三、感情食
私はあなたのことが好き。
そう伝えた時の、幼なじみの顔ときたら。
「ごめん、みどりちゃんのこと、そういう風には……私、男の子が好きだし……あっ、なんか、ごめんね……」
だから私も笑うしかなかった。
「こっちこそごめんね! 急に変なこと言って、困らせちゃって」
私ならダイジョブダイジョブ! 早口で言って背を向けた。精一杯、涙を見せないようにした。でもたぶん、気づかれていただろうな。
腫れた目を冷やして、なんとか登校した月曜日。
私が隣のクラスを訪れたのは、放課後になってからだった。
「川村葵さん、ですか?」
「うん、はい、そうです」
「あのこれ、つまらないものですがどうぞ……」
「あっ、これ! ここのクッキーおいしいんだよね。缶も可愛い」
川村葵は、すごく普通の女の子だった。短めのショートヘアで、立ち上がると私より少し背が高い。
クッキーの缶を受け取った川村さんは、
「ここじゃなんだし、図書室に行こうか」
そう言って歩き出した。
図書室には誰もいない。うちの高校の図書室はすごく小さくて、誰かが図書室を利用しているのを、私は見たことがなかった。
「いっつも誰もいないから、好都合なんだよね」
川村さんも同じことを考えていたようで、そんな風に言いながら椅子を引いた。
「どうぞ。ここに座ってね」
「はい……あ、そうだ、私、山田みどりと言います。二年二組です。あの、今日は川村さんに、感情を……その、食べてほしくて」
「なんだ、隣のクラスじゃん。同じ学年なんだし、敬語じゃなくていいよ」
「えっと、はい、じゃあ、うん」
しどろもどろな私のことを、川村さんは可笑しそうに「山田さん」と呼んだ。川村さんは、椅子に座った私の後ろに立っている。彼女の吐息が、うなじのあたりに落ちてきてこそばゆかった。
「それじゃ、感情を食べていくんだけど、髪に触っても大丈夫?」
「え、髪? うん、大丈夫だけど……」
「感情はね、髪の毛からにじみ出てくるんだ。それをこの櫛ですいて、すくって、食べるの」
後ろから、琥珀色のコームが差し出された。たぶん、べっ甲という素材でできているやつだ。
髪から、感情が……。よく飲み込めずに呟いていると、さっそくひとすき、髪に櫛が通された。
「こんな感じ。山田さんは、食べてほしい感情を強く思い浮かべて。そうすれば、その感情がにじんでくるから」
「感情を、強く……」
心の底の大鍋には、どろどろの感情がぐつぐつ煮立っている。
真っ先に思い出されたのは、可愛い笑顔だった。ああ、やっぱり私は彼女のことが好きなんだ。そう思って、慌ててそれを押しやる。その気持ちは、食べてほしくなかったから。
思い出の中の、彼女の笑顔を歪ませる。
『ごめんね』
可憐な声が響く。それに続く拒絶の言葉も。
『私、男の子が好きだし……』
もしも私が男の子だったら、なにか変わってた?
胸が締め付けられて、うまく息ができない。辛い。ああやっぱり、告白なんかしなきゃよかったのかな……。
いろいろな感情がうずまいて、どれかを強く思い描くことなんてできない。
気づけば私の頬には、なまあたたかい涙が流れていた。どろどろがあふれて止まらない、濁流だ。
いつの間にか、私の髪をすく川村さんの手も止まっていた。
「あのっ、ご、ごめんっ……うまく、思い浮かべ、られなくて」
「うん。そういう人はけっこういるよ」
川村さんの声は、少し低い。そして、優しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます