五、からっぽの




 私の心は、本当に軽くなっていた。風邪が治って熱が引いた後みたいに、けろりとして明るい気分だ。

 幼なじみのことは、まだ好きだ。

 でも、忘れていけるとも思う。

「……ありがとう。おかげさまで、もう泣かなくて済みそう」

「うん、よかったね」

 川村さんは本当に嬉しそうに笑う。

「優しいんだね。川村さんって」

「ええ? そんなこと」

「だって、よかったねって言ってくれた。心配してくれてたんだよね。優しいよ」

「ぅえー、そんなこと初めて言われた。なんか照れるね」

 言葉通りのはにかんだ顔が、急に幼い。

 さっきまでは、頼れるお姉さん、という印象だったのに。可愛いな、と思うと、心臓がころんと音を立てた。




 私は、どろどろの感情を、大きな鍋で煮詰めているのだと思った。

 黒、茶色、紫が混じった泥のようなものが、おとぎ話に出てくる悪い魔女の大鍋にかけられていた。蓋をしてもう二度と見たくない、そんな感情の泥だった。

 それがまさか、とびきり可愛くて美味しいスイーツに例えられるなんて。

 なくなってしまえ、と思うような感情も、川村さんにとっては甘くて美味しい食べ物になる。

 嫌な部分があってもいい……ちょっと違うかもしれないけれど、そんな風に肯定されたような気がして、ほっとしてしまった。




「誰かの役に立てるのは嬉しいけど、美味しいものが食べたいだけ、ってのも強くて、だから優しいだなんてほんと、そんなそんな」

 未だ照れて言い訳のようなものを並べる川村さんは、私のあげたクッキーの缶をぎゅうと抱きしめていた。いつの間に取り出したのやら。いや、ここまで持ってきてたのか。

「川村さんて、けっこう食いしん坊なんだね」

「えっ! そんなこと……!」

「あると思う。クッキーの缶、そんなに大事そうに持っちゃって」

「うっ……そうですね……私は食いしん坊です……」

 真っ赤になってしゅんと伏せた顔に、追い打ちのように夕陽が差した。そういえば、そろそろ梅雨明けだとニュースでは言っていた。

 嫌な感情をぐつぐつ煮詰めていた鍋は、もうどこにも見えなくなっていた。代わりに、繊細で綺麗なガラスの器があった。そこに載っていたバニラのアイスクリームも食べられて、からっぽだ。透明なガラスが、橙色の陽光を透かしてキラキラ輝く。

 きゅん、胸が締め付けられた。

 久しぶりに顔を出した太陽の、まっすぐな光に照らされた頬が、とても可愛らしく見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る