やっぱ、さかなが元気ないのって、夏鈴ちゃん絡みだよね。何とかならないのかなぁ」

 えり子がため息交じりにつぶやく。


「でもさ、さかなも最近、その話題に触れないんだよね。だから、俺たちからも聞き出しにくいっていうか……」

「そうなんだよねぇ……」

 

 その後も誠也とえり子は、さかなのことを気遣ってあれこれ考えたが、彼女が何か言ってくるまで、ひとまずは静観しようということになった。



 ♪  ♪  ♪


 27日、よく晴れた土曜日。

 昼休みの後半、誠也は午後からの合奏に向けて、屋上で一人、音出しをしていた。

 日差しが夏の訪れを感じさせる爽やかな季節。これから合奏という高揚感も相まって、吹いていて非常に気持ちがいい。

 

 そこへ、多希たきがやってきた。

 誠也が教則本の練習曲を吹き終わったタイミングで、多希が誠也に声をかける。


「誠也、ごめん。練習中に」

「あぁ。全然かまわないよ。どうした?」


 誠也が明るく声をかけると、多希は少し目をそらして言う。


「来週の金曜日の夜、空いてる?」


 誠也は何があるんだろうか? と疑問に思いつつ、スマホのカレンダーを開く。

「来週の金曜日って言うと……」

「6月2日。嫌なら断ってもらって構わないんだけど……」

 多希は先日、一緒に帰った時の様に自信なさげにそう言う。


「部活終わった後だよね? 特に何も予定ないけど」

「もしよかったら、また食事に付き合ってもらえると嬉しいんだけど……」


「うん、いいよ」

 誠也は特に断る理由もなく、承諾した。


「ありがとう」

 多希はようやく、少し微笑んだ。


「そんなに緊張しなくても。いつもの多希みたいに、強気で聞いてきたらいいのに」

 誠也はわざと意地の悪い言い方をした。

「ほっといて」

 多希はいつものように真顔で誠也を睨んだが、その後すぐにほほ笑んだ。


「じゃ、当日、よろしくね」

「うん。俺も楽しみにしてる」

 多希は屋上から校舎に戻っていった。


(また、何か話したいことがあるのかな?)

 誠也は去っていく多希の背中を見ながら、そう考えた。

 どんな話かは分からないけど、今回も誠也は多希に対しては忖度せずに正直に話そうと思った。せっかく彼女が自分を信じて話してくれるのだから、例え意見が食い違っても、正直に話すことが彼女に対する誠意だと思う。


 そんなことを考えながら、誠也はもう少し音出しをしようと楽器を構えた、その時だった。


「ねぇ、片岡!」


 突然えり子から声を掛けられ、飛び上がりそうになる。


「なんだ、えり子か。驚かすなよ」


「ねぇ、片岡」

 突然えり子が、伏し目がちに言う。

 

「な、なに?」

 

「あのね、私。やっぱり片岡のことが好き。だから、私と付き合ってほしいの……」


「はい? どうした、急に……」

 誠也が呆気にとられていると、えり子は満面の笑みで言う。


「多希ちゃんに告られた?」


「……お前なぁ。茶化すなよ」

 誠也はしかめっ面をしながら言った。


「だって、廊下から見てたら、すんごい良い雰囲気だったから!」

「また食事に誘われただけだよ」

「ほへ~! 誠也さん、モテますな~」

 相変わらずのいたずらっぽい笑顔で、えり子がからかってくる。


「アホか。俺は全然モテないんです!」

「なんで~? 片岡、人気ありそうなのに」

 

 今度は誠也がいたずらっぽい顔で言い返す。

「きっとあれじゃないか? 俺の周りでいつも『もげ~』とか『ほげ~』とか奇声を発する奴がまとわりついてるから、勝手に彼女だと誤解されてるんじゃないか?」

 

「え? 片岡ってそんな奇声あげるような奇人が好きなの?」


 誠也はえり子に一瞥をくれてから、踵を返して速足で校舎に向かった。

 

「ほげ~! 片岡、待って~」



 ♪  ♪  ♪


 翌日、日曜日。


 昼休み、誠也はえり子、穂乃果、そしてユーフォニウムパートの萌瑚もこの4人で、昼食を摂りに学食へ向かった。日曜日でもこの時期は主に部活動で登校している生徒も多く、学食もそれなりに生徒がいた。

 誠也たちはカウンターで受け取った皿をトレーに載せて、空いている席を目指す。


「お疲れ!」

「おう、颯真!」

 途中の通りかかった席では、颯真がトロンボーンパートの大野夏葵なつきと食事を摂っていた。

 

 誠也たちはようやく席について、食事を始めると、萌瑚がおもむろに言った。

「あの二人、最近付き合い始めたんだって」

「え? そうなの?」

 

 驚く誠也と穂乃果の前で、えり子が笑顔で言う。

「ほへ~。やっぱり、そうなのね」

「え? リコ知ってたの?」

 穂乃果が驚く。

 

「いや確信はなかったけど。でも、前に直樹先輩の誕生日会決めるとき、颯真くん『トロンボーン子に~』みたいなこと言ってたから」

「それだけの情報で? しかもトロンボーンは藤原さんもいるじゃん」

 誠也が半信半疑で問う。

 

「でも、夏葵ちゃんは颯真くんと同じ、照明係だから接点あるでしょ。それに最近、よく一緒にスコア見ながら作業してたから、そう思ったのですよぉ~」

「へぇ~」

 誠也はえり子の恐るべしプロファイリングに、もはや感嘆のため息をついた。


「ねぇ、スコアって何?」

 穂乃果が聞く。最近、穂乃果は早く、彼女の言うところの「業界用語」を覚えたくて必死だ。

「指揮者用の楽譜のことよ」

 えり子が説明する。

「指揮者用の楽譜をどうして二人が見てたの?」

 穂乃果の疑問に今度は誠也が答える。

「颯真たちは照明係だからね。指揮者用の楽譜は全パートの楽譜が載ってるから、そこに照明のタイミングなんかを書き込んで演奏会当日に使うんだよ」

「へぇ~。また一つ、賢くなったわ」

 

「萌瑚ちゃんは、颯真くんたちのこと、どこで知ったの?」

 えり子が目を輝かせて萌瑚に聞く。

 

「夏葵から直接聞いたのよ」

「ほぇ~、そうなんだ。萌瑚ちゃんって夏葵ちゃんと仲いいの?」

「夏葵は元々、ユーフォ希望だったからね」

「ほげ~! そうなんだ!」

 誠也もそれは初耳だった。

 

「今年ね、実はユーフォ希望者4人いたのよ」

「え?」

 これには3人とも驚いた。

 

「今ユーフォの萌瑚ちゃんに、亜依あいちゃん、それから夏葵ちゃんと、あと一人誰?」

 えり子が食いつく。

 

「チューバの青柳あおやぎくん」

「へ~、そうなんだ!」

「ユーフォはほら、先輩たちがすでに3人いるじゃない? だからオーディションで分けられちゃってね。夏葵なんかオーディションの時、なんとかユーフォになれるように『マウスピースなら自前の持ってます!』って主張したら、トロンボーンになっちゃった」

 

 そういう萌瑚に穂乃果が怪訝そうな顔をする。

「えっと、その文脈詳しく!」

 

「ユーフォとボーンって、同じマウスピースで吹けるのよ」

 えり子が解説する。

「なるほど!」

 穂乃果も納得する。

 

「しかし、青柳なんて自分からチューバ希望したみたいなこと言ってたけどな」

 誠也がそう言うと、萌瑚が苦笑する。

「そういうことにしておいてあげて」

 

 

 ♪  ♪  ♪


 午後は合奏ではなく、係活動に充てられた。定演前に係活動でまとまった時間が取れるのは今日が最後だったので、誠也の所属する大道具係は作業が大詰めを迎えていた。


 誠也が昼休みから戻ってきて、大道具係の作業場である教室に向かうと、すでに何人かの生徒が作業を始めていた。


「片岡くん、手伝って!」

 ふいに呼ばれ振り向くと、真梨愛まりあが同じクラリネットパートの橋本花菜かなと一緒に発泡スチロールの看板をカッターで切っていることろだった。


「オッケー」

 誠也は二人の作業に合流する。


「ハシモ、そっち抑えてて」

「あいよ」

 真梨愛が指示を出し、ハシモと呼ばれる花菜が手際よくそれに応える。誠也はハシモの反対側を抑えてバランスをとった。


「誠也くん、助かるわ~。ありがとね~」

 誠也とハシモが発泡スチロールを抑える中、真梨愛が職人さながらの表情でスムーズに切っていく。

 

「ハシモって、話し方がおばちゃんっぽいよね」

 誠也が思わずそう言うと、ハシモも笑って答える。

「小学校の頃から、あたしゃ『ちびまる子ちゃん』って呼ばれてたからねぇ」


「ちょっと、真剣なんだから、笑わせないでよ!」

 そう言いながら、真梨愛は慎重にカッターを進めていく。


 いい雰囲気だ。

 初めて大道具係で作業した当初が嘘のように、最近の真梨愛は精力的に係の仕事にも取り組んでいる。誠也は、部全体が定演に向けてまとまりつつあることが嬉しかった。



 ♪  ♪  ♪

 

 夕方。

 土日は基本的に17時で部活が終了となる。


 誠也、えり子、奏夏の3人がいつものようにバスで最寄り駅まで向かい、地下に降りる。折り返し電車がすでにホームに停まっていたので、それに乗り発車を待っていると、ホームを歩く恵梨奈の姿が見えた。


「あ、リナ! お疲れ~」

 えり子が手を振ると、恵梨奈が駆け寄ってきた。

「お疲れ~」

 恵梨奈は奏夏の隣に座る。

「一緒になるの、珍しいね」

 奏夏がそう言うと、首をすくめて言う。

「うん。今日は彼の方が部活なくてね」


「え? リナって彼氏いたの?」

 驚く誠也に、えり子がさらに驚く。

「え? 片岡知らなかったの?」

「それって、結構有名な話なの?」

 誠也は気まずそうに聞くと、えり子が大げさに答える。

「有名、有名! 超有名! もう市の広報に載るくらい!」


「そんなことあるわけないでしょ!」

 慌てる恵梨奈の横で誠也は冷静に対応する。

「ちょっと、えり子は黙っててくれないかな」

「うじ」

 えり子は両手の人差し指を口の前でクロスさせた。


 どうやら恵梨奈は付属中の頃から硬式テニス部の彼氏と付き合っているそうだ。

 その手の話には疎い誠也は、思わず興味津々に聞いてしまった。


「それじゃ、私、降りるね」

「ばいば~い!」

 途中の駅で、まず先に恵梨奈が降りる。


「なんか、颯真といい、恵梨奈といい、みんな幸せそうだな~」

 誠也が何気なくそう言うと、今度は奏夏が驚く番だった。


「え? 颯真くんって彼女いるの?」

 

「知りたい? えー、どうしようかな~」

 えり子がまたいつものいたずらを始める

「早く教えてよ~! そろそろ駅着いちゃう!」

 奏夏がえり子の両腕をつかんで揺さぶると、えり子が笑顔で答える。

「ボーンの夏葵ちゃんだよ」

「へぇ~! いいね。お似合いだと思う!」


 ちょうど電車が奏夏の降りる駅についた。

 

「今日はいいこと聞いたわ。それじゃ、またね」

 奏夏は少し微笑んで、電車から降りて行った。


 

「はにゃ~、恋の季節だね~」

 えり子がニコニコしながらそう言う。

「恋に季節なんてあんのか?」

「あるわよ! 例えば今の時期は、春の新しい出会いからだんだんお互いのことが分かってきて、カップルが誕生することが多いのですよぉ~」

「なるほどね。で、えり子さんも、恋したくなっちゃったんですか?」

 珍しく誠也が先にえり子をからかう。

 

「う~ん……」

 えり子は暫く考えこむそぶりをしてから、言った。


「まだ、いいかな~」


「まだ、ね」

 誠也は予想通りの答えに軽く笑った。

 

「あ、でも片岡が多希ちゃんに振られたら、代わりに私が付き合ってあげてもいいよ!」

 

「えーと、なぜ俺から多希に告って、しかも振られること前提なのかな?」

 誠也は拳を握りしめながらえり子に問い詰めた。


「いやー! 顔だけはやめて~」


 誠也はえり子の頬に拳を軽くあてると、えり子はそれをかじろうとする。


「食うな!」

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