第31話 結ばれるとき
「僕は、生まれた直後に母を亡くした。それからは兄さんだけが家族だったけど、一緒に暮らすことも兄弟だと明かすこともできなかった。友達だって、恋人だってずっといなかった。興味もなかった……」
アリスはウィリアムの話に耳を傾けながら、彼の手を握り続けた。
「アリスが初めてなんだ。人に興味を持ったのも、愛しいと思えたのも。アリスの望みなら全部叶えたいと思ってる。僕も子供は嫌いじゃないし、アリスとの子ならきっとかわいいに決まってる、でも——」
ウィリアムがアリスの手を握り返した。指先が震えている。彼は深呼吸をして再び口を開いた。
「もし僕の母と同じように出産で命を落としてしまったらと思うと前向きになれなくて。前にも言ったと思うけど、僕は君がいないと生きていけないんだ」
「ウィル……」
アリスはウィリアムの葛藤を目の当たりにして、涙が溢れてきた。彼を愛している。彼に愛されている。だからこそアリスも家族を諦めることができない。
「けど、ルアンの話を聞いて……もし僕が先に死んだらどうしようと思った。アリスは遠い異国から家族と別れてひとりでこのアラービヤにやってきたのに。このままじゃ僕がいなくなったら君はひとりぼっちになってしまう」
「ウィル、私も……同じことを考えていたわ。私がいなくなったら、あなたはまたひとりになってしまう。だからあなたに血の繋がった家族を、と思っていたの」
アリスは泣き腫らした目から再び涙を流した。感極まってウィリアムの胸に飛び込み、背中に手を回す。彼もまた両腕でアリスをしっかりと抱き締めた。
「アリス、昨日は酷いことを言ってごめんね。僕もアリスとの子供が欲しい。でも、やっぱり君を失うのも恐い……」
ウィリアムが鼻を啜る音が聞こえる。アリスは彼の心に根深く残ってる傷を、どう言えば癒せるのか考えあぐねていた。
するとずっと黙っていたピエールが口を開いた。
「ウィリアム様、そのご心配には及ばないかと」
「「え?」」
ウィリアムとアリスは同時に声の主に注目した。それがおもしろかったのか彼はふっと息を漏らして話を続けた。
「あなたのお母様は元々病弱で、あなたを身籠ったのも、出産できたのも奇跡のような方です。彼女とは面識がありましたが、命がけであなたを産むことを覚悟されていました」
「え、僕の母親が……?」
ウィリアムが首を傾げ、ピエールは「ええ」と頷いた。
「一方アリス奥様ですが、本人がおっしゃる通り健康です。しかもご実家の宿屋では、その見た目からは意外ですが、清掃や酒樽の持ち運びなど力仕事もしておられました。正直体力もあなたのお母様どころか、あなた以上ですよ」
「それじゃあピエール、アリスは……」
「適度な運動と規則正しい生活、バランスが取れた食生活に気をつけてさえいれば、妊娠や出産で命を落とすことはほぼないでしょう。ゼロではないですがそれを言ったら病気や不慮の事故も同じです」
ウィリアムとアリスは顔を見合わせた。互いに涙や鼻水で美しい顔が台無しになっている。そして、同じタイミングで笑いが吹き出した。
「ウィル、顔がぐちゃぐちゃよ」
「アリスこそ……」
お互いの顔を拭き、再び笑顔を交わす。そして目を閉じ自然に唇を重ねようと顔を寄せる。
「おふたりとも、そういったことは私の前ではご遠慮ください」
ゴホンという咳払いをして、ピエールが言った。アリスは「ごめんなさい」と言って顔を赤らめる。彼はアリスを見てクスリと笑みをこぼした。
「さて、アリス奥様。そのお顔ではさすがに子供達の世話はできないですね。交代の者を呼んでおりますので今日はもうお休みください」
「ピエールさん、ありがとうございます!」
寝室に戻った二人は部屋中のカーテンを閉め、何度もキスをしながらベッドに傾れ込んだ。
「アリス、アリス……」
「ウィル……」
唇を重ねるたび、愛おしさが溢れてくる。ウィリアムの白く長い指がアリスの髪を撫で、耳に触れ、輪郭、首筋の順に滑り降りていった。ゆっくりとドレスに伸びていく手。アリスは上体を起こされ、首の後ろや背中にキスを受け、そのたびくすぐったいような感覚に身を震わせ、息を漏らした。
「アリス……本当はずっと、こうして君に触れたかった」
「ウィル、嬉しいわ。私だってあなたと身も心も結ばれたいと思ってた」
雰囲気作りのための装飾も、幻惑的なキャンドルやお香も、刺激的な夜着も何もない寝室。けれどアリスとウィリアムは気にならなかった。ふたりの目には、お互いしか映ってはいなかった。
「アリス、愛しているよ」
「私も愛してるわ、ウィル」
しっとりと汗ばんだ肌を合わせ、アリスはウィリアムと指を絡めた。時折キスをせがみ舌を絡ませ、互いの吐息を交えながら夢中で体を繋げる。
「愛してる」と何度も耳元で囁かれ、初めに感じていた痛みから意識が離れていく。
アリスはウィリアムの名を呼びながら、彼に触れられた場所全てが甘く痺れていくような感覚に溺れていった——。
>>続く
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