六、新しい恋




 家に帰ってからも、芽吹いたときめきは消えなかった。私は、感情を食べる少女、川村葵に、恋をしてしまったのだった。




 朝、目が覚めても、気持ちは変わらない。非日常を体験したせいで高ぶっていただけ、とも思ったけれど違うようだった。

 家を出ると幼なじみに出くわした。少し離れた向こうには、彼氏が待っている。ほんの少し動揺した。でも、

「おはよう」

「あ……おはよう」

 ちゃんと笑顔を作れた。挨拶の声もまっすぐだ。

「梅雨明けだってね-。やっぱ晴れてると気持ちいいよね」

「うん……傘がないと楽だしね」

 ちょっとぎこちないけれど、幼なじみも笑ってくれた。

 手を振って、彼氏の元へ駆けていく背中を見送った。




 今はもう、素直に「幸せになってね」と思える。でももし、もっと早く気持ちを伝えたり、こっちを向いてもらう努力をしていたら、なにか変わっていたのかもしれない、とも思う。

 幼なじみだから、親友だから。それだけでいい、側に居られるだけでじゅうぶん、なんて、心に大嘘をついていて逃げていたのだと、今ならわかる。

 今度は後悔したくない。




 その日の放課後、私は再び川村さんのところへ行った。

「あの、ちょっと話したいことがあって……」

 今度は私が先導して訪れた図書室は、やっぱり誰もいなかった。ひっそりと緊張する。でも、もう決めたことだから。

「私、川村さんのことが好き」

「えっ?」

 見事な驚きの表情がちょっと可笑しい。けれど堪えて真面目な顔を作り続ける。

「突然だよね。わかってる……でも、後悔するのは嫌だったから」

 川村さんは、眉間に小さな皺を作って、なにを言ったらいいか迷っているように、口を少し開けている。困っているのか、からかっているだけだと思われているのかもしれない。

 私は、さっきまでよりもずっと真剣な眼差しを、川村さんに向けた。視線に乗って、彼女のところへ気持ちが届くように。

「好きです」

 さくらんぼ色の唇が、きゅっと結ばれる。彼女は、答えを決めたのだとわかった。

「ごめんなさい。好きって言ってもらえて、嬉しいけど……」

「好きな人がいるの? あ、もしかして恋人が」

「ううん、いないいない。付き合ってる人も好きな人もいないよ。でも……」

 私は黙って続きを待った。両手の指を何度か組み替えた後、川村さんは大きく息を吸った。

「……私、いまは恋愛よりも楽しいことがあって」

「それって?」

「……笑わない?」

「笑わない!」

「スイーツ食べ歩き……食べたものの記録もつけたりして」

 やっぱり、川村さんの照れている顔はすごく可愛い。その表情を、それに、もっといろいろな顔を、見たいと思った。

「私も一緒に食べ歩きしたい」

「え」

「好きだけど、友だちでいい。私、どうしても川村さんと仲良くなりたい。それは、諦められない」

 恋心に嘘をついて、友だちとして側にいる……幼なじみの時はそれで苦しんだ。それなのに、口からするりと出た言葉は心の底からの本心だった。恋だけじゃない。私は人として、川村葵という少女に興味があるんだ。

 目も口もまんまるに開いて、川村さんはしばらく止まっていた。なんにも理解できないという無の表情でぽつりと、

「山田さんて変わってるね」

「私もそう思う」

 間髪入れずに答えたのが刺さったのか。

 川村さんは突然、笑い出した。

 大笑いする時はけっこう「がはは」って感じの豪快な笑い方だ。

「はぁ~……私も、山田さんと仲良くなりたいと思えてきた」

「えっ、ほんと?」

「あはは、そんなにびっくりしないで。ねぇ、みどりちゃん、って呼んでも言い?」

「う、うん! あの、私も、葵ちゃんて」

「呼んで呼んで」

 よろしくね、と差し出された手は、意外にも私より少し小さくて、あたたかかった。

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