アマドが結婚した理由は、三年前にある④
『信じられないぐらい、おだやかだね……』
イルがぽつりと呟く。
辺りはすっかり暗くなり、賑やかな城下町の明かりを受けて、イルの肌は黄色くなっていた。
あの爆発で、通信機が壊れてしまった。おそらく通信機についた発信機能で、俺たちの場所を割り出しているだろう。そのまま待っていれば、ヴィルヘルムたちが迎えに来ていた。
それなのにディアス家に向かっているのは、少しでも身体を動かさないと、色んな感情に囚われてしまいそうだからだ。
女の遺体は運べそうになかったので、置いてきた。暑さで遺体を腐らせないように、イルが自分の異能力で氷を出した。俺は、ディアス家で埋葬するよう頼むつもりだった。
城下町に入ってから、俺はほとんど口を開かなかった。イルも、無理に俺に聞くことはしなかった。
でも、どうしても聞きたくて尋ねた。
『……なあ』
『んー?』
『なんで、助けてくれたの』
俺の言葉に、イルは笑った。
『子どもを助けるのは、大人の仕事でしょ』
『……それだけ?』
肩透かしをくらった俺は、言うつもりもなかったことを言っていた。
『あんた、人を助けるのが当たり前みたいな仕事してるみたいだけど。無価値な人間でも、助ける必要あるの。生き残ってもゴクツブシなだけじゃん』
『無価値って……ずいぶん哲学的なことを聞くね、少年』
じゃあこっちも哲学的に返すね、とイルは言う。
『よく、「生きたいと思うのは生き物としての本能だ」なんて言う人いるけど、私は、生きたいと思って生きてる生き物なんていないと思う。生まれたから死ぬまで生きてるだけ。だから私は、どんな人間も価値なんてないと思うよ』
わりとドライな意見に、俺は驚いた。てっきりイルは、「命自体に価値がある」と言うと思っていたから。
けどさ、とイルは続ける。
『やっぱり、死にそう! って思った時、「あー! やっぱりあれ食べておきたかったー!」とか、「死んだらあの本の続き読めないー!」とか、そういう死にたくない未練みたいなのがあったりするでしょ。
そういうのってさ、希望の裏返しだと思うんだよね。なら、人間に価値はなくても、その希望を守るって――すごく、いいことじゃない?』
『……そういうもん?』
『まあ、わからないけどさ。さっきも言ったけど、人助けるのに理由とかないわ』
アハハ、と軽く笑う。
いい加減だな、と思いつつも、何だかとても納得した。
価値があるから生きるのではなくて、希望があるから死にたくない。――俺が今まで生きていた理由は、それだ。
『……俺、生きてていいのかな』
だから、期待してみたのだ。イルなら、俺の欲しい言葉をくれると思ったから。
『いいよ。当たり前じゃん』
間髪入れず、イルが言った。ずっと欲しい言葉だった。
『俺が死んだら、世界が救われるって言われても?』
『何それ、トロッコ問題?』
トロッコ……? クエスチョンマークが飛び交う俺に、まあなんにせよさ、とイルは言った。
『誰かを犠牲にして救われる世界って、そもそも救いでもなんでもないよ』
そう言い切るイルの横顔は、とてもきれいだった。
あまりにきれいで、ついイルから目を逸らした。心の中がこそばゆくて、心が落ち着かない。
でも、手放したくない。
『……また明日も会えるか?』
勇気をだして、俺は尋ねた。
返事がない。
恐る恐る顔を上げる。
『……イル?』
イルは、どこにもいなかった。
◆
『その後、俺はイルを探そうとして、また意識を失って……気づいたら、自分のベッドの上にいました。
それっきり、イルとは会ってません』
突然いなくなって、本当に悲しかった。街でイルのような人を引き止めて、別人である度ガッカリした。
何度か、異能力の暴走で見た夢だったのかな、と思おうとした。存在しない人間だと思うのは悲しいけど、いつまでも探してガッカリするよりかは辛くないんじゃないか、と。
それでも、また会えるかもしれない希望を捨てられなかった。顔も名前も忘れても、ずっと探していた。
それが今、会えるかもしれないチャンスが降ってきて、俺は興奮していた。
『娘さんに会わせて下さい! 助けてくれたお礼も、全然言えてないんです!』
たくさん傷つけた。暴言を吐いた謝罪も、助けてくれたお礼も言えないまま、別れてしまった。
ガキだった俺は、助けてくれたイルのことが好きで、もう一度会いたいと思っていた。
ところが、ルオンノタルは頭を抱えていた。
『あー、ちょっと待ってね。……なるほど、そー来たか』
うんうん、と一人で納得して、まずね、とルオンノタルが説明する。
『うちのイル、今年で二十三なの』
『え……』
見えた希望が消える。今年で二十三なら、俺の知っているイルとは別人。
と思う前に、ルオンノタルが続ける。
『そんでね、多分今日、トリドにいるのね。私が約束破ったから、怒ってプチ家出してる。君が会ったイルって、そのイルだと思う』
……なんか、話が見えなくなった。
『そんで氷の盾だけど……あの子の異能力って、氷じゃないのね』
『氷じゃない?』
あのね、とルオンノタルは言った。
『あの子は、
言うなら時間の異能力者なんだけど……まさか、自分自身を過去に飛ばせるとは思わなかったな……』
――予想以上の真相に、俺は絶句した。
つまり俺が十一年前に会ったイルは、タイムリープしてきた現在のイルなのだ。
『どーりで最近、イルったら変な組織にちょっかいかけられてると思ったんだよね……』
『……「子山羊」ですか?』
『んにゃ、そっちは十一年前に潰した。アマネセルと一緒に』
親父、ほとんど家にいないと思ったら、そんなことしてたのかよ。潰れてたのは知ってたけど。
『ちょっかいの手口が似てるから、残党の可能性もあるけどね。異能力者自体が時を渡れるとなると、歴史改変したがるやつがゴロゴロいるから、犯人が絞り込めん……』
『……異能力のこと、今からでも隠し通せますか』
『いや。あの子、氷の国じゃ有名人だから。十一年前、君を守るために氷の盾出してるところ見られてたら時渡りもバレとるわそりゃ。
こっちは娘が過去に飛ぶなんて事前情報持ってないってのに、敵は知ってるとかチートだろ……』
思った以上に敵しかいない状況だ。
イルの異能力は、戦争の結果をひっくり返すことも、時の権力者を暗殺して権力構造を変えることもできるのだ。政府だけじゃなく、革命者にとっても喉から欲しい人材だろう。
うーんと悩んで、ルオンノタルは言った。
『ねえ。めちゃくちゃなこと言うんだけどさ。
――イルと、結婚してくんない?』
『……は!?』
今なんて言ったこの人。結婚? 俺とイルが!?
『無理ですッ!!』
『おう、思った以上に強い拒絶! え、娘嫌いなの!?』
『んなわけねぇだろ!』
勢いよく立ち上がって、思わず敬語を投げた。首から上が真っ赤になったのがわかる。
お、おう……と、ルオンノタルが頬を少し染めていた。
『だ、第一、なんで結婚なんですか……』
『権力あるから』
『権力目当て!?』
『いやマジの話。氷の国にだって、イルの異能力を狙ってる人がいるかもしれない。政府に異能力を使えと命令されたら、私たちタハティ一族に跳ね除けられる力は無いよ。せいぜい全世界を敵にして戦争するぐらい』
『十分やばくないですか?』
『でも誰も得しないでしょ、戦争なんて。私らだってしたくない。正直勝てるとも思えないし。
なら、最初から手を出せない権力者のバックアップが欲しい。氷の国も、反氷組織もうかつに手を出せない、火の国の中で一番経済力も軍事力も持っている人間なんて、トリド公爵以外にいないでしょ』
お願いだ。祈るように手を組んで、ルオンノタルが言った。
『少しでもうちのイルに情があるなら、どーか……』
『ああもうわかりました! わかりましたから!
でも今は無理です、継いだばっかりだから!』
三年です! と、指を三つ立てる。
『三年で、俺がちゃんとした提督だと実績を残します! それぐらいしないとちょっかい出されるでしょう!』
『わーいありがとうー』
『でも彼女が嫌だって言ったら駄目ですよ! 他の方法探してください! 全力で協力しますから!』
……これが本人抜きで決まった、婚約の顛末だ。
これ最初から別の方法探せと言えばよかったのでは? とか言わないでくれ。希望を捨てられなかったんだ。
ちなみに結婚が決まって一週間で結婚式になったのは、彼女が「OK」を出した瞬間、母親のルオンノタルがすでに手配を済ましていたからである。
「やっぱ無理」とか、俺にも彼女にも言わせなかった。あの人怖い。
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